10:就職内定
ネーヴェフレスカを辞めた後、私は駅前の書店でアルバイトを始めた。
今夜は美夕と2人で彼女お勧めの小さな中華居酒屋に来ている。名目は美夕の国試合格祝いだ。
「美夕、合格おめでとう。いよいよ来月から美容師だね」
ジョッキを合わせて乾杯すると、美夕は早速お通しのザーサイをつまみ始めた。
「ありがとねー。けど、ここからが長いよ。地道な下積み生活」
4月から美夕は一足先に社会人になる。それを思うとなんだか急に美夕のことが大人に見えてきた。
そうだよね。私には想像することしかできないけれど、技術者の道はきっと考えているよりもずっと厳しい。美夕に固定客がついて、カットを任せられるようになるまでには、何年もかかるんだろう。それでも彼女の表情を見ていると、心配する必要なんて全くないことがわかる。頑張ってきたもんね、ずっと。
「いつか私の髪を切ってよ。お客として」
ニカッと笑った美夕が一気にビールを飲み干す。
「任せてよ。バッチリ可愛くしてあげる。5年待ってて」
5年、か。
そのさらりと言った一言に、彼女の本気が見えた気がする。
「一人前のスタイリストになる」はっきりとした目標のある美夕が眩しかった。
ドリンクメニューを見ていた美夕がふと視線を上げた。
「ワイン頼もうか。沙樹、それ空けちゃいなよ」
「いいね。メニュー見せて」
ジョッキを空けてメニューに目を落とす。お互いの好みは熟知している。美夕も私もワインは白が好きだ。ボトルメニューで2人が同時に指を指したのはイタリア産のシャルドネだった。それにしても、自分がこんなにお酒を飲むようになるなんて、思ってもいなかったよ。人生何があるかわからないものだね。
ワインで2度目の乾杯をし、気づけば話題は私に移っていた。
「どう?本屋のバイト」
「楽しいよ。ネーヴェフレスカとは段違いにラク」
いろんな意味で書店でのアルバイトは気楽だった。レストランのような重労働はないし、料理の匂いが染み込むこともない。基本的に面倒なお客さんはこないし、人間関係も気楽そのものだ。
「美夕と一緒に辞めてよかったよ」
ふっ、と美夕が笑む。
「ところで彼氏さんは?元気にしている?」
美夕の彼も無事合格したことは既に聞いている。2人は揃って美容師の道を歩き始めるんだ。
「元気だよ。元気が服着て立ってるようなやつだからさ。これからはライバルでもあるしね」
可愛い、美夕の精一杯の照れ隠しだ。美夕が彼のことを大切に想っていることはわかっているつもり。ライバルだ、というのも本音なんだと思う。けれどやっぱり羨ましい。同じ夢を叶えた2人、だもの。
これから本格的な就活を迎える私には、当分縁のない話だな。
その言葉は悲しいことに事実となった。
大学入試の時に比べて段違いの忙しさ。ひたすら勉強だけしていればよかった受験とはまるで違う神経がすり減る思いの日々。友達と傷をなめ合う毎日を送った。
何社かお祈りを頂戴して、7月下旬に内々定を貰うことができた。その前後で友達の大半は就職先が決まったけれど、幼稚園教諭を目指していた友達の内定が決まったのが9月末のことで、それでようやく6人で内定祝いをすることができた。
6人でテーブルを囲み、スパークリングワインで乾杯をする。そこは~お箸で愉しむミラノの風~という少しポエミーな但し書きのついた和風ビストロといった感じのお店。[女子会コースA]というメニューを予め予約していた。
早速テーブルには数種類のチーズと、生ハムの盛り合わせが届けられた。美味しそう、それに思っていたよりも量が多い。横山さんと廣田くんも気に入りそうだな、なんて1年も前に解散したチーム横山のことを思い出したりもしていた。
続いて出てきたのは、大きな四角いお皿に盛りつけられた本格的な前菜。スモークサーモンや、パテの周りには、イチジクや複雑な衣を纏ったエビの揚げ物なんかが、アートのように並んでいる。一斉に皆が写真を撮り始めたので、私も何枚か写してみた。
料理はどれも美味しくて、最後にはモンブランが出てきた。柚子ソースが敷いてあってすごく新鮮だった。栗と柚子ってこんなに合うんだ。
明日からも普通の毎日。大学に行って、週に2回アルバイトをして、たまにこうやって友達と遊ぶ。半年後には新社会人になって。
「ねえ、卒業旅行行こうよ」
「うん!行こう」
お互いが10年来の友達なのに、そういえば学校行事以外で一緒に旅行に行ったことがなかった。
食事が終わるころになって私たちは旅行の話を話し始めた。それぞれが行きたい場所を言い出すものだから、てんで収拾がつかない。この日は旅行の約束だけで終わってしまった。行き先を決めるのはまだ先でもいいもんね。毎日会っているんだし。相談する時間はいくらでもあるんだから。




