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神薙  作者:
第五章
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19/20

巫 003

 出会った夜は恐ろしい月が浮かんでいたが、今夜は新月、月は見えない。

 新月の夜は月がないわけではない。見えないだけだ。そして、その夜には何か恐ろしいことが起こるのかもしれない。

 辺りは異様な雰囲気だった。正に化け物が出そうでもある。化け物などいるはずもない。そう否定できたのは昔のことだ。

 しかしながら、知ってしまったその存在を化け物と呼んで良いかは定かではない。それは人から生まれたものだ。〈鬼〉を化け物と言うならば人がということになってしまう。

 そのことを凪冴はまだ認めたくはなかった。自分が何なのかもわからなくなる気がするからだ。〈鬼持ち〉は人間なのか、化け物なのか。

 前方から彼はやってくる。落ち着いた足取りは、まるで〈鬼憑き〉だとは思えない。〈鬼〉は取り憑いたその人を凶暴化させることが多いと言うが、永希には当てはまらないと凪冴は思っていた。極めて理性的に思える。

『油断すんな』

「わかってる」

 頭の中の声に低く口にして頷く。たとえ、常人と変わらないような素振りで、攻撃の意思などまるでないように思えたとしても。

 そして、不思議な感覚があった。

『今、術者が結界を張った』

 凪冴の疑問に答えるように神威が言った。

「結界?」

『ああ、まあ長引くだろうからな……誰も巻き込まれないように、二人っきりの世界を作ったってことか。何しても平気だぜ?』

 彼の方はさすがに機関のやり方に慣れているようだ。久しぶりらしいが、千年も戦ってきた彼にはほんの短い休みだったのかもしれない。

「二人じゃないでしょ?」

『二人と一匹だな。俺様を邪魔者の一匹だなんて言わせねぇけどな』

 声は頭の中で響くが、まるですぐ隣にいるような安心感がある。そして、その笑みさえ浮かぶ気がした。

「ううん、みんないるよ」

『そうだな』

 目を閉じずともその気配を感じる。朝永や矢野、三浦や咲間の存在を感じる。広げれば夕夜と星平、他の〈鬼持ち〉らしき気配もわかる。

 永希との距離は確実に詰まっている。ゆっくりと焦らすように彼は歩いてくる。時間稼ぎのつもりはないだろう。

 すぐさま襲いかかってくるような〈鬼〉とはまるで違う。暴力を持て余すのではなく、それでも確かな目的を、彼しか知らない強い感情を振り翳す。

 今宵、目的を果たすために〈鬼追い〉の感知を逃れ、〈鬼狩り〉を寄せ付けることもなかった。

『どうする? すぐに代わるか?』

 彼としてはすぐに表に出たいのだろうか、神威が問いかけてくる。

「まだ、待って」

『わかった。やばくなったら、すぐ代わるからな』

 彼ならば強引に凪冴を乗っ取ることもできただろう。それなのに、凪冴に訪ねてくる。それは信頼の証だろうか。


「お待たせ」

 永希は微笑みかけてくる。待ち合わせなどしていなかったのに、まるでデートのような錯覚を覚える。

「俺が待っていたかったのに」

 その本心は読めない。初めから彼の行動の意味はよくわからなかった。けれど、それはこれから解き明かすことだ。今日、これからピリオドを打つのだから。

「まあ、迎えにくるって言ったからこれでいいのかな?」

 彼は笑みを絶やさない。遥希に似て比なるものだ。永希本人の笑い方とも違うはずだった。

「でも、君にはその気がないらしい」

 その通りだ。彼について行く気などあるはずもない。彼と戦い、彼を取り戻すと決めたから今ここにいるのだ。

「今、話しているのは永希さんですか?」

 凪冴は桜井永希という人物をよく知るわけではない。彼は本心で話しているのか、〈鬼〉が語っているのかは判断しかねる。だからこそ、問いかけてみた。

 彼の真意と〈鬼〉は大いに関係ある。

「質問の意味がわからないな。俺は俺」

「あなたは〈鬼憑き〉です」

「だから?」

 何でもないことのように彼は言う。だが、彼は間違いなく〈鬼憑き〉だ。

 全身に黒いものを纏い、胸の辺りは特に深い闇があるようだ。それによって〈鬼〉の核となる部分は見えない。力が強いほどに核を覆う壁は厚く、堅固なものとなるようだ。

 彼の心は〈鬼〉と同化している。精神を乗っ取るのではなく、その胸の内にある情を強化している。だが、食われているという点では何も特別ではない。彼は〈鬼〉を育てている。自らを食わせながら。

 その〈鬼〉は間違いなく永希自身の感情から生まれたのだろう。人々の負の感情の集合体に取り憑かれたのではなく、彼自身の激情が作り出した〈鬼〉だ。それが心に住み着いている。まるで神威のようだ。

『俺様と一緒にすんじゃねぇぞ。俺はああいう迷惑な居候タイプとは違うぜ?』

 凪冴の考えが気に食わなかったのか、神威は言う。

 そういうタイプというものなのかと凪冴は納得する一方で似たようなものだと思っていた。それどころか神威の方こそ質が悪いかもしれない。居候と言うならば、もう一匹の〈鬼〉の方だ。それに比べて我が儘放題の神威はさながらチョコレートに齧り付く寄生虫だ。

「これを〈鬼〉と呼ぶのは君達だけだよ。むしろ、俺は神が背中を押してくれたと思っている」

 永希はそっと自分の胸に手を当てた。黒い塊がそこにあるというイメージだ。それを神からの贈り物だと言うには些か無理がある。

「君だってそうだろう? 彼らに壊されなければ良かったのにね」

 永希の言葉には哀れみが込められている。凪冴は彼のせいで〈鬼持ち〉になった。彼さえ現れなければこんなことにはならなかった。

「ふふっ、俺が憎いのかい?」

『挑発に乗るんじゃねぇぞ』

 見透かしたように永希が笑えば神威が即座に諫める。

 凪冴はじっと永希を見る。そうしたところで黒い覆いが晴れることはない。

 人は見かけによらないとは言っても、遥希の話を聞く限り永希は良い兄だった。遥希は何の陰りもなく永希を尊敬し、自慢に思っていた。

 そのことを思い出して凪冴はぞっとした。感覚的にはわかっているが、実際に理解するのは違う。永希は遥希の前で良い兄貴でいながら〈鬼〉を生むほどの劣情を持っていた。

 直接遥希にぶつけられていたらと思うと恐ろしいが、彼はそうしなかった。これからそうするつもりなのだろう。そのプロセスに挟まったのが凪冴だ。彼は凪冴を害し、力を蓄えてきたようだ。

「私があなたを連れて行きます」

 凪冴は白い木刀をイメージし、永希の喉元に突き付けた。

「それって、遥希のためでしょ?」

 永希は動じることなく、挑戦的に凪冴を見返す。

 その目に凪冴の方が心乱してしまうのは、彼のためだなどとは嘘でも言えないからだ。それだけのものが存在しない。

「私はあなたを知らない」

「でも、俺は知っているよ」

 初めて会った時から永希は凪冴を知っていた。そのことについて、どれだけ考えても凪冴には心当たりがない。過去に繋がりがあったとも思えない。

「私がクラスメイトの兄としてあなたを知っているように?」

「君が想い人の兄として俺を知るように?」

 クスクスと笑みながら永希はわざわざ言い換える。

 凪冴は否定することができない。遥希を想う気持ちはどうしようもなく本当だ。今も捨てきれずにいる。否、捨てないのだ。今日、この時が終わるまでは遥希を好きでいる。だから、戦うのだ。

「ううん、君があいつを想うように、あいつが君を想うように」

 永希は遥希の想いを知っているかのようだった。二人の間のことなど凪冴には窺い知ることができない。

「言っている意味がわかりません」

 はっきりと凪冴は言う。そして、続ける。

「なぜ、あなたが憑かれ、今〈鬼〉となろうとしてるかなんて私は知りません」

『まあ、知ったこっちゃねぇよな』

 凪冴の中で笑う神威は早く代われと思っているのかもしれない。

「冷たいね、君が原因だって言うのに」

 予想だにしなかった言葉に凪冴の心が揺らぎ、木刀のイメージがぶれる。

「君が今の俺を作った。だから、連れていく。一緒に行こう?」

 永希はそっと木刀を掴む。その瞬間、彼の力の方が勝ったのか、凪冴の力は霧散した。

「……何で私なんですか?」

 いよいよ神威は危険だと判断するだろうか。凪冴としてはもう少し待ってほしかった。理由を知らずに彼を斬りたくはなかった。

 夜が深まるほどに力が強まるなら、まだ時間がある。永希に〈鬼化〉するような兆候はないように思える。

「少し、昔話でもしようか」

「どれくらい昔のことですか?」

「まずは俺が生まれた時からと言いたいけれど、そこは端折って幼少の頃からにしようか」

「お話になりません。長話に付き合うほど暇じゃないので」

 もう一度、凪冴は木刀をイメージする。そして、今度は彼の心臓の位置、核がある場所へと向ける。さすがに簡単に壊せそうもないような感触がある。

「君は俺達兄弟のことをまるでわかっちゃいない。遥希だけ見てればお幸せなものだよね」

 木刀が弾き返された。

 馬鹿にされようと、凪冴と永希の間に接点などあるはずもなかった。そう思うのは自分だけなのか、何かを見落としているのかと考えたこともあるが、それは隙でしかなかった。

『凪冴、代われ。話をしても無駄だ!』

「もう少し話をさせて」

『耳を貸すな。〈鬼〉は正直者じゃねぇ。真実を歪ませる』

 自分だって〈鬼〉だろうに神威は真面目に言う。彼に任せれば、歪みも真実も何もかも斬られてしまうだろう。

「歪みの向こうに真実があるなら、私は見付けてみせる」

 視ることが凪冴の強みだ。それを教えてくれたのも神威だ。彼だって闇雲に〈鬼〉を壊すわけではないだろう。だから、彼のために凪冴は弱い部分を探るつもりだった。

『手遅れになる』

「君なら戻せるって言ったじゃない」

『ああ、言った。戻せる。でも、危険な賭けだ』

 いっそ〈鬼化〉してしまえば彼は本心を吐露するだろうかと考えないわけではない。けれど、危険だということはわかっている。凪冴の目的はそこにはない。

 それでも、ある一つの可能性にかけたかった。そうすることで神威をサポートできると思っていた。

「神威、私を信じて。あなたを信じるから」

 意思の強さを示すように力を込め、イメージをより強くする。集中するほどに凪冴の頭はクリアになっていく。

「桜井永希さん、あなたはまるで私が好きみたいに言うんですね」

 当て付けだったと思っていたが、今はそう聞こえる。けれど、否定してほしかった。

「うん、好きだよ。君が好きだから俺が連れていく。遥希には渡さない」

「あなたは私のことなんか好きじゃない」

 彼の本心ではないと凪冴は思う。そう思いたいだけなのかもしれない。

「そんなこと言う君は嫌いだよ」

 そう言われてもショックはなかった。そもそも、好かれる理由からないのだから。

「私達、この前が初めてですよね?」

 その前提に間違いはないはずだった。

 頷く永希にほっとするも謎は深まる。

「君は笑うかもしれないね。会ったこともない、声を聞いたこともない。直接的には何の繋がりもない相手に恋をするなんて」

 笑えるはずもなかった。それが真実であると思えなかった。

「遥希はいつも帰ってくるとその日あったことを俺に話してくれる。淳也君や他の友達のこと、面白かったことや嫌だったこと、何でも俺に無邪気に話した。俺だって別にそれが苦痛だったわけじゃない。楽しみですらあったよ」

 そんな風に遥希が話す様は凪冴には容易に想像できるものだった。きっと、クラスメイト達と話す時以上に生き生きとしているのではないか。そんな風に考えるのはやはり彼が兄のことを本当に好きだからだ。

 それなのに、その兄はなぜ、こんなにも苦しげな表情をするのか。

「でも、最近では君のことばかり。初めはついに弟にもそういう相手ができたって、純粋に喜んだよ」

 兄として弟の成長を喜ぶ、そういうことだろうと凪冴は解釈した。

「君の写真、君の好きな物、知れば知るほど不思議な気持ちになった。そう言えば、俺達は昔から好きな物が似ていて、俺が好きになった物をあいつが好きになって、俺は何でもあいつに譲ってきた。あいつが好きな物を俺も好きになって、俺は我慢してきた」

 一人っ子の凪冴にはよくわからないが、自分に妹がいたらと想像してみて何となく気持ちがわかる気がした。きっと、凪冴も姉となれば永希と同じように妹に全てを譲ってしまうと思うのだ。お姉ちゃんだから、その一言で全てを諦めさせられて、それに慣れてしまう気がした。

「それって何もかも遥希に奪われてきた、そういうことだと思わない?」

 違うと否定したかったのに、凪冴にはそれができなかった。そんな風に考えてほしくない。否、間違いだと彼本人がわかっているのではないかと思うからこそ、何も言えなかった。

 彼は今にも泣き出しそうな顔をしているように見えた。手を差し伸べてしまいたいと思うほどに。

「好きになったのは俺が二番目。でも、今回は我慢しなくてもいいんじゃない? あいつが本当に欲しいと思うものを俺が手に入れたっていいんじゃない?」

 同意を求められても凪冴としては困る。凪冴には永希を選ぶ理由がない。そして、遥希のことはもう終わる恋なのだ。

 たとえ、彼が好きだと言ってくれても、凪冴が自分も好きだと言ったとしても、叶うことはない。引き裂かれることはわかっている。

『惑わされんじゃねぇぞ。〈鬼〉はほんの些細な情に取り憑いて増幅させる。全くこれっぽっちも本心じゃない』

 少しイライラしたような神威の声が聞こえた。結界を張ったとは言え、時は進み、闇は深さを増しつつある。永希がいつまで冷静でいるかなど凪冴にわかるはずもない。

 わかるのは神威が疼いているということだ。

「わかってる」

 今にも飛び出しそうな神威を抑え込むように凪冴は低く口に出した。

 本心じゃないことなどわかっている。

『何もかもが嘘だとは言わねぇ。ほんの少しそういう気持ちはあったのかもしれねぇがな』

 気持ちが揺らいでいるとでも思っているのか。神威の言葉に凪冴はぎゅっと力を込める。

 想い人の兄だろうと何だろうと〈鬼憑き〉の言うことを信じるべきではない。たとえ、遥希に似ていても彼に心靡くことはない。彼が〈鬼持ち〉になることもない。完全に〈鬼〉を破壊し、記憶を消す。それが決定だ。

「君は俺を信じてくれないんだね……何を言おうと俺の声に耳を貸さない」

「だって、それはあなたの本当の声じゃないから」

 あたかも永希が口にしているようにしているが、〈鬼〉が語っているのだと凪冴の直感が告げていた。

 チョコレートに執着する人間臭い〈鬼〉がいるくらいなのだから人間のフリが上手な〈鬼〉がいても何も不思議ではない。

 人を凶暴化させて更に人を襲う〈鬼〉もいれば、人を騙す〈鬼〉もいるのだと記されていたのはあの手帳だ。

「その目が俺を見ないなら、その耳が俺の言葉を受け取らないなら、その唇が俺を好きだと言わないのなら――いっそ、君を殺してしまおうか」

 それが〈鬼〉の本音だと凪冴は気付いている。そして、次はきっと遥希だ。更にその後は淳也かもしれないし、近くもない無差別な人間かもしれない。

 初めの頃は小さな不満を抱いた永希が〈鬼〉によって復讐心を持ち、遥希への当て付けのような言動をしていたが、〈鬼〉に養分を与えていたに過ぎない。〈鬼〉は永希を煽り、自分を見失わせることで、成長してきた。

 きっと永希が弱いのではない。抗うことなどできないのだ。

「最初からその気だったくせに、今も私の魂を食らおうと考えているくせに、私を連れて行くのは地獄ですか?」

「うぐっ……ぁ、がっ……!」

 永希の様子が変化した。苦しんでいる。そして、彼が纏う黒がその濃度を増した。

「永希さん。聞こえますか!?」

 凪冴は呼びかけた。すぅっと息を吸い込んで彼に、闇の奥底で眠る永希自身に聞こえるように声を出した。

『無駄だ』

 神威の声など無視して、凪冴は続ける。

「ダメです。心を許しては絶対にダメです」

 永希は〈鬼〉に何もかも許していたわけではない。一片の激情が〈鬼〉を生み、そのたった一片が全てを許しはしなかった。〈鬼〉は彼自身でもあるのだから。

「〈鬼〉に、あなたに勝ってください! ここが最後の砦です!」

「うるさい……黙れぇっ!」

「本当に大切な物を失ってもいいんですか?」

「黙れ、黙れ、黙れぇっ!」

「心を取り返してください。でなければ、あなたも遥希君も死にますよ」

『おい、早く代われ!!』

 神威は焦っていた。わかっていながら、尚、凪冴は許さなかった。

「黙れ、小娘。食らってほしくば今すぐに」

『本性が出やがった。早く代われ!』

「その魂はさぞかし美味だろう。ああ、満ちる力よ、甘美なる食事を我に」

 ニィッと笑う様は永希などではなかった。

「この卑しい〈鬼〉め、寄り添えるなどと本気で思ったか」

 気付けば凪冴はそう口にしていた。なぜ、そんなことを自分が言うかもわからずに。

 けれど、すぐにハッとする。

「神威!」

「よっしゃ行くぜっ!」

 神威は即座に切り替わった。

「俺様を焦らした分、チョコ一枚追加だ!」

 神威が支配する凪冴の手には白い太刀が握られている。凪冴では作り出せないほど確かな存在感は神威が絶好調である証明のようだった。彼は軽々とそれを振るう。

 ――リン!

 鈴が大きく鳴った。

「がぁっ……!」

 永希を乗っ取った鬼は鈴の音に苦痛を覚えたらしかった。頭を抱えるようにして苦しんでいる。

 神威は彼を斬り付ける。闇が裂け、けれど、またすぐに元に戻る。

(永希さん……!)

 凪冴は祈る。それしかできることはなかった。全て、神威に任せるしかない。

 しかしながら、彼の気配は感じている。

 神威は何度も何度も斬り付ける。斬って、斬って、それでも闇は晴れないが、濃さを増すわけでもない。

「試し切りは終わりだぁっ!」

 まるでこれまで遊んでいたかのように神威が纏うものが変わった気がした。白銀から真紅へ、もし神威の姿がここにあったならば髪がそう変化していただろう。

 バッサリ、神威が斬る。それはもう断つと言った方がしっくりくるような強さだった。二撃目、格の部分が見えた。

「ぐぅっ、ぁっ……ぅぐあぁぁぁぁぁっ!」

 苦しみ叫ぶ永希は最早獣のようだった。捕まえようと伸ばす腕を神威は難なく避けている。

『神威!』

 たまらず凪冴は叫んだ。更なる攻撃を仕掛けようとしていた神威がピタリと止まる。

「止めんじゃねぇ、馬鹿! 大丈夫だ」

 凪冴は弾かれた気がした。闇の中へ吹き飛ばされる。

 闇の深淵に永希の姿が見えた。膝を抱えている。

(永希さん! 永希さん!)

 凪冴は何度も呼びかける。

 永希が気付く。戸惑ったように、けれど、手が伸ばされる。指先がそっと触れる。

「見えた!」

 神威が笑った気がした。永希の胸を突き、ずぶりと切っ先が埋め込まれ、神威が力を込めたのがわかった。鈴が輝きを放つ。

 ――リーン……

 鳴り響いて全てが静寂と光に包まれる。


 凪冴はその場に立っていた。何が起きたかわからなかった。手には太刀はなく、目の前には永希が倒れている。

 禍々しい気配はなく、神威が行ったことが、〈鬼〉の破壊ではなく、浄化だと気付く。

『な、綺麗になっただろ? 俺はちょっとばかり眠るぜ』

 神威は疲れたのか、その気配は少し弱い。そして、意識の闇に沈むように気配はぷつりと切れた。

 うっ、と小さく永希が呻き、凪冴は駆け寄る。その目が開かれる。

 彼がどういう状態なのか、わからない。どうしたらいいか、わかるはずもないのに、考えている暇はなかった。

「君……、水野さんだね。遥希の……弟のクラスメイトの」

 永希は断定していた。彼はこれまでのことを覚えているのか、いないのか。凪冴は戸惑う。

「何となく覚えてるよ。俺がしてきたこと。俺、ちょっとおかしかったよね。」

 体を起こし、永希は言う。ぐらりと揺れる体を凪冴は咄嗟に支えていた。暖かい体だった。

「君に言ったこと、嘘じゃないんだよ。多分、ね」

 永希自身も困惑しているようだったが、それでも落ち着いているようだ。

「写真を見た時、本当に祝福できるのかな、って思ったよ。遥希は本当に嬉しそうに君のことを話して、聞けば聞くほど羨ましくなった。あいつは俺が思うほど子供じゃなくて、きっと幸せな恋をするんだろうって、いつの間にか俺を追い抜いていくんだろうと思って苦しくなった」

「もう何も言わないでください」

 今もまだ苦痛を感じているようだった。〈鬼〉が浄化されたことで、彼の蝕まれた心の部分まで削られることはなかったらしい。

「ずっと熱に浮かされたみたいで、気付いたら家を出ていた。フラフラして、君と会って、爆発した。どうして、君と出会ったのが、俺じゃなかったのかって」

「もう終わりましたよ」

 終わったのだ。彼の苦痛も、遥希の悲しみも。けれど、凪冴の戦いは終わらない。これが始まりだ。

「ありがとう」

 永希が笑う。その先で近付いてくる気配を感じていた。〈鬼追い〉一班の三人だった。

「おやすみなさい、永希さん。目が覚めたら、悪夢は綺麗に消えて何もかも元通りになりますよ」

 凪冴が笑いかければ、永希は安心したように目を閉じる。

 そうなることを心から願っていた。

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