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01:伊藤 沙樹-大学2年秋

全32話。10月1日は2話更新、2日以降毎朝7時更新です。

よろしくお願いします。

「昨日親父が足の骨折っちゃってさ、ごめん今日は帰るわ」


 バイト終わりの休憩室。着替えを終えたバイト仲間がのろのろと入ってきては、空いている席に座り思い思いに寛いでいる。私は親友と終バスまでの数分、時間つぶしをしていた。


女の子からの飲みの誘いを扇野くんは、そう言って断っていた。私はそれを視界に入れることすらなく、左の耳が勝手に声だけを拾っていた。


 扇野くんはただの他人、同じバイト先の男の子。けれど8月の途中までは彼氏だった人。その後すぐに嶋村さんと付き合って、たったの1ヵ月で別れたらしい人。


 4月から始めたこのレストランでのアルバイト、半年の間で私が知る限り扇野くんのお父さんは、3度骨折をして1度癌になった。事実だとしたらとんでもなく不運な方だと思う。事実ならば。


彼は息を吸うように嘘をつく。その場限りで本人すらも覚えていない嘘。


 時間はもうすぐ22時になる。扇野くんの自宅は隣の市、Y市でもさらに遠い海沿いにあって、ここから1時間ほどの距離がある。そんな時間に帰ってどんな親孝行をするというのだろう。そもそも昨日足の骨を折ったのなら、今頃彼のお父さんは病院のベッドの上で寝ているはずだ。


 ただ一言「今日は車だから」

それが言えない可哀想な人。誘った子たちも、もう別の話をしている。あの子たちもきっと知っているんだ、彼が嘘つきだってことを。


 休憩室の中には8月からの短い間、扇野くんの彼女としてこのレストランで働く全員が認知していた嶋村さんの姿はなかった。そもそも私と嶋村さんは友達ですらない。目が合ったら軽く挨拶くらいは交わす程度の関係、この場にいるほとんどの人と同じだけの存在でしかない。だから、彼女が普段バイトの後で休憩室に立ち寄っているかすら知らないことだった。


 嶋村さんは扇野くんとの付き合いたて、8月の終わり頃から左手の小指に指輪を付けて出勤していた。ロッカーが隣だから、嫌でも目に入ってしまった。いつも着替える前に鞄の中から小さな袋を出して、大切そうに指輪をしまっていた。小指から外す時、赤い石がキラッと光るのが見えた。


「ルビー?」


誰が聞いたんだっけ?近くで着替えていた誰かがそう聞いていた。


「違う、ガーネット。誕生日にもらったの」


 嶋村さんが得意げに答えていたのを、私は黙って聞いていた。彼女の誕生日をそれまで知らなかったけれど、8月だったんだね。嶋村さんがガーネットが好きで、それを贈ってもらったのかもしれない。「これ買ってよ」って言えそうな子だもの。


「なんでピンキーにしたの?」


その問いに、嶋村さんは急に不機嫌になったようで、声色がガラリと変わった。


「7号なんて小指にしか入らないじゃん」


 その後も、不満を言い続けていた。私は聞きたくもないのに、着替え終わるまではその場から離れることすらできない。だから聞き続けてしまった。彼が勝手に選んで贈ってきたと、恨んでいるようで、どこか自慢にも聞こえるその不満を。


 もうその話はいい。この場にはその子はいない。きっと扇野くんと別れて即、付き合い始めた次の彼氏と一緒に帰ったんだろう。もうあの指輪も付けてはいないみたいだった。そりゃそうだよね。別れたいきさつまでは知らないけれど、元カレの親友が今の彼氏なんだもの。



「沙樹、そろそろ出よ」


 終バスまでの時間つぶしもおしまい。「うん」と返事をして立ち上がり、飲み終えたジュースの空き缶をゴミ箱に捨てた。


「お疲れ様でした」


 誰に言うわけでもなく、その場にいる人になんとなく挨拶をする。扇野くんのことだけは視界に入らないようにした。


「お疲れー、伊藤ちゃん、池内ゃん(いけうっちゃん)また明日ー」


返事をくれたのは横山さんだ。ぺこりと頭を下げて休憩室を後にした。

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