二人の世界注意報
もう離れない。
そう言い張って帰ろうとしない拓己を、なんとか無理やり追い出した、翌朝。
玄関を出ると、通りの端に拓己の姿が見えて、三度くらい見直した。
「たっ、拓己?」
「はよ」
「おはよう……どうしたの?」
「一緒に行くぞ」
「えっ!」
一緒に!?と驚くと、拓己はちょっと拗ねたような顔をするから更に驚く。
最初から一緒に学校へ行くのなんて、小学生以来だ。
いつもたまたま鉢合わせて、行先が同じだから流れで一緒に……となることはよくあったけれど、どちらかが待って一緒に行くなんて本当に久々だった。
「付き合うって……凄い……」
「はっ」
「……」
やっぱ凄くないかも。
拓己に鼻で笑われて、拗ねて見せて。
行くぞって先を行く拓己を追い掛けると、嬉しそうに微笑まれて心臓が跳ねた。
やっぱり、付き合うって凄いかも。
「また仲良くなった……ね?」
「あはは」
休み時間のたびに小春さんからの視線は感じていたけれど、今日はノートの書き取りが多くて、皆忙しくて。
ようやく訪れたお昼休みに、小春さんが話しかけに来てくれて、照れ笑いをした。
仲良くなったと評されたのは、目の前に居る拓己とのことだ。
今日の拓己は暇さえあればこちらを向いて、俺の腕を掴んでくる。
その顔は和やかというよりどちらかと言えばかなり険しい寄りで、周囲の人は若干怖がって見て見ぬふりをしていた。
けれど話しかけに来てくれた小春さんは流石だと思う。
いつもと変わらないその雰囲気に、拓己が威嚇するように睨みあげるから、俺の腕を掴んでいる手の甲をつねった。
「って」
「お昼、食べよ」
「おー」
「あれ……今日は素直、だね?」
「え?」
首を傾げている小春さんに、俺も首を傾げる。
小春さんが見ているのは拓己で、拓己は俺の腕辺りを見ていた。
「ほら、長谷川君っていつも、滝藤君には暴言吐くから」
「……あ」
そういえば今日はまだ聞いていないかもしれない。
というか昨日も控え目……だったかも?
拓己から暴言が出ないなんて、変なものでも食べたのだろうか。
ていうか、滝藤君には……って、俺だけ??
「うぜぇ」
「あはは、出た」
「あ、いや……」
今のは、小春さんに対して、だったような。
拓己が見ているのは変わらず俺の腕の辺りだったけれど、自分に向けられた暴言ではないと直感的にそう思う。
暴言って、俺にだけ向けられるものだったの?と、少し胸が高鳴る予感がしたのに。
速攻で違うと証明されて、なんだかちょっと、面白くない。
「……拓己」
お弁当、食べに行こうよ。
そんな気持ちを込めて、俺の腕を掴む拓己の手を柔く握る。
拓己は俺の腕から俺の目に視線を移して、ようやく険しい顔を収めてくれた。
「そういえば二人はいつもどこでお弁当食べてるの?」
「え?ああ……」
「言わねぇ」
「ええ~!教えてくれないなら付いて行っちゃおうかな~」
ああ、また拓己の顔が険しく……。
虫でも居るのかと思うほど俺の胸元を睨みつける拓己に慌てつつ、小春さんになんと返せば丸く収まるだろうかと考える。
いつもどこでお弁当を食べているのか、隠したい訳ではないけれど、拓己と二人きりになれる時間は失いたくなかった。
だから場所を言ってしまえば満足してくれるのか、言うといつか来てしまうのか、言わないと本当に付いてきてしまうのか、見極める必要があって。
小春さんを見遣ればいつものニコニコとした笑顔で、その真意を読むことはできなかった。
小春さんを決して邪魔者扱いしたい訳ではないのだけれど、俺と拓己の二人で居る時間を守ろうとすると、必然的にそうなってしまうことが心苦しくもあり、申し訳なくもあるなと思う。
恋って難しい。
拓己も小春さんも好きだけれど、その濃さや方向が全く違ったもので、全部を平等に大切にできないことが苦しかった。
「邪魔すんな」
「えっ」
「もー、二人の世界ってこと~?でも今度一緒に食べようね!」
「あ、う、うん」
やけに厳しい拓己の声が聞こえて、ぎょっとしていたら小春さんはあっさりと引いて。
特に気にした様子の二人に驚く。
あれこれ考えてしまっていた俺的には、拓己の鋭い言い方が小春さんを傷付けてしまうのではと思ったけれど、二人共至って普通の様子だった。
「行くぞ」
「行ってらっしゃい~」
「い、行ってきます」
まだ少しドキドキした気持ちのまま、先に立ち上がって教室を出ていく拓己を追いかける。
険しい顔の拓己が席を立ったことで、教室にまばらにいたクラスメイトがホッと息を吐いたのは気のせいではないと思った。
「たく、むっ」
「はっ、まぬけ」
「……」
なんだか拓己がご機嫌だ。
体育倉庫の横に着いて、またお弁当箱を奪われて、けれど気になっていた今日の顔が険しい理由を聞こうとしたら、いつも通り口に卵焼きを突っ込まれた。
仕方なく黙って咀嚼すると拓己も自分でお弁当を食べている。
拓己が交通事故に遭う前は、俺のお弁当を食べ切る手伝いをしながら、自分のお弁当も食べていた拓己を思い出して、今の量で足りるのかなとふと気になった。
けれど拓己をじっと見ていたせいで、次の一口を催促していると思われたようで、お箸で持ち上げたお米を差し出されて、また仕方なく口に受け入れる。
なんだか俺は食べさせられることに慣れてきている気がして、そして拓己は、食べさせることに慣れてきている気がした。
これっていいのだろうか。
なんか……ダメな気がする。
「拓己、明日からお箸二つ持ってくるね」
「あ?いらねぇよ」
「……ハイ」
顔が険しくなった拓己に一蹴されて、返事をすれば、また口元におかずが運ばれてきて。
あーん、なんて本来恥ずかしいことなのに、今は全然恥ずかしくないから逆に恥ずかしい。
受け入れてしまっている事実がとても照れくさかった。
それに。
「俺もちょっと……食べさせたいんだけど」
「……は」
「あ」
ポカンとした拓己に、また口を滑らせてしまったと思う。
けれど拓己が少し満足気に笑ったから、まあいいや、と受け入れた。
「かわいいヤツ」
「……え」
「おら食え」
「お、俺の弁当なんだけむぐ」
「はっ」
今日の拓己は本当にご機嫌だ。
いや、教室ではそうでもなかったけれど。
食べ終わったら真相を聞こうと思って、なのにまた拓己が俺の膝を奪って寝始めるから、結局聞けず仕舞いで。
今日は眠気に耐えながら時々足首を動かすことで、痺れの対策を頑張った。
でもそのたびに拓己が寝心地悪そうに身じろぎじていたので、膝枕って結構難易度が高いものなのだなと思う。
膝枕を拒否するのではなく、受け入れて改善を考えている時点で、俺も相当拓己が好きだなとか思って一人で顔を熱くしたりもした。
拓己が寝ている時でよかった。
起きていて目の前で突然赤面したら、絶対また何かされていたと思うから。
「んっ、う、あ」
「っは」
「た、くみ……んっ」
おかしい、なんでこうなった。
目の前で突然赤面でもしたら、なんて思っていたのに、赤面をしていなくても襲われている。
今日はいつもと様子が少し違う拓己を、あれからも時々小春さんからイジられつつ、放課後になって。
また「帰るぞ」ってその一言だけで、一緒に帰ることになって、小春さんに挨拶をしながら学校を出たのが少し前の出来事。
それから今日は手を繋がなかったものの、明らか俺と歩幅を合わせて歩いてくれている拓己に感動しながら、歩いて、帰ってきて。
俺の家の前で拓己が立ち止まるから、また上がっていくのだなと思って、扉を開いて、入った瞬間これだった。
「あ、っだ、め」
俺の耳や首を撫でる拓己の手を、掴むけれど全然力が入らないし、全然止まってくれない。
脚の力まで抜けてきて立っていられなくて、そのまま崩れ落ちそうになるのに、脚の間に拓己の膝を差し込まれて、触れる刺激に涙が出た。
「んんっ、や、拓己っ」
「部屋行くぞ」
「へ、あっ」
腕を引かれて、慌てて靴を脱いで。
震える脚で拓己に連れられて、洗面所に辿り着く。
先に手洗いうがいを済ませる拓己を見ていたら、鏡越しに目が合って背筋が痺れた。
「は、」
思わず漏れた息に口を押えていたら、洗面台を譲られて、手を洗って。
強く感じる視線に顔が上げられずにいて、うがいが終われば後ろから抱き締められて、倒れかけて、慌てて鏡に手を突いた。
「えろ」
「ばっ、か!んっ」
すぐ近くで聞こえた拓己の低い声に震えていたら、首裏にキスされて声が漏れる。
玄関より狭い洗面所は音が響く気がして、聴覚的な刺激も増すから余計ダメだった。
「や、だ拓己、」
「ん」
こんな所で、と思ったけれど、どんな所でもこんなことはダメだ。
俺の拒否する言葉に、意外にも拓己は素直に応じてくれて、離れていく。
「あ……」
「……まじでお前」
「ちょ、ちょっと!なんで!」
「誘ったろ今」
「はあ!?」
やけにあっさりと離れていくから、ちょっと寂しいとか、思っ……てはない、断じてない。
俺のせいにしてまた寄ってくる拓己を腕で防いでいたら、その手を掴まれて部屋まで連行される。
素直に付いてきてしまったけれど、もしかしなくてもこれはマズい展開なのだろうか。
熱くて力強い拓己の手にドキドキしながら部屋に入ると、勢いを付けてベッドに放り投げられて違うドキドキが発生した。
「あっぶない!こわあ!」
「ちゃんとベッドに投げただろ」
「そ、そうだけど!」
そうだけどそうじゃないんだよ!と、言おうとして、でも拓己もベッドへ乗り上げてきて、言葉が詰まる。
まだ明るい部屋で、ベッドの上で見る拓己はいつもの三倍くらい色気が増していた。
「あ、の……ど、どこまでする、の」
「あ?最後までだろ」
「さっ!?いや、あの、無理だよ」
「無理じゃねぇよ」
「あっ、ちょ!」
帰って早々にこんなことになって、今日は止める術がないなと思う。
お母さんが帰ってくるのはまだ先で、俺だって本当は、その、嫌じゃなくて。
でも一つ足りないものがある。
とっても大事で、多分一番必要なもの。
「こっ、心の準備ができてないっ!」
「ってえ!」
「いだああああ」
俺の頭のすぐ横に手を突いた拓己が、キスする為に、降ってきて。
そのおでこ目掛けて頭突きをすれば、俺たちは二人共頭を抱えて転げ回ることになった。
「こんのボケカス!」
「はあ!?だって、だって!」
「ああもう!」
キレ散らかしている拓己に、おでこを押さえながら必死に伝えようとすると、拓己に強く抱き締められる。
まだジンジンとするおでこからそっと手を離して拓己の背中に腕を回せば、拓己が大きく息を吐く音が聞こえた。
「待ってやるから、さっさと腹くくれ」
「あ……うん」
「とりあえず今日はお前からのキスで手を打つ」
「ええっ」
俺から、って。
病室で眠ったままの、拓己本体にした時以来だ、と思う。
少し離れて俺をじっと見る拓己は冗談を言っているようには見えなくて、拓己の目を俺の手で覆い隠す。
拓己は振り払わずそのままで居てくれて、だから、そっと目の前の唇にキスをした。
「もっかい」
「や、やだ」
「はあ?」
起き上がっていく拓己の目から、俺の手が離れて、そのまま掴まれて。
また降ってきた拓己が俺の腕をシーツに押さえ付けるから、身動きが取れなくなってしまう。
「ほら」
「……一回だけね」
今度は目を覆い隠せないから、素早く唇に触れて、離れる。
けれど追い掛けてきた拓己の唇に簡単に捕まって、また少しだけキスをした。




