02:新人歓迎会
それは4月の中旬、新人歓迎会のことだった。
アルバイト全員参加の飲み会。私にとって、人生初の飲み会でもあった。
まだ親しいと言えるような関係の人もおらず、参加することすら気が重い会だった。
席は入り口で引かされたくじで決まっていて、左右は見事に知らない人、と言っていいくらい話したこともない人ばかり。始まる前から帰りたくなっていた。
けれど、さすがは接客業してる人たち、って言うのかな。みんな口が上手い。さり気なく会話を振ってくれて、私も少しずつその輪に加われている気がした。
2週間前はどうなることかと思っていたけれど、なんとかやっていけそう――そう思い始めていた。
2週間前、それはレストラン・ネーヴェフレスカへ面接に来た時の話。私たちが働くネーヴェフレスカの雇用形態は少し特殊で、レストランとの直接雇用ではない。複数のレストランと契約している派遣会社を通じた派遣スタッフという扱いだ。面接はネーヴェフレスカの地下にある派遣会社の事務所で行われた。
履歴書を渡し、吉川と名乗った男性がそれを机の向こうで読んでいる。
大学に入ってからの1年間、先月までは家の近くのパン屋でアルバイトをしていた。一緒に働くのはオーナー夫妻とパートの主婦が数人。とても気楽なバイトだった。
けれど、友達とバイトの話になった時「その時給はありえない」「マジで辞めなよ、もったいない」と散々言われた。確かに時給は低かった。友達のバイト先の時給聞いて唖然としたもの。
そうして次に私が選んだバイト先が、ここネーヴェフレスカだった。まず時給が高い。そしてレストランなら女の子が多いだろうな、という思い込み。今になって思えば、なんでそんな思い込みをしていたのだろうと、数日前の自分を呪いたくなる。
面接をしている事務所の隣、バイト用の休憩室では勤務前のスタッフが思い思いに寛いでいた。半分以上が男の子だ。
「よし、伊藤さんいつから来れる?家近いね。朝食も入ってくれると助かるわ」
その言葉に我に返る。もう採用が決まっていた。早い。言われた言葉を慌てて確認する。
「はい、よろしくお願いします。大学が遠いので、一限目がない日なら朝食時間も来れると思います」
制服を借りるためリネン庫へ連れて行かれたり、帰り際にプリントを1枚渡されてその日は終わった。
「そこに書いてあるオプチャに入ってね。伊藤はもう1人いるから、名前は伊藤〈さ〉で入ってくれる?あと俺のLINEも登録しておいて。急用できた時はそこから連絡するから。後でなんか送っておいて」
◇◇◇
「伊藤さん、何飲んでんの?」
その言葉で現実に戻った。そうそう今は飲み会。新しい職場の人と馴染むための場。
で、声をかけてきた左を見ると、先程まで座っていた米田さんじゃない。ビール片手に笑顔を向けてきたのは扇野くんだった。
「パイナップルジュースです」
「酒ニガテ?」
「19なので」
「おー、真面目」
誉めていないことくらいはわかった。でも気にはならなかった。お酒にはあまり興味がなかったから。
「ねえ、大学どこ行ってんの?俺はS大」
「N女です」
扇野くんは、ほんの一瞬目をぱちくりとさせた気がする。けれど、それは見過ごす程度の僅かな時間で、また親し気な笑顔に戻る。
2人でいろんな話をした。扇野くんが聞いて、私が答える。ずっとその繰り返し。「あの映画観た?」「観ました」「ラストヤバかったよな」「ですね」そんな感じ。友達と話している時みたいで、私の中の男の子に対する警戒心が少しずつ溶けていくのがわかった。
周囲がざわめきだす。店を出る時間になったみたい。僅かに残っていたビールをくいっと飲み干した扇野くんが、私の肩に触れて立ち上がった。
「行こっか。来るでしょ、二次会」
そろそろ終バスの時間。いつもの私なら断って帰るはずの時間。なのに断れなかった。
「はい」
二次会にもほとんどの人が参加していた。
連れて行かれたのは、バーだった。そこは30人を超える人数でもまだまだ余裕がある、とても大きなバーだった。バーに行くのも初めてな私は、目に映るもの全てが新鮮だった。
扇野くんは私の腕を掴んだまま、黒い皮のソファーに腰を下ろす。
「何飲む?モクテルがいい?」
慣れた様子の扇野くんに、違う世界の人だなぁと感じていた。同じ歳のはずなのに、異次元で生きてる人みたい。
扇野くんが頼んだドリンクが2杯テーブルの上に届いた。
「はい、お姫様」
照れ笑いを浮かべながら渡されたコリンズグラスはシンデレラというモクテルなんだそう。
こういうことを出来ちゃう人なんだ、絵に描いたようにキザな人。恥ずかしいけれど嫌な気にはなれなかった。
「それは?」
扇野くんが手にしているグラスに目を向ける。フルートグラスの中はオレンジと赤のグラデーションになっている。 ちなみにグラスの知識はレストランで初日に叩きこまれたものだ。
「テキーラサンライズ。見た目ほど可愛くないから気を付けてね」
気を付けて、の意味がわからなかった。きっと、真似して頼んだら後悔するよってことなんだろう。そう思うことにした。
「乾杯」
扇野くんがグラスを合わせる。「乾杯」私もそう返してみた。
周囲にバイト仲間がたくさんいるのに、私たちだけ2人の世界みたいだった。気がつけば扇野くんに肩を抱き寄せられていて、これ以上ないほど距離が近い。扇野くんが吸うタバコの煙が、辛うじて2人の間に距離を作ってくれていた。
「もう俺のもんだ」
そう呟くのが聞こえた。




