03:初めてのデート
飲み会の帰り際、扇野くんとLINEを交換した。
翌日の私は二限目からだったので、のんびりと支度をして家を出るところだった。ぶるんと鞄の中でスマホが鳴る。バスの中でLINEを開いた。
[昨日お疲れ。次の休みいつ?]
扇野くんからだった。昨日のことは夢じゃなかったんだ。私にとってはあまりにも現実離れした体験で、夢でも見たのかという気持ちだったから。
カレンダーアプリを開く。金・土・日――今日から3連勤。次の休みは月曜日だ。
[お疲れ様でした。月曜です]
既読はついたけれど、返信はなかった。
返信が来たのは、学食を食べてる時間だった。
[俺も月曜休みにした。迎えに行っていい?月曜何時まで?]
「沙樹?にやけてる」
はっ!と向かいの席に目を向けると、友達がニヤニヤしていた。
「何?とうとう沙樹も男できた?」
「そんなんじゃないって」
語気を強めに返しながらも、どこか私は浮かれていた。昨日の出来事がいくつも頭の中に浮かんでくる。
[月曜は16時まで]
友達からの追及を無視して、そう返信を送った。
バイト中の扇野くんは、飲み会前に知っていた扇野くんと同じだった。真面目に働く普通の人。でも日に何度かすれ違う時にニカッと笑みを向けられた。今までとは違う小さな変化。
バイトで顔を合わせていた間、連絡は一度もなかった。私からも送っていない。そして月曜日――
「ごめん、やっぱN女遠いわ」
扇野くんが迎えに来てくれた時には17時近かった。途中で連絡もなくて、何度か帰ろうと思ったくらい。それでも顔を見ると喜んでいる自分がいた。
助手席に招かれ、車はUターンして走り出す。
「海行こ」
びっくりした。ここからだと2時間はかかるもの。でも私は頷いた。
「何聴く?誰好き?」
飲み会の時にいろんな話をしたけれど、そういえば音楽の話はしなかったっけ。
「セカオワ好き」
私の返事を聞いて、扇野くんは信号待ちの間にガサゴソとCDを探し出す。
「あったかなぁー?セカオワ」
わざわざ私の好みの曲をかけてくれようとする気持ちが嬉しかった。扇野くんの車の中に1枚だけあったセカオワのCDをかけてくれる。
慣れない車の助手席という特別な空間が、セカオワのおかげで少しだけ安心な空間に変わっていく。
「俺の前の彼女もN女でさ」
安心空間に突如落とされた爆弾みたいな言葉。私は動揺を悟られぬよう無言で続きを待った。
「合コンで知り合ったんだわ。すぐ振られたけど」
返答に困る話題だった。私の大学について意味深なことを言う人だとは感じていた。これが理由だったんだね。今はもう別れているらしいその元カノのことが気にならないと言えば嘘になる。私の友達、なのかもしれないし。
「長谷川 理奈。知ってる?」
知らない名前だった。中高で一緒だった子の名前は全員知ってる。だから大学から入ってきた子なんだと思う。
「知らない人。大学から入ってきた子はほとんど知らなくて」
今度は扇野くんが驚いていた。彼が驚く姿を見たのは初めてだと思う。そう言えるほど彼のことを知っているわけでもないのに。
「伊藤さん、エスカレーターだったんだ」
中高は一貫だけど、大学入試は別。ちゃんと試験受けて入学しているんだから。でも、そう言い返すのも大人げないかなと思って、「うん」と頷いた。扇野くんはというと、あーとか、んーとか1人でぶつぶつ言っている。
「だからか。なんか雰囲気違うなと思ってたんだよね」
「そう、なの?」
自分が周囲から浮いてると指摘されたみたいで、急に不安になる。それはどういう意味?
「仕草が可愛い」
力が抜けた。少なくともバカにされているわけではないと思えたから。ストレートに'可愛い'という言葉を吐ける扇野くんに対して、いつの間にか私は照れることをしなくなってもいた。
「私服も可愛い」
他にもいくつか可愛いと言ってくれた。その度に少しだけ恥ずかしそうに笑う扇野くんに、私はもう好意を持ち始めていることを自覚しなくてはならなかった。
「腹減ったな」
海辺の街に着いた頃には20時近かった。私もお腹が空いていて「うん」と頷く。
「先に飯食うか」
この街はちょっとした観光地でもあるので、飲食店は豊富にある。けれど、駐車場付きのお店となると限られていて、扇野くんは中心地から少し外れたところにあるレストランの駐車場で車を停めた。
「ここでいい?」
ドアに手をかける直前で振り返るものだから、私は笑いそうになった。今聞くんだ。
「うん、入ろ」
そこは、ちょっとオシャレなファミレスといった感じのビストロだった。
オレンジの灯りが温かい雰囲気で、そこそこに賑わっている。
案内された窓際の席に座り、2人でメニューを眺める。
《イチオシ》と書かれたハンバーグセットを2つ注文した。
アツアツの鉄板にのせられたハンバーグが届くまでの間も、扇野くんはたくさん話をする。友達との会話と違うのは、ドラマの話を一切しないこと。大学では昨日見たドラマの話が挨拶代わりみたいなものだから。でも扇野くんがドラマの話をしないのは納得だった。毎日バイトしているもんね。あのレストランで働いている人たちは、みんなドラマとは無縁の世界で生きている。
そうしている間に、私たちの間に美味しそうな香りと白い湯気の立ち上るハンバーグプレートが置かれた。小さなカップに入ったコンソメスープと、ありふれたサラダ、そしてお皿に行儀よく盛り付けられたごはんが次々に並べられていく。
「いただきます」
両手を合わせて小さく頭を下げる私に、扇野くんはまた笑った。彼の口の中には既にハンバーグが一切れ吸い込まれている。
食べ進めるうちに私は、扇野くんのプレートに少し違和感を感じ始めた。玉ねぎ避けてる?ハンバーグの下に敷かれている玉ねぎを隅っこにまとめている、ように見える。
「玉ねぎ嫌いなの?」
「バレた」という声が聞こえそうなくらい、扇野くんは気まずそうに曖昧に笑う。かと思ったら、それを全部まとめて私のプレートにのせてきた。
「形あるやつは駄目なんだよ。ハンバーグに入ってるのは平気」
それを聞いた私の素直な感想は'変な人'だった。そうだよね、ハンバーグはモリモリ食べてるもん。ハンバーグだって玉ねぎが入っているから美味しいのに。
「肉じゃがとかも?」
そう聞くと、扇野くんはわかりやすく顔をしかめた。
「嫌い。イモと肉だけ食う」
この時、私の中の扇野くん情報はちょっぴり面倒くさい人、にアップデートされた。
食事を終えて、海に向かう。もう真っ暗だ。雰囲気も何もない。扇野くんもこんなはずじゃなかった感を全面に出している。
「戻るか。遅くなるし」
「うん」
結局、海まで来たのにハンバーグ食べただけで私たちは帰ることになった。
帰り道、車の中では相変わらずセカオワが何度も同じ曲を歌っていた。
扇野くんは私の家の前まで送ってくれたのだけれど、そこでバイバイとはならなくて。何かと話を続けて時間を延ばそうとしているのが私にもわかるほどだった。
「近くに公園とかない?」
扇野くんはY市に住んでいると今日聞いた。通っている大学はS市内にあり、自宅との中間くらいの位置にあるネーヴェフレスカでバイトしているんだ、と知ったところだ。
私の実家はS市の比較的中心地にある。ネーヴェフレスカへも車なら15分といった距離。けれど、扇野くんにとって、私の自宅周辺は未知のエリアらしい。そのことが少し嬉しかった。
「5分くらいのところに高台の公園があるよ」
もう日付が変わろうとしている時間。普段の私なら、お風呂も済ませて部屋で寛いでいるはずの時間。この時間に家の真ん前から遠ざかろうとしていることに、後ろめたさがあった。けれど好奇心の方が勝ってしまう。だから言ってしまったんだ、扇野くんの理想通りの公園があることを。
「案内してよ」
私のナビ通りに車を走らせる。深夜なこともあり、5分と経たずに公園にたどり着いた。
ここの公園は深夜でも駐車場が閉鎖されていなく、数台の車が停まっていた。
扇野くんがエンジンを切ってシートベルトを外す。私も同じようにベルトを外して外に出た。この公園には何度も来たことがある。でも夜に来たのは初めてだった。
そこには市内の夜景が広がっていた。眠ることのない歓楽街の灯りがギラギラと輝いている。先週あの街で扇野くんと初めて話したんだ。でも、今の私の目には、その灯りがとてもよそよそしく見えた。
「すげーな」
私の肩を引き寄せた扇野くんの声がすぐ上から聞こえる。
男の子と深夜に2人きり。それもこんなに近い距離。
しばらくの間、会話はなかった。
肩を抱かれたまま夜景を見続ける。内心は竜巻が大暴れしているみたいだった。この状況はナニ?
「沙樹ちゃん」
突然名前を呼ばれて、肩がぴくりと跳ねる。恐る恐る扇野くんの顔を見上げると、もう憶えてしまった彼特有の照れ笑いが浮かんでいた。私は言葉が出なくて、返事をせずに視線を夜景に戻す。きっと今私の顔は真っ赤になっている。ここが暗い公園でよかった。
「ねえ沙樹ちゃん、好きな男いる?」
扇野くんは「彼氏いるの?」とは聞かなかった。今になって思えば、それだけ私が男の子に免疫がないってバレバレだったんだろうとわかる。もちろん駆け引きなんて技も持ち合わせていなかった。
「ううん」
「付き合おうか」
その時既に扇野くんの顔は、自信に溢れた余裕の笑みを浮かべていた。




