真っ赤注意報
「はよ」
「はいはい」
お風呂に入って、ご飯を食べて、自室に戻ると拓己が本の前に座っていて。
とりあえず借りてきた本の参考になりそうなページを開いて拓己には読みながら待っていてもらったけれど、既にそのページを読み終えた拓己が暇そうにしているから急いで歩み寄った。
拓己は本に触れられないから、ページを捲るのは俺の役目で。
俺も拓己の隣に座り込んで、早く次のページを見せろという要求に応える。
それから、透けるオバケの体とはいえ、拓己とこんなに近くで並んで同じ本を覗き込むのは初めてだなと思った。
感じないはずの拓己の体温や呼吸が、傍にある気がして落ち着かない。
「ん」
「待って、俺まだ」
「早くしろハゲ」
「ハゲてないってば」
近いせいか拓己の声が抑えられていて、何故かゾワゾワする。
ちょっとだけ上体を拓己から離すと、視線の圧を感じて気まずくて、体を元の位置に戻した。
なんだろうこれ、本当に落ち着かない。
「早く」
「っ、まって」
本を見ていた拓己が、こちらを向いて言うせいで耳がもっとゾワゾワする。
何これ、なに。
変な感覚を逃がすように息を吐いて、まだ全然読めていないけれど、ページを捲る。
拓己からの視線はずっと感じていて、俺の目は同じ行を何度も追いかけていて。
「耳真っ赤」
「……へ」
拓己の声がして、見ると目が合う。
真っ直ぐこちらを見てくるその目は、俺から視線を逸らすと、俺の耳辺りを見て。
つられたように耳の熱さを実感して恥ずかしくなった。
見ないでって声は、声にできたか分からなかった。
手を伸ばしてくる拓己に目をぎゅっと閉じて、耳に触れられる感覚を待って。
けれどいつまで経っても触れなくて、目を開けると、寂しそうに笑う拓己が見えた。
ここに居るのに、触れられない拓己。
「今日、また体が軽くなった」
「……そんな」
予感はしていたけれど事実として聞くとまた違う。
軽くなり続けて、消えるかもしれない拓己。
まだ手がかりは何も見つけられていなくて焦る。
やっぱり明日はまた駅前の図書館へ行って、今日拓己の存在を感じていられそうだったオバサマに会いに行こうと思う。
「まあ。消えるまでは、傍に居てやる」
「……」
居なくならないで、傍に居て。
俺のそんな願いを叶えてくれるという拓己。
嬉しいようでいて、消えることは確定していて、受け入れてすらいるその言い方が辛くて仕方なかった。
俺の願いはそうじゃない。
消えるまでじゃなくて、消えずに傍に居てほしい。
拓己に手を伸ばすと、拓己は逃げずに、じっとこちらを見ていて。
「消えないで」
「……」
そのまま拓己の方へと寄りながら、抱き締めるように両腕で空を引き寄せる。
視界の中では腕の中に拓己が居るのに、熱も、匂いも、肌も、何も感じない。
深く息を吸い込んで、吐く。
やっぱり感じるのは俺の部屋の匂いだけだった。
「逃げないね」
なんとなく、意外だなと思った。
当たらないけれど俺を殴って、さっさとすり抜けてどこかへ行ってしまうと思った。
でも拓己は黙ったまま、触れられないけれど俺の腕の中に居る。
「逃げてほしいのかよカス」
「……ううん」
静かな拓己の声は何を考えて、何を感じているのか読み取るのは難しかった。
口の悪さは相変わらずだけれど、そこに悪意は感じられない。
俺が否定するとまた静寂が訪れて、微かな拓己の呼吸音だけが聞こえる。
そういえば病室へ行って拓己の本体と会った時も、呼吸している音にやけにほっとしたことを思い出した。
それから幼い頃、途中で俺一人だけが目覚めてしまった時、隣で眠る拓己の穏やかな寝息で、俺もまたすぐ眠りに就けたことも。
「消させない……消させないから」
俺の声に、拓己は応えなかった。
それでも逃げないことに、酷く安心していた。
学校の休み時間で図書室にも行きたかったけれど、授業の合間は忙しくてそんな余裕がなかった。
俺用と拓己用で二冊のノートに先生が書いた文字を書き写していたから。
拓己は、戻ってくる。
俺が何としても連れ戻す。
だから、戻ってきた時に困らないように拓己用のノートも取っていた。
拓己は今日も後ろで授業を受けている。
だから授業の内容は理解しているはずだけれど、ノートも必要だと思うから。
それからお昼休みはやっぱりお弁当を食べ切ることに必死だった。
少し体が慣れてきたのか、いいペースで食べ進められるようになってきている気がする。
けれど、食べ切るにはお昼休みの時間全部を使う必要があった。
体育倉庫横まで移動しなければもう少し余裕があるのかもしれない。
でも俺は拓己と二人で、ここに居る時間が結構好きだった。
特別何かを話す訳でもない。
ただ俺が一生懸命お弁当を食べて、拓己は隣で座っている。
明日は本を持ってきたら拓己も暇じゃないかな、と思って、明日も無事来られるのかな、と少しだけ心が不安に覆われた。
毎日身体が軽くなっているという拓己は、今朝から少しだけ歩き方が変で。
意識して足を地に着けないと、グラついて危なからゆっくり踏みしめる、みたいな歩き方をしている。
だから急がなくてはいけない。
もしそのまま体が浮いてしまったら、全てがすり抜けてしまう拓己を繋ぎ止めることはできない。
手を離してしまった風船みたいに、遠く遠くまで飛んでいく拓己を想像してぞっとした。
俺も拓己を掴めないし、拓己も何も掴めないから。
ぶつかることなく、どこまでも行けてしまうその体が怖く恐ろしい。
「はよ食えチビ」
「……拓己がでかいんだよ」
いつの間にか止まっていた手を動かして、またお弁当を食べる。
俺より大きいのに、きっと今は俺より軽い拓己。
それから、寝たきりの拓己本体のことも想う。
ずっと寝ているはずだから、体力も筋力も落ちているだろうなと思った。
起きたらまずリハビリだろうか。
なんだっていい、なんだって付き合う。
とにかく目を覚ます、話はそれからだ。
俺は卵焼きに齧り付くと、素早く咀嚼した。




