空白注意報
拓己が消えてしまった。
オバケの拓己が目の前で、俺に好きだと告げてから。
拓己本体は俺のキスでは目を覚まさないままで、オバケの拓己が消えてしまったのに、それでもまだ目を覚まさないまま。
頭の処理が追い付かなくて、ただ呆然として、視界に入ったのは録画していたスマホで。
慌てて停止して再生するのに、記録されていたのは俺の声だけだった。
何度繰り返し再生しても俺の声しか聞こえない。
驚いて、呼び止めて、力を失う俺の声。
それだけで拓己とのやり取りは本物だったのだと分かる。
けれど、拓己本体は未だ眠ったまま、一定の呼吸を繰り返していた。
「……拓己」
もっと話そうよ。
俺は拓己が好きで、拓己も俺が好きならさ。
もっといろんな話をしようよ。
いつから俺のことが好きだったの、とか。
俺のどこが好きなの、とか。
全部教えてよ。
俺も全部話すからさ。
全部、話させてよ拓己。
布団から出ていた拓己の手を握って、何度も何度も心の中で問いかけるのに、拓己の目は開かない。
俺の手の中にある拓己の手は確かに温かくて、ちゃんと触れられるのに。
触れられないけれど話せる拓己と、触れられるのに、話せない拓己。
そのどちらが欠けてもダメで、でも、そのどちらかだけでもまだ在るなら望みはあって。
でもオバケの拓己が消えてしまったことが気掛かりで仕方なかった。
どうしよう。
ただ成仏しちゃっただけならどうしよう。
俺はあの世へ行かせるために、気持ちを伝えたんじゃないのに。
零れる涙をそのままにしていたら、「院内をぐるっと一周歩いてきたわよ〜、ずっと座ってるのも疲れるものね」と言いながら帰ってきたおばさんに大層驚かれて、すぐに家へ帰された。
まだ面会時間の余裕はあるしギリギリまで拓己の様子を見ていたかったけれど、「それは私に任せなさい、目が覚めたらすぐに連絡してあげるから!」と言われては、頷くしかなかったから。
それでも病院を出てすぐの生垣の隅に座って、暫くの間泣いていた。
スマホを握りしめて、真っ暗な録画を再生して、拓己と話していた事実を何度も確かめる。
夢だったのかな、とか。
俺の妄想だったのかな、とか。
そういう不安や恐怖に襲われるから、何度も何度も聞いて確かめた。
それに、もしかしたら拓己の声も入っているかもしれない、と思って。
けれど何度聞いても、俺の声しか再生されない。
やがて夕日が沈みそうになって、さすがに帰らなくてはと立ち上がる。
ずっと録画を再生していたスマホは充電が切れそうになっていて、慌ててお母さんに『今から帰る』とだけ送った。
今夜にでも、おばさんから拓己の目が覚めたという連絡が来るかもしれないのだ。
早く帰って、スマホの充電をしなくては。
拓己と何度も歩いた道に差し掛かって、止まりかけていた涙がまた溢れたけれど必死に走った。
まだ拓己は居る。
まだ拓己の本体は、この世に居る。
家に帰ると、こんなに遅いの珍しいわね〜、というお母さんの声が聞こえて、うん、とだけ返して制服を着替えに部屋へ戻る。
ほんの少しだけ期待していた室内は、やっぱり拓己の姿が無くて力が抜けた。
拓己がオバケの体になってから、よく座っていたラグに触れる。
そこにあるかもしれない体温を探したけれど、やっぱり無くて、また涙が溢れた。
そのまま倒れ込むと、並んで寝た日のことを思い出す。
あれから俺たちはずっと並んで寝ていたから、より居なくなった実感が襲ってきて、もっと泣いた。
事故に遭って、傍から居なくなりかけた拓己は、それでもオバケの体になって俺の傍に居てくれた。
触れられないし、時々俺を見て寂しそうに笑う姿はいつもと違ったけれど、口の悪さとか、話すテンポとか、温度感とか、そういうものはずっと変わらず、ずっと傍にあったもので。
だから、より空っぽになってしまったことを感じる。
見慣れた前の席の空白は、後ろに拓己が居るから気にならなくなっていたのに。
自分の部屋も、通学路も、全部あの空いてしまった席のように空っぽが付き纏う。
「お風呂入んなさーい!」
「……うん」
お母さんの声を聞いて、拓己がすり抜ける体を使ったイタズラをしてきて叫んだ日を思い出す。
口は悪いけれど、俺が落ち込んでいたら、拓己なりのやり方で励まし慰めてくれていた。
……拓己、早く戻ってきて。
きめぇでも、ハゲでも、なんでもいいからさ。
いつもみたいに言って聞かせてよ。
俺もいつもみたいに、言い返すからさ。
泣き腫らした目でご飯を食べても、お母さんの問い掛けにあまり反応しなくても、お母さんは変わらずお母さんで、早く寝なさい!と部屋に戻される。
お母さん同士仲がいいから、俺が今日拓己の病室へ行って大泣きしていたことを、おばさんから聞いているのかもしれないと思った。
けれど追求せず、いつも通りなお母さんが有難かった。
毎朝ベッドに戻していた布団を、今日も床へ下ろす。
ラグの横のいつも通りな位置へ並べると、ラグって結構広かったんだなと思った。
大きな拓己が寝転んでいたから、寧ろ小さいとまで思っていたのだ。
また空っぽを感じて泣きそうになって、頭を振って布団に潜り込む。
スマホは充電器に繋いだままで、またあの録画を再生した。
聞こえる声は俺のものだけだけれど、拓己がなんて言ったのか、俺の声があるお陰で鮮明に思い出せる。
頭の中で何度も何度も拓己の声を繰り返し再生して、拓己が言った『好きだ』の意味を考えていた。
友達として、親友として、家族として、半身として。
それから、恋として。
拓己の好きはどれなのだろうと思って、やっぱり沢山話す必要があると思った。
俺が言った好きの意味も聞いてほしい。
ずっと拓己の傍に居て、抱き締めて、そんな寂しい顔しないでって、撫でてキスしたくなるような好きなんだって、伝えさせてほしかった。




