バツ印注意報
「おはよう、滝藤君」
「お、はよう……小春さん」
昨日オバサマと別れた後、すぐ拓己に連絡を取ろうとして、メッセージではスルーされる可能性があると思って、今日気合いを入れて登校してきていて。
絶対に拓己を捕まえてみせる!と拓己のことばかり探していたから、いつの間にか傍に居た小春さんの存在に気付けなかった。
だから思わず跳ねた心臓を胸の上から押さえて、挨拶をして。
そんな俺を不思議そうに見ながらも笑っている小春さんと共に、教室までの道を歩いた。
「長谷川君、探してたの?」
「えっ、あ……なんで?」
「高い位置を探してたから」
「ああ……!」
なんでバレたのだろうと思えば、背の高い拓己の頭があるであろう高い位置を見ていたからだ、とネタばらしされて少し照れる。
俺そんなに分かりやすかったんだ、と苦笑いしていたら、斜め下から小春さんが覗き込んできて、また少し心臓が跳ねた。
「仲直りの協力、する?」
「へ、あ、うん」
「ふふ、分かった!」
「あ」
咄嗟に頷いてしまって、あ、と思った時にはもう、小春さんは駆け出していて。
協力って何をしてくれるんだろう、と少しだけ不安に思う。
今の拓己は俺に対して厳しいから、何か八つ当たりとか、巻き添えとかを小春さんが食らってしまわなければいいなと思う。
気を付けてね、と言おうにも、もう小春さんは姿が見えなくなっていて。
どうしたものかな……と、俺はちょっとだけ頭を悩ませた。
あれから、小春さんが時々ジェスチャーを送ってくるようになった。
頭を横に振っていたり、指で小さくバツを作ったり、大袈裟に悲しい顔を作って見せたり。
多分拓己と接触を図ろうとして、ダメだった、って意思表示なんだと思う。
そんな無理に頑張らなくてもいいのに、と思うけれど、小春さんはどこか楽しそうですらあって、まあ楽しいならいいか……とも思っていて。
俺も拓己と話せる隙を伺っているけれど、授業が終われば即教室を出ていってしまう拓己を捕まえるのはかなり難しかった。
人目もはばからず大声で呼び止めれば、きっと立ち止まってはくれるのだろうけれど。
それは流石に俺も避けたかった。
できることなら穏便に、二人だけで話したかったから。
けれど結局、放課後になってしまって。
ごめんね滝藤君、って悲しそうに図書委員の仕事へ行く小春さんに、俺が申し訳ない気持ちになった。
拓己さえ捕まれば全て解決なのだけれど、それが一番の難関で。
もうとっくに帰ってしまっている拓己と、恐らく同じ道を辿って帰りながら、ずっと拓己のことを考えていた。
「あ」
そっか、放課後にもチャンスはあるじゃないか!と、朝登校しながら気が付く。
拓己は放課後、家に帰ってから走りに行っているとお母さんたちから聞いた。
ならば家の前……は、目立つから、せめて拓己の家がある通りの入り口に立っておけば、いつかは帰ってくる拓己を捕まえられるではないか、と。
じゃあ早速今日から張り込むぞ!と、久々に軽い足取りで学校へと向かった。
なのに。
「あれ、颯太君?」
「……あれっ、おばさん。こんばんは」
今日も小春さんから沢山のバツ印をもらって、俺もなかなか話しかける隙を見つけられないまま、放課後を迎えて。
それでも今日はやる気十分だった。
何故ならほぼ確実に拓己を捕まえることができるという、必殺のカードを心の中に秘めていたから。
だから学校から帰って、一度も家に帰らず拓己の家がある通りに位置取って、拓己を待ち構えていたのに。
帰ってきたのは、仕事終わりのおばさんだった。
拓己の姿はまだ見ていない……はず。
「こんな所でどうしたの?拓己と待ち合わせ?」
「あ、いや……拓己、最近走ってるって聞いたから、ちょっと様子を見ようかなって……」
拓己の帰りを待ち伏せてた!とは言えなくて、まろやかにして伝えると、おばさんはきょとんとしていて。
つられて多分呆けた顔をしている俺は、もう空の夕日が落ちかけていることに気が付いた。
「拓己はもう走ってないみたいよ?今は部屋で筋トレが中心だって」
「……へ」
え?とか、あれ?とかお互い言い合って、首を傾げ合う。
それから吹き出したおばさんにつられて俺も笑った。
「やだもう!拓己呼んでこようか?」
「いや、ううん。また学校で話す」
「そう?じゃあ気を付けてね、また遊びにおいでね」
「うん、ありがとう」
またね、って別れて、俺は自分の家へと帰る。
一つ通りが違うだけで、俺の家はすぐそこだけれど、何故か距離が遠く感じた。
スマホを見て待っていたせいで、拓己の帰りに気付けなかったのかと思ったけれど、そもそも走っていなかったとは。
お風呂に入ると少しだけピリピリと鼻の頭が痛くて、日に焼ける程長く外に居たのだなと思った。
「ごめんね滝藤君……長谷川君、とっても素早くて……」
「ははは」
掃除の時間で話しかけに来てくれた小春さんの言葉を聞いて、思わず笑う。
とっても素早いと評される拓己が面白かったのと、本当に申し訳なさそうにしている小春さんが面白かったから。
何故俺と拓己がギクシャクしているのか詳細を知らないのに、ここまで熱心に協力してくれていることを嬉しく思う。
だからこそ早く決着をつけたかったのに、拓己はなかなか捕まえられないままだった。
おばさんに会えたあの日、やっぱり呼び出してもらうべきだったかな……と若干の後悔をしていたら、チャイムが鳴って、拓己が戻ってくる。
拓己は俺を徹底的に避けているけれど、学校にはちゃんと来ているし、授業にも遅れずしっかりと参加していた。
だからこそ、もどかしかった。
目の前に居るのに話せないし、視線すら、合わないから。
「え」
そう思って矢先、拓己と目が合って思わず声が出る。
ぎゅっと引かれる感覚があって、隣を見ると小春さんが俺の袖を掴んで、こちらを見ていた。
「今っ」
「え、あ、うん」
目が合ったよね!って、小声で言われて、頷く。
小春さんも気付いたってことはやっぱり気のせいじゃなく、本当に拓己がこちらを見ていたんだ。
嬉しくなってまた拓己の方へ視線を戻すけれど、拓己は既にそこに居なくて。
姿を探せば、拓己はもう自分の席へと着いていた。
「ああ……」
小さな小春さんの声に、俺も同じ気持ちで小さく笑う。
自分以外にも喜んだり、残念がったりしてくれる人が居るのは少し、有難かった。
しかし、話せない。
拓己と話す隙がない。
あれから時々目が合うようになったけれど、こちらが何か反応をする前に、必ず視線を逸らされてしまう。
こちらを見るということは前ほど拒絶がなくなったのだろうかと思うけれど、やっぱりプリントを貰う時も、渡す時も、目は合わないままで。
いっそ手紙でも渡しちゃおうか、と思ったけれど、読まずに捨てられる可能性の方が高くて危険だった。
もし『二人で話したいです』なんて手紙を他の人に拾われたら、ラブレターか!?って騒ぎになるに決まっている。
かといって暗号を渡すわけにもいかなくて、本当、全然上手くいかないな、と細く溜め息を吐いた。
「あ」
「……」
「まっ、待って!!」
きいいん、と俺の声が響いて、若干恥ずかしくなるものの、突然現れた拓己の服の裾を掴んで離さなかった俺を褒めたい。
トイレから出ると、たまたま入ってこようとしている拓己と鉢合わせたのだ。
咄嗟に踵を返した拓己と、咄嗟に拓己の服の裾を掴んだ俺では、俺の方が勝てたようで。
動きが止まった拓己を確認して手を離すと、忌々し気に見られて若干息が止まった。
「手ぇ洗っただろうなカス」
「へ?あ、うん」
もちろん、と両手をかざして見せる。
見せたって何も分からないだろうけれど、一応、証明として。
拓己はちらと俺の手のひらを見て、それからすぐに視線を逸らす。
でも離れていかないことが嬉しかった。
それから普通に話せていることも、凄く嬉しかった。
「あの……二人で話したいんだけど、時間取ってもらえないかな」
「今」
「今はちょっ、と……放課後、俺の家はどうかな」
「あ?どこだよボケ」
「ああ……」
そうだった、拓己は俺の記憶がないんだった。
俺の家すら分からなくなっていたとは、と悲しくなる。
産まれた時からずっと傍に居たのに。
すぐ裏の道に、お互いの家があるのに。
「えっと、じゃあた……長谷川君、の家、とか」
「きめぇ」
「ですよね……」
そりゃあそうか、と思う。
ほとんど知らない状態の人間に、突然家に来られても困るか、と納得もする。
グサグサと刺さる拓己の冷たい空気に耐えるのも、休み時間的にも、そろそろ限界で。
早く決めてしまわないと、と焦っていたら、拓己の目が俺を見た。
「どこだよお前ん家」
「……あ、えっと……長谷川君、の家の、裏の通り」
「は?」
じとりと細められていた目が大きく開いて、明らかに驚いていることが分かる。
その反応で本当に忘れているのだと再認識して、また少し心臓が痛んだ。
「俺の家、長谷川君、の家の裏にあるんだ。えっと……南側、って言えばいいのかな」
「……」
「今日走って帰るから、家の前で目印として立ってるね」
約束ね、って言うと、拓己は溜め息を吐いて、トイレへと入っていく。
その姿を見送ってから、流石にここに居続けるのもな、と思って俺は慌ててその場を後にした。
「小春さん」
「滝藤君、どうしたの」
拓己と約束ができてすぐ、俺が向かったのは小春さんの元だった。
声を掛けるときょとんとしていて、今日も何度もバツ印をくれていたことを思い出す。
そんな小春さんには伝えておかないといけないと思ったのだ。
まだ仲直りとまではできていないけれど、話せる約束が取り付けられたことだけでも、伝えておきたかった。
「た……長谷川君、と、話せることになったよ」
「えっ!おめでとう!」
内容が内容だし小声で言うと、小春さんも小声で返し、喜んでくれる。
その姿に微笑んでいたら、突然、大きな音が響いてクラス全体がざわついた。
「だ、大丈夫か長谷川」
「……悪い」
音の原因は拓己だったらしい。
扉に思い切りぶつかったらしく、謝りながら手を擦っていて心配になった。
骨でも折れそうな音だったぞと思ったけれど、じっと見る俺とはやっぱり目が合わない。
病み上がりでふらついたか?大丈夫か?ってクラスメイトに心配されていて、全部に大丈夫だと答えていたから、大事ではないのだろう、けれど。
「頑張ってね!」
「あ、うん!ありがとう」
チャイムが鳴って自分の席に戻る小春さんを見送って、俺も席に着く。
拓己は珍しく机に突っ伏していて、やっぱりどこか調子が悪いのかな、と心配になった。




