夢注意報
放課後になると誰よりも先に教室を飛び出す。
いつも下校が早い拓己よりも先に、家へ帰って目印になる必要があったから。
メッセージで住所を送れば解決かもしれなかったけれど、約束したし、メッセージはなんだかズルみたいで嫌だなと思ったから送らなかった。
変なこだわりのせいでまた自分の首を絞めるかもしれなかったけれど、今日は拓己と話せることが確定していたから心は希望で満ち溢れていた。
走ったせいで乱れた呼吸も、家に着いて暫くすれば落ち着いて。
こうして家の前で誰かの帰りを待つのは久々だと思った。
小学生の時、鍵を持たないまま学校へ行ってしまって、お母さんが帰ってくるのを家の前でずっと待っていたことがある。
あの時は確か冬で、とても寒くて、けれど隣に拓己が居てくれた。
拓己は一度家に帰って、大きな毛布を一枚持ってまた俺の家の前まで来てくれて。
二人で一緒にその毛布を肩に掛けて、ぽつぽつと話しながら、お母さんの帰りを待った。
その後、結局俺だけが風邪を引いて、拓己に「雑魚」と笑われて。
けれどちっとも嫌じゃなかった。
拓己は「鍵忘れるとかありえねぇアホ」と言いながらも、ずっと傍で震える俺に毛布を掛けて、支え温め続けてくれていたから。
その思い出だけで心が温かくて、満たされていた。
「ここかよ」
「……拓己」
記憶の拓己よりも低い声がして、顔を上げれば、俺を忘れてしまった、高校生の拓己が居て。
いろんな思いが混ざって泣きそうになって、けれど必死で堪えて笑って見せた。
「ここだよ、近いよね。上がって上がって」
どうぞ、って促して、今日はちゃんと持っていた鍵で玄関の扉を開く。
いつもは迷うことなく洗面所へ行って手洗いうがいをする拓己が、今日は玄関で肩身が狭そうにしていて、少しの面白さと、切なさに襲われた。
「こっち」
だから先を歩いて洗面所へ誘導すると、拓己は大人しく付いてくる。
どうぞ、って手洗いうがいを促すと、お前の目の前でかよ、って顔をされたけれど、大事なことだから譲らなかった。
渋々手洗いうがいを済ませた拓己と交代して、俺も手洗いうがいをして。
また「こっち」と拓己を誘導すると、ようやく自分の部屋へと辿り着けた。
なんとなく、いつものようにベッドへダイブする拓己が見られるかなと期待したけれど、拓己は迷わずラグの上に座って、少しだけ残念に思う。
もう壁をすり抜けたり、ベッドをすり抜けたりしない拓己なのに、選ばれたのがラグで少し寂しいような、それはそれで懐かしいような。
オバケの拓己の定位置だったそこは、今の拓己が座っても結構しっくりと来ていた。
「で」
「あ、うん」
早々に促されて、俺は迷った結果、拓己の正面に座る。
ラグの上だと近いから、何もない床を選んだけれど、拓己に嫌な顔はされなかったからこれで正解のようだった。
「長くなるけど、聞いてほしい。俺と拓己の関係について」
「……」
拓己はベッドを背もたれにして、片膝を立てた上に腕を乗せていて。
気持ち的にダルそうではあるけれど、ちゃんと聞いてくれる気はありそうで、俺は大きく息を吸って口を開いた。
「俺たちは、この家の距離感もあって、生まれた時から傍に居た幼馴染なんだ」
「……」
「幼稚園、小学校、中学校、高校、全部一緒だし、多分お母さんよりも長い時間を一緒に過ごしていると思う」
幼馴染と聞いて、拓己は眉間にシワを寄せながら遠い床を見ていて。
思い出そうとしているのか、疑っているのかは分からなかったけれど、この家の近さだけは確かな事実だと感じてもらえたと思う。
「それなのに俺、拓己に『どっか行っちゃえ』なんて酷い事、言っちゃったんだ。最初は高校に入ってモテ始めた拓己に嫉妬して、そういう思考になったんだと思った。でも本当は多分、拓己が取られたような気がして、拗ねてただけだったんだと思う」
「きめぇ」
「うん……ごめん。でも」
拓己はやっぱり俺を見ていなかったけれど、反応があるってことはちゃんと聞いてくれているってことで、それが分かって安心した。
でも。
言ってやるぞと決めていたことを口にしようと、深く息を吸って、吐く。
「た、拓己だって、俺のことが好きだって言ったんだからな!」
「……は」
「俺も、拓己が好きだって言った。って、ああ、順番が違う。拓己は、オバケの期間を覚えてる?」
これも、拓己に聞きたかったこと。
覚えていないのなら説明が必要で、覚えているのなら、まあやっぱり、説明が必要だったから。
「……彷徨った、記憶は……少し」
「えっ、少し?」
意外な返答がきて驚く。
拓己は少し、と言った。
それならどこを、どの辺まで覚えているのか知りたくて、聞きたいことがいっぱいで、頭がぐるぐるとパンクしそうになる。
拓己も拓己で自分の記憶を辿っているようで、少し険しい顔をしていた。
「事故に遭った直後、学校に居たのは?」
「……覚えてる」
「体がすり抜けて、俺しかオバケの拓己が見えてなかったのは?」
「覚えてる」
「……じゃあ、どこまで覚えてるの?」
「クソボケが俺にキスしてたとこまで」
「全部じゃん!!」
頭がぐらっとして、倒れそうになりながら言う。
それから必死で言い訳……というか弁明を考えた。
「違う、あれは、その」
「母さんが王子様のキスとか言って、だろカス」
「全部覚えてんじゃん……」
いよいよダメになって、床に崩れ落ちる。
そこまで覚えていて、なんで俺の記憶だけないんだろう。
……なんで覚えてないんだよ、バカ。
「夢だと思ってたんだよ。体がすり抜けるとかありえねぇし」
「ああ……なるほど」
「だから頻繁に出てくるお前が理解不能だった。でも現実だったなら、まあ……助かった」
「え」
まさか。
まさか、お礼を言われるなんて。
ここ最近の拓己では考えられないことで、驚いて飛び起きる。
拓己はやっぱり顔を顰めていたけれど、そんなの全然気にならないくらい嬉しくて仕方なかった。
「でもやっぱお前のことは知らねぇ」
「……そっ、か」
尚のこと……キツいな、と思う。
殆ど全てを覚えているのに、俺だけが拓己の中から抜け落ちているなんて。
「で、お前はアイツと付き合うのかよ」
「へ?」
突然の言葉に思考が全部ふっとぶ。
アイツが誰なのか全然理解が追いつかない。
しかも……付き合うって言った?
「だ、誰と、誰が?」
「お前が。小春、って奴と」
「へ!?」
小春さん!?と思わず大きな声が出る。
なんで小春さん?
どうして小春さん?
何があって小春さん?
俺は……拓己が好きだって言ったのに!?
目も口も大きく開いていたら、拓己は視線を彷徨わせた後、俺を見る。
その顔は怒っているようでいて、どこか拗ねているようでもあって。
「え……嫉妬?」
「はあ!?」
「え……!?カワイイ……!」
「はああああ?」
突然拓己が恋する乙女に見えて、胸がきゅっと高鳴る。
拓己はもしかして、小春さんと最近よく話す俺を見て、嫉妬したのだろうか。
って、あれ。
待てよ。
小春さんに嫉妬、ではなく。
俺に嫉妬、の、可能性……も、あっ……た。
「た、拓己……小春さんに心変わりしたの……」
「はああああああ?」
心底呆れた顔の拓己に、俺の心の傷が回復するまで少し、時間を貰うことになった。
「勘違いボケ」
「ごめん……」
拓己曰く、夢によく出てきた上に、自分を好きだと言ってきた奴が他の人にデレデレしているのを見て、きめぇ、と思ったから聞いただけ、らしい。
対して俺は、俺宛ての嫉妬でも、小春さん宛ての嫉妬でもなく、そもそも嫉妬ですらなかったことにまたダメージを受けていた。
しかもデレデレって。
俺周りからはそう見えていたのか、と、そういう意味でも割とダメージを受けていた。
「小春さんは……拓己と話せるように協力してくれるって言うから、最近少し話すようになっただけで。リスみたいで可愛いなとは思うけれど、俺が好きなのは拓己だよ」
「きめぇ」
「……だよねぇ」
聞いといてこれなんだから、困っちゃうな、と思う。
でもこうして話したことで、話す直前まで感じていた拒絶に近い壁は少し、溶けているような気がした。
「オバサマの記憶もある……のかな、図書館の、ベテランさん」
「ある」
「良かった……。あの方がね、沢山話すのがいいって。話せるのは生きているうちだけよ、って、言ってくれて」
「……」
「だから俺、拓己と沢山話しがしたい。ずっと傍に居るのが当たり前だった拓己が、居なくなるかと思うと本当に怖かったんだ。だから……俺を忘れた今の拓己に無理強いはできないけれど、できることなら傍に居たい」
お願いします、って頭を下げて、拓己の返事を待つ。
ずっと傍は無理でも、今みたいにこうして、時々話すだけでも。
お願い、どうか、お願い。
祈るようにして頭を下げたままでいると、拓己が長く息を吐くのが聞こえる。
良い方の反応か、悪い方の反応か分からなくて、思わず喉が鳴って少し恥ずかしかった。
「時間が欲しい」
「……え?」
聞こえたのは、イエスでも、ノーでもない返事で。
顔を上げれば拓己はやっぱりどこか遠くの床を見ていたけれど、その表情に鋭さはなかった。
「夢だと思ってたものが現実だったんだ。情報の整理がしたい」
「ああ……なるほど、確かに。それはもちろん」
何度も頷くと、拓己がこちらを見る。
何か言うのかと思ったけれど拓己は何も言わなくて、俺も目が逸らせなくなって息が止まった。
「な、なに……」
「カス」
「はあ……?」
それだけ言って拓己が目を逸らすから、息を取り戻すけれど、よく分からないまま。
また拓己は何か考え込み始めたようで、暫黙ってその横顔を見つめる。
拓己とこの距離で向かい合って、こんなにも沢山言葉を交わせたことが、じわじわと嬉しくて心が温かい。
暫くして、帰ると言い始めた拓己に頷いて、見送って。
また明日ねって言うと、ハゲって言われたけれど、なんでも良かった。
否定も拒絶もされなくて、ただそれが嬉しかった。




