知らねぇ注意報
気が付けば眠っていて、けたたましいアラームに叩き起される。
スマホは充電が満タンになっていてほっと息を吐いた。
これなら今日一日持つだろう。
本当は学校を休んで拓己の元へ行きたかったけれど、授業に出て、ちゃんと理解して、拓己の分のノートも取らなくてはと思う。
拓己が戻ってきた時、ちゃんとサポートができるように。
沢山泣いたせいで腫れてしまった目元は、朝から冷やして温めて揉んだけれど、腫れたままで。
仕方なくそのまま登校することにした。
クラスメイトには心配されたけれど、花粉症だと言えば、箱ティッシュを常に持ち歩いている子に抱き締められ、揺さぶられる。
頑張ろうな……!という熱い言葉には、嘘であるという罪悪感を抱きながらも頷いた。
お昼休みはいつも、他の人には見えない拓己と話す為に体育倉庫の横に行っていたけれど、その必要がなくなってしまったから教室で食べる。
珍しいね、って声を掛けてくれた近くの席の子達に混ぜてもらって、卵焼きの色凄く綺麗だね!と褒めてくれた子を筆頭に、皆へお弁当をお裾分けしたりもした。
拓己がずっと傍に居て、拓己しか見えていなかったから、クラスメイトがこんなにも温かい人達なのだと知らなかった。
拓己が交通事故に遭って学校へ来られなかった日、あまり拓己が居ないことを気にしていない様子の皆を冷たいだなんて思ってごめん、と思う。
俺が皆のことをまだよく知らなかったように、多分皆も拓己のことをよく知らなかっただけなのだ。
知らない人のことは好きにはなれないし、大切にもできない。
拓己が戻ってきたら皆とも関わってもらえたらいいなと思った。
その為にはやっぱり、ちゃんと戻ってきてもらわないといけないなと思う。
お弁当があと少しで食べ終わるという頃になって、制服のポケットに入れていたスマホが震えた。
普段は休み時間だろうと電源を切っているけれど、今日は連絡がくる瞬間を逃したくなくて、ずっと電源を入れたままにしていて。
慌てて箸を置くと、スマホをロックを解除する。
もう既にお弁当を食べ終わってまったりと雑談していた周りの子が、突然慌て始めた俺を何だ何だと見るけれど、気にしている余裕はなかった。
スマホを開くと、予想通りメッセージアプリに通知が来ていて、開けば、お母さんからで。
『拓己くん、目が覚めたって!』
そう書いているのを確認した瞬間、俺は勢いよく立ち上がっていた。
「ど、どした?」
「っごめん!体調不良!早退!」
「え!?」
「ええっ!?めちゃくちゃ元気そうだけど!?」
お弁当も席も何もかもそのままで、飛び出すと驚いた声が俺を追い掛けてくる。
けれど今は何よりも拓己が優先だった。
ようやく目が覚めたという拓己。
今すぐ会いに行く以外の選択肢など今の俺にはなかった。
「っあの!見舞いっ、で!」
全力で走って辿り着いた病院で、殆ど滑るようにして受付に行けば、何事か、と周囲の視線を集める。
院内ではお静かに!と道中窘められたけれど、俺の顔を見たいつもの受付のお姉さんが一瞬で察して、頷いて階段を指差してくれた。
「あとで来ます!」
見舞いは名前の履歴を残さないといけないのに、突然現れた俺の行き先を差してくれたお姉さん。
拓己の目が覚めたと知ってか知らずか分からないけれど、今は一秒でも早く会いに行きたかったから有難かった。
エレベーターを待つ余裕すらなくて、お姉さんが差してくれた通り階段を駆け上がる。
静かで清潔で少しだけ暗い階段に他の人は居なくて、二段飛ばしで上っていくと、三階まではあっという間だった。
いつもと違う場所に出たから少し迷ったけれど、なんとか三〇五号室の前に、辿り着いて。
ここまで勢いで来たけれど、いざ拓己に会えると思うと途端に緊張して手が震えた。
その手で胸を押さえて、大きく息を吐く。
何度か深呼吸した後ノックをすると、聞こえたのはおばさんの声で。
ここ最近で一番弾んでいるような気がして、やっぱりいいこと、つまり拓己の目が覚めたのだと感じた。
「おばさん!」
「颯太君!?」
扉を開くと、俺が現れるとは思っていなかったのか、驚いた様子のおばさんに頭を下げる。
それからカーテンを勢いよく開くと、ベッドの上で起き上がっている、拓己の姿があった。
「拓己……!」
「……」
今すぐ飛び付こうとした俺は、すんでのところで急ブレーキをかける。
それはおばさんが背後に居て見ているから……ではなく、拓己の視線に、違和感を覚えたから。
ここ数日のオバケの拓己と、どこか雰囲気が違う。
これは……そう、まるで喧嘩した後の、最高潮に機嫌が悪い拓己、のような。
「うるせぇカス」
「……え」
「こらっ!あんたまだ颯太君にそんな口の利き方してるの!?」
……ううん、おばさん。
拓己の口の悪さはいつも通りだよ。
でも違うんだよ。
喧嘩した後でも、拓己はこんなに冷たい顔を、俺には向けないのに。
お医者様のお話を聞いてくるわね、と病室を出ていったおばさんを見送って、俺は拓己の傍にある椅子に座る。
その時ですら心底嫌そうな顔をされて、心臓が痛んだ。
拓己のそんな顔を初めて見たかもしれない。
いや、一度だけ、見たことがある。
あれはいつのことだっただろうか。
「来んなきめぇ」
「拓己」
「あぁ?勝手に名前呼んでんじゃねぇよ」
「……え?」
俺が拓己を拓己と呼ぶのなんて、そんなの生まれた時からだ。
たまたま同じ時期に家を建てた仲とかで、全くの他人から大の仲良しになったお母さんたちは、同じ学年になる子供が互いに産まれたと知って、大喜びしたそうで。
きっと長い付き合いになるし、仲良くなるといいねって、本当に生まれた時からよく会わされていた俺たち。
寧ろ苗字で呼んだことの方が希少なくらい、名前で呼ぶのが当たり前で。
「……拓己、俺が誰か分かる?」
「知らねぇよカス」
「…………」
まさか、が当たってしまって唖然とする。
まさか。
俺……のことを、忘れてしまったの。
それと同時に、思い出してしまった。
下級生をいじめて追い掛け回していたクラスメイトを、逆に追い掛け回して蹴散らした拓己が、あんな顔をしていた。
心底嫌そうで、心底見下したその顔を。
「もう、颯太君、学校を飛び出してきたんですって?学校からお母さんに連絡があって、きっとここだろうって連絡もらったわよ」
「……ごめんなさい」
「あらあら怒っちゃいないのよ。ずっと拓己を心配してくれていたものね、来てくれてありがとう。でも、お母さんにはちゃんと連絡してね」
おばさんが戻ってくると、早々に叱られて、でも甘やかされる。
きっと俺のお母さんも心配しているだろうなと思ってスマホを開けば、大量の着信履歴があってぎょっとした。
「電話するなら入口まで出ないとね。拓己は今日もう一日入院して、明日には帰ることになったから!また明日、よかったら家に遊びにおいで」
「……いや……うん」
「もちろん放課後に。ね!」
「……うん」
優しく促されて、病室を出ると頭を下げて病院の受付へ行く。
さっきすっ飛ばした署名をしに行くと、いつものお姉さんが対応してくれて直接お礼を伝えることができた。
お姉さんはもう帰るの?というような顔をしていたけれど、何も聞かれなかった。
病院を出ると、お母さんには『帰ります。迷惑かけてごめんなさい』とメッセージを送って、言葉通り真っ直ぐ家に帰ることにした。
カバンも何も持たずに飛び出してきてしまったけれど、今から学校に戻る気分でもなかったから。
それに、一人で考え事をしたかった。
ようやく戻ってきた拓己が、俺を忘れてしまったことについて。
ようやく戻ってきてくれたのに。
俺が言ってしまった、どっか行っちゃえ、という言葉の重さをずっと、ずっと感じている。




