お休み注意報
ようやく迎えた放課後で、俺は走って駅前の図書館へ向かう。
歩き辛いという拓己にはゆっくり付いてきてもらって、俺はとにかく昨日本の貸し出し処理をしてくれたオバサマのところへ急いだ。
それなのに。
「お休み……ですか」
「ええ。ベテランの方よね?」
「はい」
「今日はお休みね、何かお約束だった?」
「いえ……」
まさか今日出勤されていないとは思わなかった。
昨日やっぱり引き返して聞くべきだった、と悔やむけれどもう遅い。
「明日はその方、来られますか?」
「明日は……ええ、出勤ね」
聞けば引き出しから細かな表を取り出して確認してくれた職員さんが、頷いてくれる。
明日……明日か。
明日で間に合うだろうか。
足元が覚束なくなっている拓己は、明日まで耐えられるだろうか。
けれど今はあのオバサマしか手掛かりがない。
明日また来ます、と告げて踵を返すと、追い掛けてきているはずの拓己を探すことにした。
「ちょっと待って!」
「……へ」
焦ったような声が聞こえて、振り返ると先程対応をしてくれていた方で。
こちらへ駆けて来るその姿を眺めていたら、白色の何かを差し出される。
見ればそれはスマホで、画面には見知らぬ番号が並んでいて。
「今丁度、言ってた方から電話が来たの。何か御用だったのよね?お話される?」
「っはい!」
慌ててスマホを受け取ると、耳に当てて何から話そうか迷う。
自己紹介、いや拓己のこと、電話代だって掛かるし、早く、何か。
『……昨日の方かしら?』
「っはい!あの俺、幼馴染を救いたくて」
『幼馴染……そう、同じ学校なのね』
「はい、先週交通事故に遭ってからオバ……ケみたいになってしまって、その」
オバケで正しいのか分からないけれど、オバケしか思いつかなくてそう言う。
スマホを貸してくれた方はオバケという単語を聞いて、驚いた顔をしているから気まずかった。
『先週……それなら今は彷徨っているのね』
「彷徨う……?」
『ええ、あの世とこの世を』
「……あ」
言われてみればそうだ。
拓己の本体は容態が安定していたから、オバケの拓己が消えてしまうことばかりに意識がいっていたけれど。
今の拓己はあの世とこの世を彷徨っている最中だ、という可能性もあった。
そのことを認識すると、頭が真っ白になってしまって、何も考えられなくなる。
拓己の死をこれまでよりもずっと近くに感じて、指先が一瞬で冷えた。
『彷徨っているということは、本人に迷いがあるんじゃないかしら。昨日早く帰りなさいと言った時、少し気まずそうにしている雰囲気を感じたから……あの世へ行くというよりも、体へ戻ることを迷っているのかもしれないわね』
「迷っている……」
迷う要素がどこにあるというのだろう。
拓己も毎日俺と一緒に、体に戻る方法を探していて。
俺に触れられなくて寂しそうに笑っていた拓己を思い出す。
寂しく思うならこの世へ戻って来てよ、と、叫び出したい気持ちになった。
『あなたがもし話せるのなら、直接聞いてみるといいわ。ああいった類のものは、心残りの傍に居るものだから』
「え」
心残りの、傍。
拓己は事故に遭ってから、ずっと俺の傍に居る。
それは俺が傍に居てほしいと拓己に願ったからだと思っていたけれど、最初から拓己の意志で俺の傍に居たのだろうか。
だとしたら、何故。
余計に謎が深まって、考えを巡らせていたら『頑張ってね』と優しい声が聞こえる。
『頑張って、沢山話してね。直接話せるのは、生きているうちだけよ』
「っ、はい」
生きているうちだけ、の言葉に視界が滲む。
死んだらもう二度と話せないのだと、再認識したから。
お礼を言ってスマホを返すと、目の前の方は心配そうに俺を見ていた。
だから深くお辞儀をして、その場を去る。
なんの話?と聞いている声が背後から聞こえて、恐らくきっと、あのオバサマなら上手く流してくれるだろうと思った。
「もういいのか」
「……拓己」
図書館の前で待っていたら、拓己が現れてほっと息を吐く。
すれ違いになるといけないからここで待っていたけれど、正解だったようだ。
一本橋を渡るように両手でバランスを取りながら現れた拓己は、ちゃんと真っ直ぐ図書館まで向かってきてくれていたらしい。
「本はもう……よくなった。拓己と話したいから、家に戻ってもいい?」
「……いいけど」
なんの話だよって不審そうな顔をしている拓己に笑って、ゆっくりと歩き始める。
付いてくる拓己を時々振り返って見ながら、止まらずにただひたすら歩き続けた。
走って図書館まで来て、かいていた汗はさっき感じた体の芯が冷えるような感覚で引いていて。
けれどこうして夕日を背に感じる中歩くと、またじわりと汗をかいてくる。
その点涼し気な拓己が羨ましかったけれど、やっぱり歩き辛そうにしているのが気になった。
触れられるなら、支えてあげられるのに。
何もできない俺は、拓己が追い付けるスピードで、ゆっくり家へと帰った。
「拓己、心残りがあるの?」
「はあ?」
家に着いて、部屋に入って早々に拓己を問い詰める。
ようやく座ることができて落ちついていた拓己は、また思い切り怪訝そうな顔に戻ってしまった。
「昨日拓己が少し見えてたオバサマと話せたんだ。拓己に心残りがあるから、体に戻れていないのかもって」
「……」
ラグの上に座る拓己の傍に俺も座り込んで、拓己の顔を覗き込む。
その心残りさえ解消できたら、拓己は自分の体に戻ることができるかもしれないのだ。
それなら急いで解消したい。
解消ができれば、間に合う可能性が高くなる。
まだギリギリ体が浮いていない今なら、なんとか、きっと。
「ねぇ、話して。思い当たることは?何が引っ掛かってるの?俺にできることは?」
焦る気持ちそのままに問い掛けると、拓己はもっと顔を顰めて離れていく。
だから俺は拓己が離れた分だけ詰め寄って、逃がさないぞ、という顔を作った。
拓己にどう見えているかは分からなかったけれど、俺の気持ちはしっかりと固まっていた。
「うぜぇ」
「もう!」
「あー……でも、そうか」
「……心当たりがあるの?」
「……」
拓己は空中を見て、何か思い当たったようでいて。
絶対何か考えているはずなのに、頑として口を開かないからもどかしい。
それでもめげずに拓己の目を見ていたら、耐えられなくなったのか拓己が息を吐く。
「言ってよ」
「言わねえ」
「なんで!?」
拓己を救うヒントなのに。
拓己を救う、最後のチャンスかもしれないのに。
肩を掴んで揺さぶって、言うまで離さないぞ!ってしたいのに触れられなくて、ただ手をガタガタと揺らすだけになる。
拓己はそんな俺を呆れた顔で見ていて、でもやめる訳にはいかなかった。
「……明日、本体に会いに行け」
「へ」
「そしたら何か分かる気がする」
「……わ、かった」
拓己が言うならそうなのだろう。
大人しく頷いて離れると、拓己はまた息を吐いて、ラグの上で横になった。
今日はずっと歩き方に集中していたから疲れていたのだろう。
そのまますぐに寝息が聞こえてきて、俺は暫くその音を聞いていた。
柔く触れたつもりの頭は、やっぱりすり抜けて撫でられなかった。




