第8回 免責条項
「死亡、確認しました」
保科が報告書を差し出すと、剛三は老眼鏡を額に押し上げて、それをひったくった。
事務所の空気が、わずかに張り詰める。衝立の陰では、まなみが息を詰めてこちらを見ていた。
剛三は報告書をめくり、写真を眺め、そして、ある一行で指を止めた。
「……第十六層、立入禁止区画」
その口の端が、じわりと持ち上がった。
「おい、保科。これはどういうことだ」
「書いてある通りです。一ノ瀬陽介さんは、第十六層の立入禁止区画で、崩落に巻き込まれて亡くなっていました」
「立入禁止区画だな?」
「はい」
「なら、免責だ」
剛三は報告書を机に放り出し、椅子の背にふんぞり返った。
「規約にちゃんと書いてあるだろうが。無許可で禁止区域に入って死んだ奴には、一円も払わん。三千万、浮いたな」
「あの」
まなみが、おそるおそる手を挙げた。
「立入禁止の場所で亡くなると、保険金って払われないんですか?」
「払われません。原則としては」
保科は棚から、使い込まれた規約集を引き抜いた。付箋の貼られたページを開き、まなみに見えるように机に置く。
「第十四条、免責事由。法令または管理局の定める立入禁止区域へ、許可なく立ち入ったことにより生じた事故については、保険金を支払わない」
「じゃあ、やっぱり……」
「続きがあります」
保科は、条文の最後の一行を指でなぞった。
「ただし、人命救助を目的とした立ち入りについては、この限りではない」
剛三の顔から、笑みが消えた。
「陽介さんが禁止区画に入ったのは、崩落に巻き込まれた新人三人を助けるためでした。この但し書きが適用されます」
「救助目的だと?」
剛三が身を乗り出した。
「そんなもん、誰が証明する。死人に口なしだ。本人が素材欲しさに入り込んだんじゃないと、どうして言える」
「証言があります」
保科がそう言ったのと同時に、すりガラスのドアがノックされた。
まなみがドアを開ける。
立っていたのは、フードを目深にかぶった青年だった。青年はフードを下ろし、深く頭を下げた。
「久我蓮です。四年前、一ノ瀬陽介さんに助けられた新人の一人です」
まなみが、小さく「えっ」と声を漏らした。三十万人の登録者を持つ配信者の顔を、知らないはずがない。
蓮は剛三の前まで進み出ると、鞄から一通の封筒を取り出した。
「あの日のことを、全部書きました。俺たちが立入禁止区画に入ったこと。崩落で閉じ込められたこと。陽介さんが助けに来てくれたこと。……陽介さんが、俺たちのせいで死んだこと」
剛三は封筒を受け取らず、鼻を鳴らした。
「配信者の作り話なんぞ、いくらでも書ける」
「管理局にも、同じことを話してきました」
蓮の声は、少しだけ震えていた。けれど、目は逸らさなかった。
「免許は、たぶん停止になります。配信も、どうなるかわかりません。それでも、話しました」
剛三が言葉に詰まった。
保科は手帳を開いた。
「裏付けもあります。管理局の入退場記録では、久我さんたち三人は新人免許の範囲外の出口から、二日遅れで出てきている。証言と矛盾しません」
「だとしてもだ」
剛三は食い下がった。
「一ノ瀬の倅が、自分の用事で禁止区画に入った可能性は消えんだろうが。素材採りに来てたんだろう」
「その可能性はありません」
保科は、机の上に布の包みを置いた。
ほどくと、青く透き通った鉱石が現れた。
「陽介さんの背嚢に入っていた蒼鉄です。陽介さんが採りに来た目的の素材で、写真と記録も残してあります。第十六層の、正規の採取場で採れるものです」
保科は剛三をまっすぐに見た。
「陽介さんは、届け出通りに第十六層へ潜り、目的の素材をすでに手に入れていました。あとは帰るだけだった。その人が、崩れかけた禁止区画にわざわざ入る理由は、ひとつしかありません」
事務所が静まり返った。
剛三は蒼鉄を睨みつけ、報告書を睨みつけ、最後に蓮を睨みつけた。
そして、長い、長いため息をついた。
「……書類を回せ」
吐き捨てるような声だった。
「ありがとうございます」
「礼を言われる筋合いはない。規約に書いてあるから払うだけだ」
剛三は立ち上がり、社長室へ向かいかけて、ふと足を止めた。
「それと、支払いは規定の期日ぎりぎりにしろ。一日でも長く、金は手元に置いておくもんだ」
「本日中に手続きします」
「おい!」
「ご遺族は四年待たれましたので」
剛三は何か言い返そうと口を開き、それから乱暴にドアを閉めた。窓ガラスが、またびりびりと震えた。
まなみが、そろそろと規約集を覗き込んだ。
「保科さん。この但し書き、誰が作ったんですか? なんか、すごく……うちっぽいっていうか」
「先代です。創業者の、橋爪源一郎さん」
保科は規約集を閉じた。
「人を助けに行った人間が損をする保険なんて、売る価値がない。そう言って、この一行だけは、どんなに反対されても譲らなかったそうです」
「社長のお父さん、なんですよね」
「ええ」
社長室の閉じたドアを、まなみがちらりと見た。
「社長は、削りたいんでしょうね……」
「削れないんですよ」
保科は、蓮が置いていった封筒を手に取った。
「この一行があるから、本郷橋の探索者はうちを信用してくれる。社長も、それはわかっています」
蓮が、はっとしたように顔を上げた。
保科は封筒を報告書に重ね、立ち上がった。
「さて。ご遺族に、ご連絡しなければなりません」




