幽体離脱注意報
病室の扉を開くと、すぐ側に見えたのはカーテンだった。
クリーム色をしたそれは、俺が室内に入ると揺れる。
「あら」
「お、おばさん」
「来てくれたの、颯太君」
カーテンの切れ目から姿を現したのは、拓己のお母さんだった。
よく知るその姿は、つい最近会った時よりも随分疲れた顔をしていて。
大人の弱った姿は、見慣れなくて怖くなる。
いつもハツラツと元気なおばさんだからこそ、余計に不安になった。
拓己は、それ程までに危険な状態なのだろうか。
「手ぶらでごめんなさい、学校が終わってすぐに来ちゃった」
「そんなのいいのよいいのよ、颯太君も驚いたわよね。ちょっと痛々しいけど、顔見ていく?」
「……うん」
痛々しい、と聞いて、嫌な方へ想像が膨らむ。
朝から会っていたオバケな拓己は、いつも通りの姿をしていたから、見た目のことは考えていなかった。
そうだ、拓己は、交通事故……に、遭っていたのだ。
おばさんによってカーテンが開かれて、一つのベッドが見えてくる。
ベッドの上の白い布団が見えて、盛り上がった部分を見上げていくと、そこには管が繋がれた、包帯だらけの頭があった。
「……た、くみ」
呼びかけながら歩み寄るけれど、寝坊した拓己を起こしにきた時のように、拓己は全然起き上がらない。
寝坊ならいい。
全然いい。
いつもなら早く起きろって怒るけれど、今は寧ろ、寝坊であってほしかった。
ベッドの傍に立つとより分かる。
大きなパッドが当てられて、包帯でぐるぐる巻きにされて、眠っている拓己の姿が。
傍にある機械は拓己の心臓が動いていることを示していて、けれど拓己は目を覚まさない。
「拓己、颯太君が来てくれたわよ」
「……」
「もう、早く起きなさいな」
「……」
おばさんのいつも通りの声が、最後震えていて。
つられて泣きそうになって、慌てて内頬を思い切り噛んだ。
今俺が泣くと、おばさんは俺を気遣って、自分の気持ちを後回しにしてしまうと思ったから。
きっとおばさんは物凄く心細かったと思う。
だから今、俺が泣くのは違うと思って、気合いで、無理やり涙を止めた。
「拓己は……どんな状況、なの?」
おばさんの肩を支えて傍にあった椅子に誘導すると、おばさんは腰を落ち着けて、頬を拭う。
そんなおばさんをあまり見ないように、拓己の顔を覗き込んでいると、オバケの拓己も、向かい側で自分の顔を覗き込んでいた。
「今朝の登校中、車道へ飛び出した小さな子を庇う為に拓己も車道に飛び出して、突き飛ばせたからその子は無傷だったけれど、拓己は轢かれちゃったみたいでね。車も飛び出してきた小さな子を見ていたから急ブレーキを踏んでいて、お陰で大惨事ではなかったけれど、拓己は車にぶつかって飛んだ衝撃で、頭を縁石にぶつけたから、昏睡状態だって、お医者様が」
「……昏睡」
打ちどころが悪かった、というやつなのだろうか。
外傷は少ないようだけれど、意識が戻らない、と。
目の前に立つ拓己は尚も自分の顔を見ていて、その顔は変わらず無表情で、何を考えているのか、何を感じているのか、まだ分からない。
椅子に座ったおばさんは、少しだけ布団をめくると拓己の腕を出して、その手を握る。
見えた腕は擦り傷や内出血で痛々しい見た目をしていたけれど、交通事故に遭ったにしてはまだマシな方なのかと思った。
「手は温かいのよ。ちゃんと生きている。でも、目を覚まさないの」
「……おばさん、何か、食べたりした?」
「え?」
「俺しばらくここにいるからさ、ちょっと休んでくるのはどう、かな」
「颯太君……そうね、ありがとう」
朝、事故の知らせを聞いてからずっと、拓己の目覚めを今か今かと待っていたのだとしたら、疲れた様子の顔も納得だと思う。
拓己の手を握りながら、自分の声に自ら追い込まれていくようなおばさんを見て、少しここから離れる必要があると思った。
だから促すと、おばさんは、少しお願いね、と言って病室から出て行く。
「……拓己」
「んだよ」
「体の中に戻って」
「できたらとっくにやってるわ」
「……だよね」
オバケ状態の拓己が、もし拓己の魂の部分なのだとしたら。
幽体離脱みたいな感じで、飛び出してしまっている状態のだけなのだとしたら。
拓己本体にぶつかったり、重なったりすることで拓己の中に戻ることができたりしないかな、と思って。
けれどもう既に試していたのか、拓己から返ってきた答えはいつも通り雑な感じだった。
「どうしちゃったの、拓己」
今度はオバケじゃなくて、眠っている方の拓己に問いかける。
めくれたままの布団から覗いている手を握ると、おばさんが言っていた通り、確かに温かかった。
「俺が……どっか行っちゃえって、言っちゃったからかな」
「……」
今の呟きは、オバケの拓己でも、眠っている拓己でもない、多分本当の神様に向けた問いだった。
なんで叶えちゃったの、神様。
なんでこんな形にしたの、神様。
俺はこんな、拓己が傷付く形なんて望んでいなかった。
ただ拓己が、俺の見えないところに行って、勝手に幸せになっていてほしかった。
拓己はなんだかんだ面倒見のいい奴だから、きっと彼女ができたらとことん大切にして、そのまま同棲とかしちゃって、とんとん拍子で結婚していくのだと思う。
だからさっさとそうなって、俺をスッキリさせてほしかった。
ここのところずっと消えないモヤモヤを、俺は早くどうにかして消してしまいたかった。
拓己が視界にいるとモヤモヤする。
拓己に煽られるとイライラして、口悪くいろいろ言われるとイライラして、言い返すともっと言い返してこられてイライラして、大嫌いで全然合わなくて、一緒に居ても全く楽しくないのに、拓己が他の人と話していると、モヤモヤする。
俺たちは高校生になって、学ランからブレザーになって。
俺はそれ以外何も変わらないけれど、拓己は背がまた伸びて、顔も体も、少し大人っぽくなって。
高校で出会った人たちに沢山囲まれて、かっこいいって眺められて、お友達になりたい、お近付きになりたいってチヤホヤされていて、モヤモヤする。
モテる幼馴染にモヤモヤするなんて、心が狭すぎるぞ俺、って、自分で自分を責めて、モヤモヤする。
幼稚園も、小学校も、中学校も、いつも俺が一緒に居たから、拓己を攻略したければまずは颯太から攻略しないと、とか言われていた地元と違って、高校では俺をすっ飛ばして、真っ直ぐに好かれている拓己を、ほんとは喜ばしいと思わなくちゃいけないはずで。
それなのにモヤモヤしている自分が嫌で、そんな自分と決別したくて、拓己に対して、どっか行っちゃえ、と思うようになったのだと今気付く。
俺は終始自分のことばかり考えていて嫌になる。
友達であり、幼馴染であり、家族のようであり、半身みたいな拓己のモテを、嫉妬して祝えないから、俺の視界から消えるように、どっか行っちゃえ、と願うだなんて。
そうやって俺が願ってしまったから起きたことなのだとしたら、俺が責任を持ってなんとかしなくちゃいけないと思う。
「拓己、とりあえずお祓いの予約してみてもいい?」
「殺す気かバカ」
「……バカって言う方が、バカ」
やっぱだめなのかな。
オバケの拓己が、何か鍵になっている気がする。
だからオバケの拓己が消えると、拓己本体に魂が戻るのかなと思ったけれど、オバケご本人様の拓己的にはそれはダメらしい。
握ったままの拓己の手に力を込めるけれど、拓己は目を覚まさない。
拓己の顔に近付いて、その頬をつついてみると、オバケの拓己に殴られた。
当たらないから、ちっとも痛くないけれど。
「触んなボケ」
「何がきっかけで起きるか分からないでしょ」
「顔はやめろ」
「イケメンフェイスに傷が付くって?」
「うぜぇ」
やり取りは至っていつも通りなのに。
痛々しく包帯が巻かれた拓己のおでこを撫でると、またオバケの拓己に殴られた。
だから全然、痛くないってば。




