怒られ注意報
「今日も読むの!?」
「読む」
涙も落ち着いて、今日はこのままゆっくり過ごそう、なんて思っていたら、ラグまで引き摺られて、置いたままにしていた本を手渡されて。
驚く俺を抱え込んだ拓己は、全く気持ちがブレる様子なく俺が本を開くのを待っているから、恐る恐る、しおりを辿る。
拓己と二人でこうして本を読む時間もかなり気に入っていたから、残り少なくなったページを見て寂しい気持ちになる。
拓己に凭れるとまた指を絡められて、俺も柔く握り返すと、読み終わるまであと僅かな本を開いた。
「……っ」
「……拓己?」
読み終わったページを眺めながら余韻に浸っていたら、拓己が息を飲む音が聞こえて、振り返る。
本から手を離した拓己は、自分のこめかみに手を当てていて。
唯ならぬ雰囲気に、俺の心拍が上がった。
「そうだ……そうだった」
「拓己……?」
「お前が……熱心に薦めるから読んだのに……主人公の幼馴染が、最後の最後で死にやがるから……なんて本を薦めてきやがるんだと思ったんだ」
「た、くみ」
「その頃には気付いてた。俺は……颯太が好きだって」
「え」
久し振りに名前で呼ばれた、と感じる。
思わず拓己を凝視すると、濡れた目でこちらを見る拓己と目が合った。
「俺は死んでなんかやるもんか、って。一生颯太の傍に居てやるって。俺は物語の幼馴染なんかと違って、生涯颯太の傍で生きてやるって、その時決めて」
「拓己……もしかして」
「……ごめん、颯太」
「え?」
「無理やり……キスしてごめん、颯太」
「拓己……拓己!?」
ふっと糸が切れたように倒れていく拓己が、スローモーションのように見えて、叫ぶ。
ラグに倒れた拓己は、一筋の涙を零していた。
「こんのバカ!なんで相談しないのよ!」
「……悪かったって」
病室で怒るおばさんと、流石に申し訳なさそうな顔をしている拓己をぼうっと眺める。
あの後震える手で救急車を呼んで、おばさんにも連絡をして病院へ来た俺は、泣きじゃくりながら俺の記憶を失くした拓己の話をして、お医者様のお叱りを受けた後だった。
拓己はつい先程目を覚まして、お医者様の診察を受けた上で、体に異常はないと診断されていて。
俺の記憶を取り戻したという拓己は、意識もはっきりとしているから、帰宅の許可が降りていた。
「颯太君も……ちゃんと大人を、親を頼って。お願いよ」
「ごめんなさい」
頭を深く下げると、足音がして、視界におばさんの足先が入る。
見上げると泣いた後のおばさんの顔が見えて、また視界が滲んだ。
「怖かったでしょう。救急車、呼んでくれてありがとうね」
「……うん。黙っててごめんなさい」
「もういいのよ、次何かあったらちゃんと頼ってね」
「……うん」
軽く頭を撫でられて、何度も頷く。
拓己が倒れた時、全身の血の気が引くのを感じた。
プロを頼ってくださいとお医者様に言われて、その通りだと思って。
相談しなかったことに怒っていたおばさんにも、その通りだと思った。
俺たち二人の問題だと思っていたから、その発想が全くなくて。
もっと早くに思い付けていたら、拓己がここまで苦しむこともなかったかもしれないと思うといたたまれなかった。
「それじゃあ支払いをしてくるから、ゆっくり降りていらっしゃい」
「……分かった」
拓己に声を掛けたおばさんが病室を出ていくと、辺りが一気に静かになる。
たまたま空いていたという三〇五号室はやっぱりまだ、見慣れないままだった。
「颯太」
「……」
呼ばれて顔を上げると、拓己がこちらを見ていて。
ベッドの上に居る拓己の元へ寄れば、手を伸ばされて、指が触れ合った。
「颯太……ごめん」
「拓己が……謝ることじゃないよ」
「今日だけじゃなくて。あの日から全部、ずっとごめん」
「……」
拓己が謝る理由が分からなかった。
倒れる寸前、キスしてごめんと拓己が言ったことも、今の拓己が言った『あの日』も、全部分からない。
拓己を見れば、拓己もこちらを真っ直ぐと見ていて。
その目に飲まれそうだと思う。
記憶を失う前の拓己とも、記憶を失った後の拓己とも違う雰囲気に、目が離せなかった。
「本当に思い出した……の?」
「うん」
「ごめんって、何が……?」
「……キスしただろ」
「……うん?」
やっぱり分からない。
なんでキスがダメなんだろう。
なんなら今日だって沢山キスをした。
今だってしたいと言われたらすぐにできる。
首を傾げていたら、繋いだ手を確かめるように握られた。
「……俺、多分幼稚園から颯太が好きだった」
「え」
「颯太が俺だけのものになればいいとずっと思ってて、恋だって気付いたのは小学校の時」
「……え?」
「颯太が薦めてくれた本を、すげぇ楽しみにしながら読んだ。寝ても覚めても続きが楽しみで、颯太はこのシーンをどう感じながら読んだのかとか、颯太はどう受け取ったのかとか、颯太のことばっか考えてて、これが『好き』なんだと思った」
当時のことを思い出しているのか、拓己は近くのシーツを通して、どこか遠くを見ているような顔をする。
俺はそんな拓己を見ながら、じっと話を聞いていた。
「でも、周りが皆女子に興味を持ち始めて、ああ俺は狂ってるんだなと思って。だから俺の気持ちは全部、墓場まで持っていくつもりだった」
「……」
「でも颯太が、恋したがって。それなのに俺へは、誰かと結婚してどっか行っちゃえ、って言うから。他の誰でもない、颯太に言われたことがぶっ刺さって、悔しくて無理やり颯太にキスして」
「あ……」
「次の日、事故に遭う直前で、ああ、あんなことしなけりゃ、ただの幼馴染として、颯太の記憶の中では綺麗なままでいられたのに、とか。そう思ってたら、颯太のところに飛んでた」
明かされる全てのことに、涙が出る。
そんなにも前から俺を想ってくれていたということ。
それから、やっぱり俺の言葉が全てを引き起こしていたのだと改めて感じて、自責の念で涙が止まらなくなる。
「ごめっ……ごめん、拓己」
「なんで颯太が謝るんだよ。俺こそ無理やりキスして悪かったって」
「……ごめん、本当にごめんっ」
「いいよ。妬いてくれてたんだろ」
「うん、でも、傷付けてごめん。キスはその、全然で。本当に、俺がっ、ごめん……」
繋いでいない方の手で目元を拭う。
けれど溢れ続ける涙は止まらなくて。
繋いだ手が引かれて、拓己が居るベッドに寄せられる。
それから目元を拭う腕も掴まれて、見えた拓己の顔は、どこか懐かしいけれど、最近よく見る、悪い顔をしていた。
「好きだ」
「うっ、ん」
「颯太は」
「お、れも、好き」
「うん」
やがて嬉しそうに笑う拓己は、幼い頃から変わらない、俺が大好きな拓己の笑顔をしていて。
「取り戻そうと頑張ってくれてありがとう」
「おっ、れの、セリフ」
「はは」
笑う拓己に引き寄せられて、間近で見つめ合う。
少し迷っている拓己に俺からキスすると、眉を下げて笑う拓己の目から涙が零れて、キツく抱き付いた。
「思い、出してくれて、ありがとう」
「忘れてごめんな」
「……それは……そう」
「ははっ」
声を上げて笑う拓己に、背中を柔く叩かれて離れると、傍で涙を拭われる。
それからなかなか降りてこないことを心配したおばさんが戻ってきて、しゃくり上げる俺を見て驚いた後、優しく笑ってくれて。
帰ろう、って拓己の言葉に頷く。
おばさんに送ってもらった俺は、家で自分の両親にもしこたま怒られて。
眠る前に、拓己へ『いっぱい怒られちゃった』とメッセージを送ると、『俺も』ってきた後、『おあいこ』ってきて笑う。
結局、拓己にばかり痛い思いをさせてしまった。
そう思って俺はまた一人、今夜も準備を進める。
拓己はおあいこと言ってくれたけれど、俺にもまだ、できることがあるはずだと思った。




