07:キャンプ(後編)
目的地の海は、扇野くんとハンバーグを食べた観光地から更に奥地にある、水が綺麗なことで有名な海水浴場だった。小さい頃家族で毎年来ていた場所。とは言っても懐かしさを覚えるほどの思い出もなく、家族で海水浴と言えばここだったな、という程度。
荷物を両手いっぱいに持った人たちが、場所取りに忙しく動いている。私も自分の荷物を肩にかけて、美夕と2人でクーラーボックスを運んだ。
男の子たちがテントを張っている。みんなすごく手際がいい。私は人生で一度もキャンプをしたことがなくて、テントを張る様子を見るのも初めてだった。男の子ってこういうことが当たり前にできるものなんだ。
あっという間に3つのテントが完成した。及川さんが「テントは女子だけなー。適当に荷物入れておいて」と大きな声を張り上げている。
「沙樹、テント取ろ」
そうだね。2人で一緒のテント使えるように、早く荷物置いてしまおう。
1つのテントに鞄を2つ並べて置いておいた。保冷バックだけ持って外に出る。今日はうんざりするほど暑い。けれど目の前は海だ。早く入りたいな。
横山さんと廣田くんが、敷物を引いて場所取りをしてくれていた。美夕と一緒にサンダルを脱いで敷物の上に座る。お弁当を出して並べていたら、横山さんが紙コップに烏龍茶を注いで渡してくれた。
「うわー旨そう!2人共大変だったでしょ。ありがとね」
お世辞でもそう真正面から褒めてもらえると嬉しかった。美夕もまんざらではない顔をしている。保冷バックの中から紙皿と割り箸を4人分出した。
「どうぞ」
みんなでおかずをつまみながらおむすびを食べた。私は美夕の作ったおむすびをかじる。中には梅干しが入っていた。梅干しは私が好きなおむすびの具トップ3に君臨する具材だ。
「えっ?」
怪訝そうな声のした方を向く。廣田くんが私のむすんだおむすびをしげしげと見ている。おむすびは半分くらい食べたところで、中の具がむき出しになっていた。何?何か変だった?
「――チーズ?」
それは母直伝、我が家伝統のおむすびだ。ほぐした焼き鮭と角切りのチーズを入れた鮭チーズおむすび。それを食べて育ったから、私の中では当たり前のおむすびだったけれど、もしかして変?
急に不安になって、中身の説明だけをする。
「うん、鮭チーズ」
「おいしい」と言って廣田くんはペロリと食べ終えると、もうひとつ私のおむすびに手を伸ばした。
「えー!私も食べたい!」
美夕も鮭チーズおむすびをおいしいと言ってくれた。横山さんも「美味である」なんて柴侍のマネなのかな、笑いながら食べている。
お弁当を食べ終えた人たちが次々と海へ向かって走っていく。いつの間にか膨らませた浮き輪がいくつも並んでいた。そろそろ私たちも限界だ。冷えた烏龍茶程度では暑さをしのげそうにない。
「俺たちもそろそろ行きますかっ!」
言い終わらないうちに横山さんがTシャツを脱いだ。美夕と私は慌ててお弁当箱を片付ける。
「着替えておいでー。ゴミは俺らで片付けておくから」
「ありがとうございます」
綺麗に空っぽになったお弁当箱を保冷バックの中に戻してサンダルを履く。バックの底にはもうひとつのお弁当箱がずしりと重みを残していた。
海に入るなんて何年ぶりだろう。
女子高生の辞書に「海」という文字はない。
……少し盛りすぎた。女子高生だったころの'私'には「海」という文字が存在していなかった。友達の中には年上の彼氏持ちって子もいたし、他校の男の子と付き合ってる子も珍しくはなかった。だから夏に海に行った話も、きっと何度も聞いていたんだろうけれど、私とは無縁だった話。
そんな私が、今大勢のバイト先の人たちに混ざって海辺に来ている。少し不思議な気持ち。
蒸し暑さマックスのテントの中で美夕と着替えを済ませた。降ろしていた髪を軽く頭の上でお団子にする。美夕もサラサラの長い髪を器用にまとめ上げていた。
「行こ!茹だりそう」
そう言い残すと美夕は飛び出していった。私も日焼け止めを塗って美夕を追いかける。
美夕が走っていった先には浮き輪を2つ持った横山さんと廣田くんがいた。自然と配車ごとのグループで遊んでいるみたい。私もそこに追いつく。4人共汗まみれだ。
誰が言いだすでもなく、4人で海に入る。汗だくだった蒸し暑さが嘘みたいに気持ちがいい。
「くわーっ!やっぱ夏は海だねぇー」
「ほい」と渡された浮き輪につかまって、海の中をぷかぷかとする。ちらっと隣にいる美夕を見ると、美夕もゴキゲンで浮き輪に身を委ねていた。
そのうち波に流されるように近くにいた人たちと合流して、みんなで騒いだ。浮き輪を引っ張ってもらったり、いつの間に用意していたのか水鉄砲で思い切り水をかけられたり。
楽しかった。女友達とだけでは味わえないちょっと特別な時間――そんな感じだった。
「一旦飯の準備するぞー」
砂浜で両手を口の横にあてた及川さんが大声で呼んでいる。みんなで海から上がり、タオルで身体を拭いた。身体がほどよく冷えていて、暑さも全く気にならない。
ここでも男の子たちの手際の良さに驚かされた。なんでかまどの組み方なんて知ってるの?たくさんの飯盒が吊るされて、大きな鍋ではカレー作りが始まった。
「扇野と田口は?」
及川さんが近くにいる人に聞いている。扇野くんのことは朝から一度も見かけていない。
「夕方合流するって言ってました」
誰かが答える。及川さんの舌打ちが聞こえた。「またあいつら......」
田口って人も、毎日のようにシフトに入っている人。ひとつ年上で横山さんと同じ歳。確か専門学校に通ってるって聞いた。背が高くて、いつも猫背で片方だけ口角の上がった独特の笑い方をする人。正直に言ってニガテな人。そして扇野くんが唯一仲良くしているバイト先の人。
今までうっすらとは感じていたことが、さっきの及川さんの言葉ではっきりと輪郭を持ってしまった気がする。扇野くんは、ちょっと浮いてる。ネーヴェフレスカでは仕事ができる普通の人。だけど、プライベートでは舌打ちされちゃうような人なんだ。
そんな空気を知ってか知らずか、田口さんを乗せた扇野くんの車が到着したのは、カレーが完成した後だった。
晩ごはんにはまだ早い時間。そろそろ海の水も冷たくなりかけていたものの、私たちはまた海に入っていた。先程のような勢いはなかったけれど、それでも楽しかった。浮き輪で浮かぶのってすごく楽しい。これはナイショだけれど、私は泳げない。だから浮き輪の存在はとっても頼もしかった。
ぐいっと急に後ろが重たくなり、私はバランスを崩す。びっくりして振り返ると、浮き輪に扇野くんが両手をかけて笑っていた。
「水着、可愛い」
第一声がそれなんだ。今日はね、みんな早起きしていろんな準備をして、ここに来たんだよ。男の子たちはテントを張ったり、かまどを作ってくれたりしたんだよ。カレーだってみんなで作り終えたんだよ。
そんな思いを全部飲みこんで、私は一言だけ返した。
「遅かったね」
返事は聞きたくなかった。また扇野くんのお父さんの足が折れそうだもの。
その後、太陽が沈む前にみんなでカレーを食べた。どんな味だったのかはよく憶えていない。
順番に海の家でシャワーを浴びて、着替えを済ませた。夜の海は昼間の暑さが嘘のように思える。涼しくて快適だった。
「花火やるぞー」
バケツに水を汲んだ及川さんが海から歩いてくる。
両手に花火を持って振り回す、花火の遊び方見本みたいに騒いでいる人がいたり、ドラゴン?だっけ。噴出花火を一斉につけたり、私はぼんやりとそれを眺めていた。
「沙樹?花火しないの?」
美夕が緑色の炎を吹き出す花火を片手に笑いかけてきた。反対の手には線香花火を何本か持っている。
私はそれを1本受け取って、ろうそくに近づけた。
パチパチと輝きだした線香花火は、徐々に小さく、そして最後は煙だけを残して消えていく。
こんなにたくさん人がいるのに、なぜか寂しくなった。
夜。私はテントの中で美夕と寝っ転がりながら、話をしたりうつらうつらしたりを繰り返していた。女の子はテントを使っていいとのことだったけれど、朝まで外でワイワイ騒いでいる人たちもたくさんいたみたい。だからその大きなテントは、ほぼ美夕と私の貸し切りだった。
次の朝。まだ空気が白く感じる。時間を見ると5時前だった。飲みながら寝落ちしたのか、そこら中で人が転がっている。隣で目を覚ました美夕が眠そうに目をこすりながら起き上がった。
「おはよ」
顔を洗いに行こうと小さなポーチを持って美夕と外に出る。その時だった。
嶋村って子が、転がっている人たちの間を放心したように歩いていた。幽霊みたい――そんな感じの足元がおぼつかない異様な雰囲気。一目で何かあったとわかる様子。
誰もが声をあげずにそれを遠巻きに見ていた。その子は同期だけどほとんど話したことがない。私は男の子のことはちっともわからないけれど、女の子を見る目にはそこそこ自信がある。その子とは合わない、初対面でそう感じていた。なんて言ったらいいかな、美夕とは別のタイプのすごく気が強い子なんだ。女王タイプ、って言ったら伝わると思う。そんな感じの子。
「何あれ、今ヤってきましたってアピール?きもっ」
美夕が思い切り毒づいている。
やっぱそうなんだ。深夜、あの子を連れ出す扇野くんを私は偶然見てしまった。私ですら感づいたんだから今、嶋村さんのことを見ている誰もが察知してるに違いないよね。
もういい、何も考えたくない。全部忘れよう、元々私には合わない世界の人だったんだ。
顔を洗っている間、涙が止まらなかった。悲しいんだね、私。悔しいのかな、私。
しっかり水気を拭き取ってメイクをし直した後、私はLINEを開いて扇野 柊介をブロックした。さようなら、私の初めての恋。




