夏の思い出注意報
無言の拓己に付いていくと、辿り着いたのは学校から一番近い、大きな病院だった。
遠くからでもこの建物のてっぺんに付けられた看板は良く見えて、側を何度も通ったことがあるのに、実際にこうして目の前に来るのは初めてだった。
「た、くみ……」
「受付で、見舞いって言えば入れてくれるんじゃねぇかな」
「……分かった」
大きくて、白くて、清潔そうで、少し怖い建物の、自動ドアの前で。
怯えてしまって、傍に立つ拓己に助けを求めたら、いつも通りの冷静な声が返ってきた。
ここに自分の本体……?があるというのに、俺より冷静なのはどういうことだと思いながらも、その冷静さに救われてもいて、だから、勇気を出して自動ドアをくぐる。
拓己は静かに、音もなく俺の後を付いてきて、かと思えば俺を追い越して、カウンターをすり抜けて、受付の人の隣に並んでこちらを見るから、また震える腹を抑えようとした腹筋が傷んで、倒れかける。
「ごふっ」
「え?」
「ぶ……ふ……痛い……」
「え!?大丈夫ですか!」
「あ、わっ」
突然笑い始める訳にもいかないから、全力で堪えようとしたら口から若干息が漏れてしまったし、昼休み後に酷使した腹筋が再び刺激されると痛すぎて、腹を押さえて。
そうしたら腹痛に苦しむ人、のように見えたのか、受付の人がカウンターから飛び出してきてくれるから凄く申し訳なかった。
そりゃそうだ、病院内でこんな、突然震えて腹を抱えて、ましてや痛いなんて言っていたら、それはもう。
「車椅子持ってきましょうか、とりあえずそちらのソファへ」
「あっ、あ、すみません、ちょっと攣っただけ、です!」
「ああ……!良かったです、本日はどのような?」
「あ、お見舞い、です。今朝事故にあったって聞いて……長谷川拓己、君、の」
腕を支えられて、とても近いところにお姉さんの顔があって、ドギマギしながら答えると、納得したお姉さんが離れて、カウンターまで戻っていく。
それと入れ違いでカウンターから出てきた拓己は、腕を伸ばしてきて、俺を掴もう、とした様子だけれど、掴めなくて、チッと舌打ちを零していた。
拓己のせいでひと騒ぎ起こしてしまったのに、なにさ舌打ちって!と思うのに、人が多いこの場では言えないし、拓己を睨むのだって、突然空を睨む変な人になってしまうからできなくて、仕方なく視線を逸らす。
「長谷川さんは三〇五号室ですね。こちらにお名前をご記入いただけますか?」
「あ、はい」
さんまるご、と頭の中で繰り返しながらカウンターへ寄ると、訪問者リストを差し出されて、そこに「滝藤 颯太」と書き込む。
それからボールペンを返すと、エレベーターを示されて、頷いて拓己の元へと向かった。
拓己は既にそのエレベーターの傍に居て、早くボタンを押せよとばかりに俺を見ていたから。
何にも触れられないって、大変そうだと思う。
大変そうだとは思うけれど、俺が押してあげないといつまでもエレベーターを待つことになる拓己は、ちょっと面白い。
煽りではなく、小さな子供みたいで。
そうして少し笑っていたら、拓己に後頭部から腕を突っ込まれて、目の前に手が出てきて叫びそうになった。
というか若干叫んだ。
「ぎっっ」
「……ニヤニヤしやがって」
拓己の不快そうな声に応戦しそうになるけれど、エレベーターの扉が開いて、人が出てくるから、避けるために意識が逸れて。
動かなかった拓己は何人にもぶつかられて、そのまま通り抜けられていて、なんだか少しだけ寂しくなった。
ここに居るのに。
こんなに俺にイタズラしてきているのに。
こんなに俺を煽ってくるのに。
なんで誰も見えないんだろう。
いつも皆、拓己を見てるのに。
拓己は幼い時から背が高い方で、顔が整っていて、基本無表情だけれど、笑うと年相応でカワイイって、近所のオバサマにも好評で。
飄々としている感じが歩いているだけでも伝わるのか、街中でも大抵、拓己は視線を受けている。
もちろん、クラスメイトからもたっぷりと。
だから誰も拓己を見ないというこの状況に、俺の方が全然慣れなかった。
「行くぞ」
「っ」
ぼうっと考え事をしていたら、既にエレベーターに乗り込んでいた拓己に呼ばれて、慌てて乗り込む。
三階を押すと扉が閉まって、ようやく少しだけ肩の力が抜けた。
「拓己……エレベーターは透けないんだね」
「ああ。でも壁はすり抜ける」
「やっ、やめてよ!危ないよ」
拓己が動くエレベーターの壁から腕をすり抜けさせるから、驚いて、掴もうとして、でも掴めなくて。
「なんも危なくねぇよ」
「……でも。びっくりするからダメだよ」
「はあ?痛くもねぇのに」
理解不能、みたいに顔を顰められて、そういうことじゃないって言い返そうとして、でもエレベーターが止まるから、結局何も言えないままで。
拓己が先に扉をすり抜けて降りていくから驚いて、ちゃんと開いた扉を抜けて追いかけるのに、もう姿が消えていて焦る。
「……拓己?」
思わず出た声は凄く小さくて、急に小学生だった頃を思い出した。
夏祭りで拓己とはぐれて、周りは知らない大人ばかりで、誰も俺なんか見ていなくて、皆楽しそうにしていて、俺だけ、一人ぼっちで。
「颯太」
「っ」
あの時もこうして呼ばれた。
ちょっと焦った様子で、息を切らして、汗をかいて、俺を探してくれた拓己。
人混みの中立ち尽くす俺の手を引いて、明るく眩しい屋台の方へと連れ出してくれた拓己。
あの時の拓己は神様みたいだった。
俺たちはお母さんたちに揃いの甚平を着せられていて、俺は拓己に、パジャマか?って言われていたけれど、拓己はよく似合っていた。
見慣れない和服が神様とか、神様の使いとか、そういうものに見えて、凄く感動したからよく覚えている。
声のした方を向くと、拓己が無表情でこちらを見ていて。
今思い出していた記憶の中の拓己よりもずっと大きくて、口が悪くて、表情が乏しくなった拓己。
「はぐれないでよ」
「はあ?お前だろ」
「じゃあ、置いていかないで」
「……」
言ってから、あれ?と思う。
さっさとどっか行っちゃえって、言ってたのは俺なのに。
咄嗟に出た言葉に首を傾げていたら、拓己は何も言わずに廊下を折れて進んで行くから、また姿が見えなくなってしまって、慌てて追いかける。
多分懐かしい記憶を思い出していたから、あの時の気持ちが蘇っただけだと思う。
手を繋いで歩いていたのに、花火の音が聞こえて、拓己が走り出していって。
俺は足が縺れて追い付けなくて、やがて沢山の大人に阻まれて、進めなくなって。
置いていかないでよって、泣くよりも先に絶望していたのだ。
こんな沢山の人の中、見失ったらもう二度と会えないと思ったから。
置いていかないで。
そう思っていたのに。
どっか行っちゃえ、なんて思うようになったのは、いつからだろう。
「……拓己」
三〇五と書かれたプレートの下に居る拓己は、ただ静かに、その番号を見上げていた。




