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外伝:横山 竜彦

 海老名生まれ、川崎育ち。家族は両親と弟がひとり。

俺、横山 竜彦――18歳で進学のため実家を離れ、今に至る。


 さまざまな希望に胸を膨らませて進んだ進学先。その寮は想像を絶するむさ苦しい世界だった。俺の華やかな学生生活の夢が一瞬にして音を立てながら崩れていく予感がする。このままじゃヤバい。


周りのやつらが堅実にカテキョのパイトを見つけていくのを尻目に俺は、レストランで働くことを決めた。どうせ働くならカワイイ女の子がいる方が楽しいじゃん。


 右も左もわからぬ未知の土地で、俺はなんとなく名前の響きだけでバイト先を決めた。[ネーヴェフレスカ]イタリア語で確か粉雪という意味だ。それだけで北国で暮らしている感じがするだろう?


が、同期の9割は男だった。及川、山下、田口……。女の子も数人入ってきたのに、夏になるまでには誰も残っていなかった。でも結構旨い賄いはでるし、そう悪いバイトでもない。俺は週に何度か働き続けた。


 そして1年後、ようやく後輩ができた。余談だが、無事第一希望の理学部にも進むことができた。余談じゃないって?まあそうだよな。この地に来たのは大学が目的だ。けど、あえてその話は置いておこう。

その年のネーヴェフレスカには女の子もたくさん入ってきた。でも名前を挙げるほどの子はいない。理由は聞かないでくれ。今も残ってる子は何人もいる、とだけ付け加えておこう。


 数多く入ってきた新人の男の中のひとり、廣田 律。律は仕事覚えの早いやつだった。高校時代から接客業の経験があったのかもしれないな。気がつけば俺は律と仲良くなっていた。

最初こそ敬語で話していた律だったけれど、直にそれも取れた。口数は決して多くはない。むしろ少ない方だ。自分からは滅多に話しかけてこない。けれど、きちんと会話の出来る男だ。ネーヴェフレスカで1年が過ぎて、俺はやっとまともな友達ができた気がした。


 律は地方出身だと聞いた。俺も他県から来てる身だが、1年先に住んでいる分俺の方が若干S市に詳しくなっていた。律とはたまに飯を食いにいったり、買い物にいくような間柄になった。その前後に俺は車を手に入れた。幸か不幸か1年目に貯めたバイト代はほとんど手元に残っていたからな。中古車1台買うくらいのゆとりはあったんだ。ああ、だけど律と車で出かけたことはないよ。気持ち悪いじゃん、男2人でドライブ、とかさ。それはなし。唯一助手席に乗せたのは、バイト先の恒例キャンプの時だけだ。その時は後部座席にも何人か乗せたけどな。


 そんな、可も不可もない生活を過ごしつつ1年はあっという間に過ぎた。年が明けて春が来れば俺は大学3年になっていた。早すぎるぞ俺の青春。


この年もネーヴェフレスカは大量の新人を採用していた。悲しいことに、それでも俺の生活が変わることは一切なかった。念の為付け加えておくと、別に俺は理想が高いわけじゃない。


 が、ひょんなことから、俺の判を押したような生活に小さな変化が訪れることとなった。

きっかけは律だった。いつ頃からだっただろう――多分5月の頭には俺も気がついていたと思う。律が新人の女の子を目で追っている。あからさまにではない。近くにいたら、目を留める。注意して見ていないとわからない程度だが、俺にははっきりとわかった。


 今年の新人伊藤 沙樹ちゃんだ。ほとんどの子が高校を卒業してすぐ入ってくるところ、あの子は律と同じ大学2年生だと聞いた。今時珍しい雰囲気の子だ。なんて言ったらいいかな、一昔前の女子高の子って感じ?尤も俺も一昔前の女子高なんてものは知らないから、そこはイメージでしかないんだけど。


いかにも男慣れしていないってところが可愛らしいとは俺も思った。仕事の説明をしただけでまごまごと口ごもりながら、メモを取っている姿はまるで小動物だよ。女の子ってよりも俺にとってはリスとかウサギみたいなイメージの子だった。


 でもなー、あの子は止めておいた方がいい。俺は新人歓迎会の夜のことを思い出していた。伊藤ちゃんはあの夜扇野につかまっていた。扇野はどうにも胡散臭い男だ。俺の同期の田口とつるんでるところからして信用のならないやつってことがわかる。あの2人同じ臭いがするんだよ。どっちも女の子に誠実だとは思えない男だ。

男にまるで免疫のなさそうな伊藤ちゃんは、簡単に扇野に引っかかった。傍から見ててもそれはすぐにわかるほどだ。律の視線の先にいる伊藤ちゃんの視線は扇野を追っている。その扇野が時折伊藤ちゃんに笑いかけているところも見た。もうやめておけ律、あいつ完全に伊藤ちゃんロックオンだよ。


 律と直接伊藤ちゃんの話をしたことはない。聞いたところで律が答えるとは思わなかったし。心のどこかではやめろと思いつつ、それでも俺は、少し接点を作ってやりたくなった。キャンプの配車にちょっと細工をして、俺の車に律と伊藤ちゃんを乗せることにした。


 その計画は、半分成功して半分失敗した。伊藤ちゃんが仲良くしている池内ゃんの猛抗議にあって、池内ゃんも同乗することになったからだ。結果から言えばそれは失敗じゃなくて成功だったと言える。俺と律と伊藤ちゃんの3人だったら、車内はお通夜だっただろうからな。てか俺ひとりがしゃべるハメになってただろう。そう考えると池内ゃんの存在は貴重だった。伊藤ちゃんもリラックスしてたようだったし。


だが、キャンプそのものは最悪だった。前半は良かったんだ。伊藤ちゃんと池内ゃんが作ってきてくれた弁当を4人で食った。律が喜んでいるのが俺には手に取るようにわかった。4人で海ではしゃいで、伊藤ちゃんもかなり打ち解けたように感じた。そのまま1日が終わればよかったんだよ。


 夕方になって扇野が来たことで状況が大きく変わった。あのバカさ、深夜に他の子を連れ出したんだよ。伊藤ちゃんがそれを表情を失ったまま見ていた姿を俺は見てしまった。


帰りの車の中、伊藤ちゃんは普段よりさらに無口だった。この様子だと、扇野のことを一方的に好きだっただけではなさそうだ。少なくとももう一歩踏み込んだ関係だった可能性が高い。下世話な言い方をすれば、寝取られたんだろうな。伊藤ちゃん身持ちが固そうだし、扇野とそういう関係ではなかったのかもしれない。でも扇野は下半身が歩いているようなやつだ。嫌な言い方をすれば見切りをつけた、んだろうな。


 キャンプ直後は空気を読んで、声をかけることは控えた。キャンプ用に作った4人のグループLINEにメッセージを入れたのは2週間後の8月末のことだ。全く、俺は人の恋路を応援している余裕なんてないってのにさ、律のためにもう人肌脱いでやることにした。


 伊藤ちゃんと池内ゃん、律と俺。チーム横山は俺の中にも新鮮な風を運んできてくれた。4人で過ごす時間は楽しかった。当初は律のためだ、なんて思っていたものの、俺も純粋にその時間を楽しむようになっていた。恋愛とは別の何か、だったんだと思う。やっと訪れたこれが青春ってやつ?

その楽しい時間は、ある日静かに終わりを告げた。女子2人がネーヴェフレスカを辞めると決めたからだ。辞める理由がまさか池内ゃんに彼氏ができたからだとは思わなかったけれど。いや、池内ゃんもカワイイ子だよ。でも彼女を操縦できる男がおいそれと存在しているとは思えなくてさ。――この辺でやめておこう。万が一池内ゃんの耳に入ったら俺の命が危うい。


 その後は以前のネーヴェフレスカに戻った。淡々と働いて給料をもらう。元々あと半年したら辞めるつもりでいた。だからこれでよかったんだと思う。後ろ髪を引かれるものが先になくなってくれてさ。


 大学卒業と同時にバイトは辞めた。院に進学が決まり、時間に余裕がなくなったからだ。4年になった律も同時期に辞めた。律は教員免許を取るために忙しくなるのが理由だった。

それでも律とは完全には切れることがなく、LINEで生存確認を送り合ったり、たまに会って飯食ったりは続けていた。頻度はそれほど多くはない。お互い忙しかったからな。


 そんな律から懐かしのグループLINEにメッセージが来たのは、俺がいよいよ研究室のシミになって剥がれなくなりかけていた頃だった。珍しいなんてもんじゃない。それは初めてのことだった。だから余程のことがあったんだろうと容易に想像がついた。


だが、LINEで聞かれるのは律も本意ではないんだろうと察し、流れのままに4人で再会することが決まった。さり気なく俺の大学側の店を選んでくれたのは、きっと女の子たち2人だろう。


 再会先のカフェの前に女の子2人は先に来て待っていてくれた。俺は懐かしさよりも先に、律の表情に違和感を感じた。律の顔には懐かしい想いといったものが全く浮かんでいなかったんだ。律、俺察しちゃったよ。案の定律は、伊藤ちゃんの隣に自然に座った。池内ゃんだけが「えっ?」と驚いた顔をしている。おい律、いつの間にお前たちさ――


その場で2人が付き合い始めた報告を聞いた。嬉しかったよ。ちゃんと会って報告しようとしてくれた2人のことがさ。お前ら2人ほんとよく似てるわ。似た者同士、上手く行くと信じてる。まあ似た者同士すぎてさ、ちゃんと会話成り立ってるのか不安にも思うけど。でも律は会話ができない男じゃない。2人きりになれば、会話を振ることも答えることも無難にこなせているはずだ。曲がりなりにも小学校の教師になるんだし。


 4人で最後に会ったのは、俺が卒業して地元へ戻ることが決まった時だった。約束通り就職祝いをしてもらったよ。2人は順調に付き合っているようだったし、池内ゃんも学生時代からの彼氏と続いているらしい。この地への未練なく去ることができると勝手に感慨に耽ったものだ。


 まさかその翌年また再会できるとは思っていなかった。それも2人の結婚式で。

律の地元には初めて行った。いい教会だったよ。沙樹ちゃん――呼び慣れないな、とても美しい花嫁だった。2人なら幸せな家庭を築くことができるだろう。おめでとう律、沙樹ちゃん。俺は今度も満足し、自分の住む街へと戻ることができた。


 律とはたまにとりとめもないLINEを送り合うことを続けていた。あいつは絶対スタンプを使わない男なんだ。だから律とのやり取りには俺も柴侍を送りにくくて、つい律に合わせて写真を送ったりしていた。まー自分でも呆れるほど色気のない写真ばかりだ。人物の写っていないみなとみらいの夜景だったり、何が悲しくて写したんだと言いたくなるような写真さ。一方律から届く写真は嫉妬も馬鹿らしくなるほど、幸せに満ちていた。新妻を送りつけてくるわけじゃない。2人で見たのであろう景色や、飯の写真だ。律らしい写真の中に幸せがにじみ出ているようで、俺はつい口元が緩むのを止められなかった。


 が、ある日律から変なメッセージが届いた。


[扇野から連絡が来た。沙樹の連絡先を知らないかと聞かれた]


それを読んだ時の俺の正直な感想は「はっ?」だったよ。もちろん律に対してではない。扇野だよ。なんだあいつ?沙樹ちゃんの連絡先すら知らなかったのか?

少し考えてそれは違うなと思い直した。沙樹ちゃん、電話番号変えたんだったな。百歩譲っても今更連絡先を聞く必要があるのか?よりにもよって律に?何の目的で?


俺は律本人にではなく、扇野を問い詰めてやりたかったが、扇野の連絡先は知らなかった。仮に知っていたとしても俺から連絡するのは変だよな。律には[相手にするな]と返信しておいた。


 が、律の中で扇野は、俺が思う以上に大きな存在として残っていたらしい。片っ端から聞きに回っている様子の扇野への嫌悪、沙樹ちゃんにたどり着いてしまうのではという恐怖のようなことを書いて送ってきた。律がここまで俺に本心を書いて寄越すのは初めてのことだ。律は結局沙樹ちゃんの電話番号を扇野に伝えることにすると言ってきた。俺も気が気ではなくなり、何かあればすぐ連絡してくれと返事を返した。


 律は、毎晩のようにメッセージを送ってきた。その全てが俺を安心させた。律が沙樹ちゃんを選んだことは正しかった。あの子はとにかく誠実だ。今まで見てきたままの裏表が全くない子だ。沙樹ちゃんは扇野から連絡が来たことを包み隠さず律に相談していた。その上で律は2人を会わせることを決心したらしい。


結果から言うと、扇野は廣田夫妻にとって波風にすらならなかった。沙樹ちゃんの中で扇野という男は、完全に昔の甘酸っぱい、若しくはほろ苦い思い出として消化済みだったんだ。


 問題は律だ。あいつ、完全に自己嫌悪に陥っている。もう解決したことだ。俺は全てを打ち明ける必要はないと言ってやった。けど、変に真面目なんだよ。こういうところもつくづく似たもの夫婦だ。律は、全て沙樹ちゃんに打ち明けるつもりだと言ってきた。律がそう決めたのなら仕方ない。沙樹ちゃんはちゃんと聞いてくれる子だと俺は思う。だから悔いの残らないよう話し合え。


 律が打ち明けると言った日の朝、俺は初めて沙樹ちゃん個人宛てにLINEを送った。そこに懐かしい1曲も貼った。沙樹ちゃんは絶対気がついていなかっただろう、俺から律へのメッセージを込めた曲。律は当然当時から気がついていて、何度も「これかけるのやめろ」と言われていた。


既読はついたけど返信はなかった。そのことは気にならなかった。「今聞いてるのかな」くらいに考えていたし。そして遅れて昼過ぎに返信が届いた。短かったけれど、全てを理解したような言葉だった。


 その日の夜、律から写真が届いた。どうやら晩飯らしい。テーブルは見慣れた律が何度か送ってきた2人の家のものだった。しばらく眺めていてようやく気がついたよ。沙樹ちゃん、粋なことするな。旨かったよその鮭チーズおむすび。俺も憶えてる。


 いつになるか約束はできないけれど、いつか俺もその家に遊びに行くよ。その時は俺の分も用意してくれるかな。あとさ、沙樹ちゃんの卵焼き、本音で言うと俺の親のやつより好みなんだよ。律のやつ、あれいつも食ってるのかと思うと羨ましいぜ。それも追加でリクエスト、お願い。

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