第3回 兄の守り刀
応接スペースと呼ぶには心もとない、衝立で仕切っただけの一角に、灯は背筋を伸ばして座っていた。
まなみが出した麦茶のグラスには、まだ口がつけられていない。
「先日は、本当にありがとうございました」
灯が深々と頭を下げた。
「篠原くん――あの、盾役の仲間も、骨にひびが入っただけで済みました。来月には復帰できるそうです」
「それは何よりです」
保科は本心からそう言った。助けた相手が無事だと聞くのは、悪い気分ではない。
そして、それとは別のところで、頭が営業の算段を始めていた。わざわざ事務所まで訪ねてきたのだ。用件はおそらく――。
「本日は、ご加入のご相談でしょうか」
保科は机の引き出しから申込書と料金表を取り出し、灯の前に並べた。
「パーティ単位でのご加入ですと、割引もございまして」
衝立の陰で、まなみが小さく頭を抱えるのが見えた。
灯は申込書に目を落とし、それから困ったように眉を下げた。
「すみません、今日はそうじゃなくて……あ、いえ、加入もちゃんと考えます。でも、その前に」
灯は膝の上で、両手をぎゅっと握りしめた。
「兄のことで、お聞きしたいことがあるんです」
一ノ瀬陽介。
その名前を聞いた瞬間、保科の記憶の底で何かが引っかかった。
「四年前に、本郷橋ダンジョンで行方不明になりました。兄はこちらの保険に入っていて……先月、御社から手紙が届いたんです。行方不明の方の保険金の、お手続きのご案内だって」
灯は鞄から封筒を取り出した。見慣れた社名入りの封筒だ。
保科は思い出した。
四年前の秋。帰還予定を二日過ぎても戻らない加入者がいると連絡が入り、捜索に出た。届け出のあった階層を三日かけて隅々まで探したが、痕跡ひとつ見つからなかった。
「……その捜索には、私も加わっていました」
灯がはっと顔を上げた。
「お役に立てず、申し訳ありません」
「いえ、そんな……」
灯は首を振った。
「探してくださったことは、両親から聞いています。うちは鍛冶屋で、兄は跡継ぎでした。素材を自分で採りに行くために探索者になって……『いい刀はいい素材から』って、いつも言ってました」
一ノ瀬鍛刀所。本郷橋で探索者をやっていて、その名を知らない者はいない。保科も一度、鎖の修理を頼もうとして、見積もりの額を見て諦めたことがある。
「それで、お聞きしたいことというのは」
灯はスマートフォンを取り出し、画面をこちらに向けた。
ダンジョン配信の切り抜き動画だった。
画面の中では、二十歳過ぎの青年が、仕留めた魔物から素材を手際よく剥ぎ取っている。チャンネル名は『レンのダンジョン日記』。登録者数は三十万人を超えていた。
「ここです」
灯が動画を止めた。
青年の手元が大きく映っている。
握られているのは、一振りの短刀だった。刃渡りは二十センチほど。黒漆の柄の先に、小さな金具がついている。目を凝らすと、それは灯籠をかたどった透かし彫りだった。
「兄が打った、守り刀です」
灯の声が、わずかに震えた。
「完成したら私にくれるって、兄が言ってたものです。打っているところを、鍛冶場の隅でずっと見てました。柄頭の灯籠は、私の名前から取ってくれたんです。見間違えるはずがありません」
灯が画面をスクロールすると、コメント欄が表示された。
――その短刀かっこいい! どこの?
その下に、配信者本人の返信がひとつだけあった。
――もらいもの。命の恩人の。
保科はその一文を、しばらく黙って見つめていた。
「このレンって人に、何度もメッセージを送りました。その短刀をどこで手に入れたのか、誰にもらったのか。でも、一度も返事はありませんでした」
「それで、第十四層に」
「はい。配信を全部見返したら、あの人がよく第十四層で撮影していることがわかったので。直接会えば、話してくれるかもしれないと思って」
灯は申し訳なさそうに目を伏せた。
「その結果が、あれです。仲間にも、保科さんにも迷惑をかけました」
保科は何も言わなかった。責める言葉なら、灯自身がもう十分すぎるほど自分に向けている。
「手紙には、もうすぐ兄が亡くなったものとして扱われる、って書いてありました」
灯が顔を上げた。
その目には、三日前のダンジョンで見たものとは違う、静かで強い光があった。
「でも、兄の刀を持っている人がいるんです。もらった、って言ってるんです。だったら、兄は――」
灯は一度言葉を切り、それからはっきりと言った。
「兄は、生きているかもしれないんです」




