避けられ注意報
「……こんにちは」
「颯太君、いらっしゃい!」
おばさんに誘ってもらった通り、俺は放課後、拓己の家に来ていた。
拓己が目を覚ましたという知らせは学校にも届いていて、朝からちょっとしたお祭り騒ぎだった。
冷たいと思っていた皆は全然そんなことなくて、あの時はただ、交通事故という言葉の重さを、それぞれ心の中で深く受け止めていたのだと聞いた。
話して、聞いて、ようやく分かることも多いなと思う。
図書館のオバサマが言ってくれたように、拓己とも沢山、話したいのに。
俺は先生に持たされた、拓己が休んでいた間のプリントを持って、拓己の部屋へと行く。
扉をノックすると返事はなくて、もう一度ノックしようとすると、『んだよ』とくぐもった声が聞こえた。
「た……長谷川、君。休んでた間の、プリントを持ってきた、んだけど」
「……入れ」
呼び掛けると、拓己の低く固い声が聞こえて、なんだか王様味が増したなと思う。
拓己は俺が拓己と呼ぶと物凄く嫌がっていたから、長谷川君と呼んでみたけれどギリギリ正解だったようだ。
返事がもらえたことにほっとして扉を開くと、ちょうどベッドから起き上がろうとしている拓己が見えて、慌てて駆け寄る。
「っ触んな」
「あ、ごめん」
何日も寝たきりで、起き上がることも辛そうな拓己を支えるつもりが、俺を振り払う動作で拓己の方がふらついていて申し訳なくなる。
その腕を掴んで引き留めてあげたかったけれど、触れることに拒否反応を示している拓己に今触れるのは、逆効果だと思った。
「……んだよ」
「あ、いや。プリント……机に、置いておくね」
ベッドの側にある机に歩み寄ると、託されたプリントの束を置く。
ついでにカバンを漁って、拓己用に書き取っていたノートも添えた。
拓己用に、と書き始めたのは拓己が休んで少し経った後だったから、それまでの分も自分のノートを書き写して、昨日早退した分も、今日クラスメイトにノートを借りて書き足してきた。
だから拓己が休んでいた間のノートは完璧に用意できたと思う。
その分、渡す日を楽しみにしていたから、こんな形で渡すことになって少しだけ寂しかった。
でも。
渡せただけ良かった、と思う。
渡せない可能性だってあったのだから。
「あの」
「……」
呼び掛けると、顔だけこちらに向けられる。
けれど目は合わなくて、全身から拒絶を感じた。
俺、何かしたのだろうか。
下級生をいじめていた人に向けるほどの視線を、俺に向けられるほどの何かを。
思い返して、心当たりがあるのは「どっか行っちゃえ」という言葉と、それから、キス、を、したこと。
俺を覚えていない拓己が、どこまで覚えているのか分からないけれど、俺が誰か分からない状態でキスされた記憶だけが残っているのだとしたら、それは相当な気持ち悪さだろうなと思って、ぞっとした。
それなら拓己のこの態度も納得がいくから。
オバケの拓己から了承は得ていたけれど、俺を忘れてしまった拓己からしたら、とんでもないことを。
「あの、俺のこと、覚えてないんだよね。俺は、その。たく……長谷川君、の幼馴染で」
「どうでもいいんだよカス」
「……え、あ、ごめん」
どうしよう。
泣きそうだ、と思ってしまう。
拓己の口の悪さには慣れていたけれど、この感じはこれまでと全然違っていて。
いつもはただ口をついて出ているだけの、よいしょ、とかに近い言い方だったけれど。
今の拓己から発せられる暴言は、明確な嫌悪感が込められていて、心臓が都度痛くなる。
だからどうしても今は上手く言葉が続かなくて、逆にこれまでの暴言は本当に悪意のないものだったのだな、と思った。
「用が済んだらさっさと帰れ」
「……うん」
ベッドに座っていた拓己がまた横になろうと体勢を変えていて、そうだった、と思い出す。
拓己は今座っているだけでも辛いかもしれないのだ。
それなのに付き合わせていて申し訳なかった。
開いたままだったカバンを閉めると、肩にかけ直して拓己を見る。
拓己はもうベッドに横になって、壁側を向いていて。
どんな顔をしているのか、起きているのか、寝ているのかすらも分からなくなってしまった。
「……た、長谷川君、あの」
いつか、思い出してね。
そう言おうとして、何をだろう、と言葉が詰まる。
幼馴染であったことをだろうか。
俺がどっか行っちゃえ、なんて言ったせいで、拓己が交通事故に遭ってしまったことだろうか。
オバケになった拓己が、俺の傍に居てくれたことだろうか。
俺が拓己を、好きだと言ったことだろうか。
拓己が俺を、好きだと言ってくれたことだろうか。
もちろん全部であればいいけれど、どれか一つなら俺は何を選ぶんだろうか。
思い出さなくても、傍に居る。
そう言おうと思っていたけれど、今日の拓己を見ていると、逆効果が気がしてしまった。
俺が傍に居るだけで嫌そうな拓己の、相当なストレスになるのだろうなと感じたから。
「なんでもない、また……あの、お大事に」
結局、「また明日」も言えなかった。
言う勇気が出なかった。
泣きそうな気持ちを堪えて、おばさんに挨拶をして、もう帰るの?って言葉には曖昧に笑って、負担になるといけないから、とかなんとか言って家を出る。
それから僅かな帰り道で、少しだけ泣いた。
学校では拓己に明らか避けられていた。
席が前後なのは仕方ないとして、それ以外は一言も話しかけてくるなよ、という圧を感じる。
お昼休みも決まってどこかへ行ってしまうから、俺は一人で体育倉庫の横に居た。
教室に居ればクラスメイトが輪に入れてくれるけれど、俺とは一切話そうとしない拓己に、皆も薄々何かを感じているようで、俺と拓己の扱いをはかりかねている、といった感じだったから少し気まずかったのだ。
拓己とまたお昼を一緒に食べられることを願って、信じて、減らさないままでいてもらったお弁当は、やっぱり食べ切るまでに時間がかかって。
拓己の目が覚めたという連絡をもらったあの日、全てを置き去りにして教室を出たけれど、一緒にお弁当を食べていた人たちが全て後片付けをしてくれたのだと聞いて物凄く申し訳ない気持ちになった。
お弁当箱を洗うことまでしてくれて、ロッカーに入れてくれていた皆にお礼がしたかったけれど、気持ち的な余裕がなくて、結局何度も頭を下げただけで終わっている。
拓己が目覚めることをあんなにも待ち望んでいて、拓己の目が覚めさえすれば、全てが解決だと思っていたのに。
拓己の目が覚めてからの方がいろいろ上手くいかなくて、空回ってばかりで、落ち込んでばかりいた。
せめて喧嘩であればよかったのに。
俺も拓己を、嫌えたらよかったのに。
生きて目の前に居て、皆も拓己が見えていて、拓己も全てに触れられて、それが嬉しくて仕方なくて、俺も触れたくて仕方なくて。
それなのに許されない心の距離が痛くて仕方なかった。
大きく息を吐くと、外のぬるい空気に触れていた首筋を汗が伝うのが分かる。
まだ肌寒いと思っていた春は一瞬で過ぎ去って、暑く長い夏が始まろうとしていた。




