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神薙  作者:
第三章
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12/20

神威 003

 目覚めたベッドの上で、凪冴は理解する。ここへ来るのは二度目だ。医務室だ。

 体を起こせば、全身が痛む。筋肉痛だった。何とか、ベッドから降り、カーテンを開ければそこには彼がいた。

「矢野、さん?」

 どうして、彼がいるのか、さっぱりわからない。四條はいないのだろうか。

「よお、調子はどうだ?」

 まるで、何事もなかったように、自分が主であるように当然のように、椅子に座って足を組みながら本を手にしている。

「……筋肉痛で死にそうです」

「これから、ちゃんと鍛えねぇとな。じゃねぇと、神威の動きが悪くなる」

 矢野は柔らかく笑っていたように見えた。馬鹿にするわけでもなく、あくまで先輩らしいと言えるように優しい。

「茶、飲むか?」

 手招きされるがままに近付くと椅子へと促され、凪冴は大人しく座った。反対に立ち上がった矢野は凪冴の目の前にコップを置き、隅の冷蔵庫から取り出したガラスピッチャーの中身を注ぐ。

「変態の作り置きの麦茶だけどな、変なもんは入ってねぇよ」

 疑う気力もなく、凪冴はコップに口を付ける。ひんやりと麦茶が痛む体に染み渡っていく。

「って言うか、矢野さん、何してるんですか?」

「留守番。まあ、気にすんな」

 向かいに座り直した矢野が読んでいたのはやはりと言うべきか漫画だった。

 彼ははぐらかそうとしているらしいが、凪冴は気になって仕方がなかった。彼は謹慎中のはずだ。だから、追及するつもりだった。

「〈鬼狩り〉の奴らは神威を入れるためだけに鍛えてると言ってもいい。それをお前に横取りされて殺気立ってる奴もいるくらいだ。神威が動いてくれるなんて怠けんじゃねぇぞ」

「わかってます。私、あんな生意気な子に体乗っ取られるとか嫌です」

 一度きりのことだったが、その危うさは十分に理解したつもりだった。あれを皆が欲しがるとは信じ難いというのが凪冴の素直な感想だった。彼が力を貸してくれると思うのは間違いだ。あの〈鬼〉は自分の入れ物を欲している。それだけだ。

「まあ、俺が教育係に任命されたからビシバシ指導してやるけどな」

「矢野さん、〈鬼追い〉ですよね?」

 何から突っ込みを入れたらいいのか、わからずに凪冴は確認してみる。

「おう、〈鬼狩り〉一軍に大躍進の誰かさんとは違うぜ? 今更ミラクルも起きねぇ」

 本当に矢野は〈鬼狩り〉を諦めているらしい。嫌みっぽい言い方だが、嫉妬している風でもない。

「その〈鬼狩り〉一軍の誰かさんが〈鬼追い〉の俺に指導されるなんて屈辱的だろうな」

「屈辱とか……そんなのないです。その、信じなくてごめんなさい」

 実際に神薙機関に入ったことで、見えてきたものもある。

「気にすんな。わかってくれたなら、それでいい。まあ、これで名前を呼んでくれたらだな……」

「でも、矢野さん、本業の調査はいいんですか?」

 いきなり核心に触れられずに凪冴は遠回しに聞いてみたが、矢野はぴたりと止まった。

「おう、これも仕事だからな。気にすんな」

 そうは言うものの、触れられたくなかったというような顔をしている。気にするなと言われても無理である。

「謹慎って何したんですか?」

「チッ……聞いてるんじゃねぇかよ」

 矢野の顔が歪むが、睨んでくるわけでもない。だから、凪冴は更に踏み込むことにした。

「何しちゃったんですか?」

「お前……変なこと考えてるだろ?」

「変なこと考えてるのは矢野さんの方じゃないですか。ロリコン公言するし」

「手出したい女子高生は今時珍しくやたらお堅いっつーか、一途っつーか……」

 そこで矢野は言葉を止めた。

「俺のことはいい。現場に出られねぇってだけだ。それより、アサシン……朝永には注意しろ。あいつは、二軍だが、お前より全然動ける。いや、一軍にもあいつほどの手練はいねぇってくらいだ。神威に相当執念を燃やしてたからな」

「それは、凄く感じました」

 彼と戦ったのは神威だが、凪冴も見ていた。自分の中から彼の言葉を聞いていた。朝永には睨まれた、そんな気がするのだ。

「その昔、〈鬼〉絡みで悲惨な事件が起きた。女に語るのは憚られる話だが、お前ももう〈鬼狩り〉だ。ある意味伝説の事件だし、知っておいた方がいいだろう。聞くよな?」

 凪冴は迷わず頷いた。

「その〈鬼〉は女の腹に寄生した。しかも、やたら感染力が強くてな」

「お腹、ですか……?」

 何となく凪冴は自分の腹に手を当ててみる。

「ああ、正確には子宮か。次々に寄生して、あっと言う間に育って、産まれて、寄生して、の最悪な無限ループだった」

 思わず、手を口に当てていた。

「あいつは一軍の奴らが本体探して走り回ってる頃、次々に寄生された女の腹を刺して回った。お前もやられただろ? あの調子で顔色も変えずサクサクやってったらしいぜ」

 その光景が目に浮かぶようだった。

「矢野さんは……?」

「うん?」

「矢野さんは、その時どうしていたんですか?」

 聞かれたくないことだったのかもしれない。矢野の動きが止まり、それから頭を掻き始めた。

「まあ、特別に駆り出されはしたぜ? そん時、俺もまだ新入りだったから、ギラギラしてたしなぁ。頑張ったら、また〈鬼狩り〉に戻れるって浮かれてた」

 それも容易に想像できる光景だった。

「その内、わかると思うけどな。〈鬼持ち〉は〈鬼〉を宿してる以上、他の〈鬼〉の気配には敏感だ。サブローはあんなんだが、〈天眼〉って言われてて、まあ、千里眼っつーの? かなり広範囲の〈鬼〉を感じられる。けどな、〈鬼狩り〉がサブローを必要とするわけじゃねぇ。あいつらは自分で見付け出せるっつーし、正直、俺らを頼る必要はねぇ。使えねぇ〈鬼持ち〉を仕方なく置いておくのが〈鬼追い〉だ」

 凪冴は最初〈鬼追い〉があってこそ〈鬼狩り〉があると思っていたが、〈鬼追い〉がいなくとも〈鬼狩り〉は行動できるらしい。

「だから、〈鬼追い〉は今回のお前の件みたいにな、ちまちましたのを調査してくってわけだ。んで、危険だったり緊急だったりすると〈鬼狩り〉が横取りしてくっつーわけだ」

 ギクシャクするのも無理はない。傲るのもまた然りだと凪冴は思う。

「そんなわけで、今にして思えば、ありえねぇ話だったよな……一度、落ちたら二度と戻れない。どんなに頑張っても、俺は猫の手以下だし、そもそも、タイプが違うからな」

 矢野は笑っていたが、どこか寂しそうで、無理をしているのは明らかだ。本当は〈鬼狩り〉のことも諦めたくはなかったのかもしれない。

「って、だから、俺のことはいいんだって! ……いや、ナギがどうしても気になるってなら仕方がねぇか」

「私、矢野さんのこと誤解してたような、全然信じてなかったような……」

「しゃあねぇだろ。俺、ガラわりぃし、ロリコンだし?」

「その通り過ぎてフォローできませんね」

 凪冴は最初彼をもっと年上だと思っていたし、とにかく怖かった。でも、今は彼の優しさ、面倒見の良さを感じる。

「さて、もう帰っていいみたいだぜ? アサシンも謹慎食らったらしいし、俺が送ってくことになった」

「朝永さんも謹慎、って、まさか、私のせいですか?」

 また帰りは朝永の車だろうかと不安に思っていた凪冴には不謹慎ながら朗報にも思えた。しかし、彼がそんなことになる理由は気にかかる。

「まあ、見せしめかもな。お前を襲おうとしたらああなるぞ、ってな」

「襲うって……」

 矢野にもわからないらしいが、否定ではなかった。あの後、双子と何かあったのかもしれない。けれど、凪冴には、やはり自分が、神威が絡んでいるようにしか思えなかった。

「まあ、神威に選ばれたって、ちょー大事なんだぜ? あいつに限らず嫉妬に狂うやつがどれだけいることか」

「だから、俺が特例でお前の教育係になったわけだけどな」

「でも、謹慎って……」

 何がなにやら凪冴にはさっぱりだった。

「あれは、頭の堅いサブローの灸? もしくは、四條のババアの腹いせ? 今、現場に出られなくなったって何も困らねぇし、現場命じゃねぇし、アサシンも謹慎食らって、雑用にはどっかのお嬢さんの送り迎えも含まれてるってのに、あいつら、気付いてないんだぜ? 役得だよなぁ」

 ケラケラと矢野は笑っているが、これが三浦や四條の耳に入ったらどうなることだろうかと凪冴は心配になった。

「それに、教育係に任命してきたのは〈鬼狩り〉の久我さんだし、まあ、連携とれてなくて助かったっつーか」

「あの、矢野さん」

「ん?」

「よろしくお願いします」

 ぺこりと凪冴は頭を下げた。今、一番頼りになるのは彼だった。

「おう、お前は俺の可愛い後輩だ」

 矢野は笑顔を浮かべたが、彼にわしゃわしゃと頭を撫でられるせいで凪冴は見ることができなかった。

「それで、どうする? 本当はベッタベタに甘やかして休ませてやりたいが、まだ帰りたくないって言うなら付き合うぜ?」

 散々撫でられて、髪がボサボサになったところで、凪冴はようやく矢野を見ることができた。

 じっと見つめてくる彼の目は既に凪冴の意思など見通しているかのようだった。

「私に戦い方を教えてください」

「仰せのままに」

 体はあちこち痛んだが、猶予はない。朝永の言葉もまた真実なのだから。


 結局、矢野は丁寧に戦い方を教えてくれた。実技ではなかったが、必要な知識は得られた。最早彼は隠し事をしなかったし、今の凪冴に相応しい武器としてあの木刀を与えてくれた。

 模様が施された白い木刀はもう握っても痛みを発することもなかった。

 神威のあの太刀は念じれば朝永のようにいつでも出せるようだったが、今の凪冴には難しかった。神威を征服することはできていないのだから。

 そして、凪冴は今、自室のベッドの上でその木刀を握り締めていた。素振りをするには体が痛むし、部屋は決して広いとは言えない。

 だが、誰の物かも知らないその木刀は持っているととても落ち着くのだ。研ぎ澄まされ、心がクリアになって、対話できるような気がする。寝る時もすぐ側にと思うほどだった。

 暫くそうしていると何かを感じた気がして、凪冴は集中する。

 そして、何とか立ち上がり、窓に近寄る。見下ろした先に彼がいて、凪冴は飛び出していた。


 その人は壁に寄り掛かって凪冴を見上げていた。今も凪冴を待っていたかのようだ。

「……永希さん」

 彼は壁から背を離してにっこりと笑む。きっとそれは〈鬼〉の笑みに違いない。

「こんばんは」

「どうしてですか?」

「今の君なら気付くと思ったよ。けれど、力を得たところで何ができる?」

 永希は何もかも知っているような口振りだった。元々は彼に入れられた〈鬼〉だ。

「もう一度、君を堕としてあげようか」

 じり、と永希が距離を詰めてくる。凪冴はぎゅっと木刀を握り締めた。実体を持つが、特殊な術を施されているらしいそれは弱い〈鬼〉には十分に対応できるらしかった。実戦はまだだが、やるしかなかった。

 しかし、永希は離れていく。

「おっと、邪魔者が現れたようだ」

 凪冴が振り返り、永希が見詰める先を辿ると朝永が立っていた。永希を睨み付け、刀を手にしている。

「じゃあ、次は新月の夜に。その時こそ、君を絶望させよう」

 そうして、永希は去る。朝永は追うことなく、凪冴を睨んでいた。

「外に出るなと言われなかったか?」

 言われた。今日も念を押されたところだが、破ってしまった。ほんの少しならと思ってしまった。

「思い上がるな」

 きつい言葉に反論はできなかった。自分でもそうだったと思うのだ。神威が自分の中にいるのは感じている。出てきて体を乗っ取られたくはないが、もしもの時には、と考えていた。

「お前に神威は似合わない」

 それは凪冴自身も思っていることだった。どうして、自分なのか。神威は自分をどうしたいのか。

「たとえ、あの男をお前が救おうと、何にもならない」

「何で、朝永さんが、そんなことを言うんですか?」

「機関の秘密を知った者は記憶を消される。お前も目の届くところに転校させられる」

 ぎゅっと木刀を持つ手にも持たない手にも力が入る。凪冴もどこかでは感じていたことだった。矢野の言うお別れの説明もつく。けれど、ずっと目を逸らしていたかったのかもしれない。そうすることが一番何にもならないというのに。

「……朝永さんも優しいんですね」

 言えば彼は顔を歪めた。彼は優しくなどなかった。けれど、黙っておくこともできたはずだ。凪冴にきつく言い聞かせて家に戻すだけで良かったはずだ。

「でも、謹慎中じゃないんですか?」

 どうやら、聞かれたくなかったらしい。眉間の皺が深くなっている。けれども、これはお互い様というものなのかもしれない。矢野の謹慎を凪冴に教えたのは朝永だ。

 謹慎中の人間が外に出ていいのだろうかと凪冴は純粋に疑問を抱いていた。矢野は現場に出られないなどと言っていたはずだ。

 どのような罰かは知らないが、機関における謹慎とは凪冴が思うようなものとは少し違う気がした。彼らにとっては、辛いことかもしれないが。

「戻れ。そして、もう二度と出るな」

 彼はおそらく嫌々ながら凪冴の監視をしている。彼に下った命令を覆すことが凪冴にできるはずもない。大丈夫だと言ったところで彼は信じないだろう。

「わかりました。おやすみなさい、朝永さん」

 そう言って凪冴は踵を返す。ああ、と朝永が声を発したのを聞いた気がした。

 それら、眠るまで何度となく凪冴は木刀を握っては意識を集中させた。そうしていると彼の気配が辿れた。少しずつ移動はしているようだが、寝床などはどうしているのか不安だった。

 彼が不審者として通報されてしまうのは凪冴としても本意ではなかった。


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