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ダンジョンの保険屋さん〜最強の保険調査員、救助も講師も営業もこなす社畜無双〜  作者: あいうえワをん
第4話 喪服の女

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第2回 一番後ろの席

 一度だけ。


 その言葉を口にしてから、保科はもう一度、被保険者の欄に目を落とした。


 霧島達也。三十四歳。


 顔は、すぐには浮かばなかった。講習で教えた探索者は、毎年何百人にもなる。名前を聞いただけで、全員の顔を思い出せるわけではない。


「担当したことがあるなら、なおさらだろうが」


 剛三が、机を叩いた。


「ご遺族を待たせる気か。さっさと手続きに回せ」


「確認が済み次第、回します」


 保科は、書類を一枚ずつめくっていった。


 請求書。保険金額、三千万円。受取人、霧島冴子。


 管理局の死亡認定書。一週間前の午後、第十五層の北の回廊。霧島達也は、黒い大型の獣に襲われて死亡したものと認める。根拠として、目撃者三名の証言と、ビーコンの記録が挙げられていた。


 目撃者の証言の記録。近くで採掘をしていた三人組のパーティだった。回廊の先で男の悲鳴――いや、悲鳴は聞こえなかったと書いてある。物音に気づいて駆けつけると、黒い獣が男の喉に食らいつき、そのまま闇の奥へ引きずっていくところだった。追いかけようとしたが、獣の足は速く、見失った。現場には、血だまりと、男が身につけていたビーコンが落ちていた。


 ビーコンは三人が拾い、管理局に届け出た。そして、当社が貸与していたものなので、先日こちらに返却されている。


 保科は、返却品の棚に目をやった。真鍮の枠に収まった灰色の石が、小さな袋に入れられて並んでいる。


 ビーコンの記録。生命反応途絶、午後三時十二分。位置、第十五層北回廊。


 書類に不備はない。完璧だった。完璧だったが、どこかに、何かがあった。


「保科さん」


 まなみが、遠慮がちに声をかけてきた。


「その霧島さんって、どんな方だったんですか?」


 保科は、目を閉じた。


 その日の受講者は十人ほど。ほとんどが新人で、初めての講習に緊張した顔をしていた。


 その中に、一人だけ、一番後ろの席に座っている男がいた。


 三十代半ば。中肉中背。どこにでもいそうな、印象の薄い顔だった。講習のあいだじゅう、男はうつむいたまま、一度も顔を上げなかった。保科が教室を歩いて回り、その机の横を通ったとき、男の肩がびくりと跳ねた。実技の時間には、鎖の扱いを見せようと保科が近づくと、男はわずかに身を引いた。


 講習が終わると、男は誰よりも早く教室を出ていった。


「……一番後ろの席に、いらっしゃいました」


 保科は、目を開けた。


「ずっと、うつむいておられた。私が近づくと、身をすくめておられました。そのときは、初めての講習で緊張しているのだと思いました」


「人見知りの方だったんですかね」


 まなみが言うと、隣の席でシャルマが端末を叩き始めた。


「保科さん。今、初めての講習、とおっしゃいましたか」


「はい。霧島さんにとって、最初の講習だったはずです」


「霧島達也さんの受講記録です」


 シャルマが、画面をこちらに向けた。


「霧島さんは、加入してから一年で、講習を六回受けておられます。熱心な方ですね」


「六回……」


「担当者を見てください」


 保科は、画面の一覧に目を走らせた。


 保科。大貫。大貫。大貫。大貫。大貫。


「講習は、保科さんと大貫さんの日替わりです。日程は受講者が自由に選べます。霧島さんは、六回のうち五回、大貫さんの日を選んでいます」


 シャルマは、一覧の一行目を指さした。


「そして、保科さんの講習を受けた最初の一回のあとは、すべて大貫さんの日です」


 シャルマは、淡々と続けた。


「偶然、五回とも大貫さんの日を選ぶ確率は、三パーセントほどです。それに、日程の空き具合を見ると、保科さんの日のほうが都合がよかったはずの月もあります。それでも、霧島さんは大貫さんの日を待って受講している」


 まなみが、目を丸くした。


「それって……保科さんを、避けてたってことですか?」


 保科は、何も答えなかった。


 一番後ろの席。うつむいた顔。近づくたびにすくんだ肩。


「…………」


 保科は、返却品の棚に歩み寄った。


 霧島達也のビーコンを、袋ごと手に取る。光を失った灰色の石。加入のときに、本人の血を一滴垂らして登録した魔石だ。


「シャルマさん。このビーコンの魔石を、鑑定に出していただけますか」


 シャルマが、はっと顔を上げた。


「管理局の鑑定所ですね」


「はい。ちょっと確かめたいことがありまして」


「おい」


 低い声が、事務所に響いた。


 剛三だった。顔が、みるみるうちに赤くなっていく。


「何を言い出すんだ、お前は」


「支払いの前に、確認したいことがあります」


「確認だと? 管理局が死亡を認めとるんだぞ。目撃者もおる。ビーコンの記録もある。これ以上、何を確認する必要がある」


「受講記録に、不自然な点があります」


「講習の日の選び方がどうした! お前の講習が気に入らない客なんぞ、いくらでもおるわ!」


 剛三は、保科の手からビーコンをひったくろうとした。保科は、それを静かに避けた。


「鑑定には、どれくらいかかる」


 剛三が、シャルマを睨んだ。


「急ぎで三日。費用は……」


 シャルマが金額を口にすると、剛三の顔がさらに赤くなった。


「冗談じゃない! お前は、あの奥さんの気持ちを考えたことがあるのか! 夫を亡くして、気持ちの整理もつかんというのに、保険会社に疑われて、三日も待たされて……」


「社長」


「わしが払うと言ったんだ!」


 剛三は、拳で机を叩いた。湯呑みが跳ね、茶がこぼれた。


「払うと言ったら払う!」


 事務所が、しんと静まり返った。


 まなみは、凍りついたように動かなかった。シャルマは、端末に指を置いたまま、剛三を見つめていた。


 保科は、こぼれた茶が書類に染みていくのを、黙って見ていた。


 剛三は、ケチだ。閃光玉一個に八千円と怒鳴り、お菓子代まで削る。支払いを渋り、免責の条項を探し、一円でも安く済ませようとする。


 その剛三が、今は、三千万円を払うと言って譲らない。


 保科は、ビーコンの袋を、そっと胸ポケットにしまった。


「鑑定の費用は、私の給料から引いていただいて構いません」


 剛三が、目を見開いた。


「三日だけ、ください」

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