第5回 行列は進む
第二十二層から第二十三層へと下る坂道を、奇妙な行列が進んでいた。
先頭に、作業着の男が一人。
その後ろに、銀色の鎧の大和探索生命の討伐部隊が十二名。続いて、革鎧に大きな袋を背負った探索者組合の精鋭部隊が八名。最後尾に、浮遊カメラを従えた配信者のパーティが四名。
二十五人。出発式では「討伐連合」と大々的に報じられた顔ぶれが、零細保険会社の調査員の後ろを、黙々と歩いている。
鷹宮恭一は、この光景が地上に生中継されているという事実を、なるべく考えないようにしていた。
「……おい」
背後から、低い声がした。組合の剣崎が、いつの間にか隣に並んでいた。
「あいつ、何者だ」
「私が聞きたい」
鷹宮は、前を行く保科の背中を睨んだ。
「あの鎖、見たか。太さが変わったぞ。船の錨ほどにな」
「こっちは逆だ。髪の毛より細くなった。白髪鬼を、一瞬で丸坊主にしやがった」
「網にもなりましたよ」
二人の間に、ルナが顔を突っ込んできた。カメラは少し離れたところで、行列全体を映している。
「百匹以上の蝙蝠を、網で横穴に流しちゃったんです。一匹も殺さずに」
三人は、顔を見合わせた。
「……あんな魔導具、聞いたことがない」
鷹宮は、業界最大手の装備部門が扱う魔導具の目録を、頭の中でめくった。伸縮する鎖ならある。だが、太さまで自在に変わる鎖など、どこにも載っていない。
「元は軍の特殊部隊とか、そういうのじゃないのか」
「元はどっかの上位パーティだろ。あの身のこなしは、狩りの場数を踏んだ奴のもんだ」
「視聴者さんは、秘密組織の暗殺者説が一番人気です」
ルナが端末を見せた。コメント欄が、保科の正体をめぐる憶測で埋まっていた。
鷹宮は、意を決して足を速めた。保科の横に並ぶ。
「君。一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「君は、いったい何者なんだ」
保科は、歩みを緩めずに答えた。
「保険調査員です」
「そうじゃない。その前は何をしていた。どこで、その技を身につけた」
「その前も、だいたい保険調査員でした。あ、たまにこうして救助もします。人手不足なもので」
鷹宮は、言葉に詰まった。
冗談なのか、本気なのか。横顔からは、まったく読み取れなかった。
そのとき、保科がすっと片手を挙げた。
行列が止まる。
坂道の先、岩陰から、何かが姿を現した。
狼に似ていた。だが、大きさは馬ほどもある。全身の毛は針のように逆立ち、裂けた口からは黒い牙がのぞいている。それが、三頭。
深層の魔物だ。
鷹宮の部下たちが、反射的に魔導砲を構えた。組合の男たちも、大鉈や斧に手をかける。ルナのパーティは、早くも大地の盾の陰に隠れていた。
「構えなくていいです」
保科が、振り返りもせずに言った。
そして、片腕を軽く振った。
鎖が一本、地面に叩きつけられた。
ずん、と重い音が、坂道に響いた。
それだけだった。
太くもならなかった。網にもならなかった。ただ、ごく普通の鎖が、地面を一度、打っただけ。
三頭の魔物が、ぴたりと動きを止めた。
先頭の一頭が、保科を見た。黒い瞳が、作業着の男をじっと見据える。その瞳に、何かがよぎった。
次の瞬間、三頭は揃って身を翻した。尾を巻き、耳を伏せ、来た道を一目散に駆け去っていく。
坂道に、静けさが戻った。
鷹宮は、魔導砲を構えたまま固まっている部下たちを見て、それから、自分の手を見た。
自分たちは、さっきまであの手の魔物に、手も足も出なかった。魔導砲を撃ち、閃光弾を投げ、必死に戦って、それでも追い回された。
この男は、鎖で地面を一度叩いただけだ。
「……魔物ってのはな」
隣で、剣崎がぼそりと言った。
「相手の強さを、本能で嗅ぎ分けるんだ。勝てない相手には、最初から牙を剥かねえ」
剣崎は、鼻で笑った。自分自身を笑っているようだった。
「俺たちは、牙を剥かれた。あいつは、剥かれなかった。そういうことだ」
鷹宮は、何も言えなかった。
保科は、何事もなかったかのように歩き出した。行列も、慌ててそれに続く。
そこから先も、同じことが続いた。
岩陰から大百足が這い出してくる。保科が鎖で地面を叩く。大百足は甲殻を縮め、這い戻っていく。
天井から巨大な蜘蛛が糸を垂らして降りてくる。保科が鎖で地面を叩く。蜘蛛は糸を手繰って、天井の闇へ消えていく。
一度も、戦わなかった。
鎖が地面を打つ音だけが、坂道に規則正しく響いた。そのたびに、深層の魔物たちは道を譲った。
ルナのカメラの向こうでは、コメントが追いつかないほどの速さで流れているらしかった。ルナはもう、実況することも諦めて、ただ口を開けてカメラを回していた。
何度目かに魔物が逃げ去ったあと、保科が足を止めた。
逃げていった魔物の方角を、じっと見つめている。
それから、しゃがみ込んで、地面に手のひらを当てた。
「どうした」
鷹宮が聞くと、保科は立ち上がった。
「怯えていますね」
「当たり前だろう。君にだ」
「いいえ」
保科は、首を振った。
「逃げていく方角が、どれも上です。下へ逃げた魔物は、一頭もいません」
鷹宮は、坂道の先を見た。
下へ続く闇。第二十三層の、さらにその先。深層へと続く方角。
「それに、私の前に現れる前から、あの魔物たちは怯えていました。毛の逆立ち方も、足の運びも、獲物を追う獣のものではありません」
保科は、しばらく闇の奥を見つめていた。
それから、何も言わずに歩き出した。
鷹宮は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
深層の魔物が、下層まで逃げてきている。この男ではない、何かから。
では、その何かとは、いったい――。
「あ、見てください!」
ルナの声で、鷹宮は我に返った。
坂道を下りきった先に、柔らかな明かりが見えた。岩壁に囲まれた広い空間。魔物除けの結界石が淡く光る、第二十三層の北の安全地帯だった。
行列の誰もが、安堵の息をついた。
その明かりの中から、何かが漂ってきた。
鷹宮は、思わず鼻を動かした。
ダンジョンの湿った空気には、まるで似つかわしくない匂いだった。
「……お茶?」




