第4回 網と生配信
「みんな見てる!? 今、マジでやばいとこにいるんだけど!」
ルナは浮遊カメラに向かって叫びながら、回廊を全力で走っていた。
――逃げてwwwww
――後ろ後ろ後ろ
――ガチでやばいやつ
――同接十二万きたwww
手首の端末に、コメントが滝のように流れていく。同時接続者数は、配信を始めてから最高を更新し続けていた。
嬉しくない。全然嬉しくない。
背後から、甲高い羽音が迫ってくる。
刃翼蝙蝠の群れだった。翼の縁が刃物のように鋭く、すれ違いざまに肌を切り裂いていく。一匹なら、ルナのパーティでもどうにかなる。だが、群れは百匹を超えていた。
深層の蝙蝠だ。下層にいるなんて、聞いていない。
「ルナ、もう無理! 装備がもたない!」
殿で盾役の大地が、ぼろぼろになった盾を掲げながら叫んだ。魔法使いのミオは息を切らし、斥候のハヤトは腕から血を流している。
討伐連合に同行して、深層の魔物を生配信する。レアな素材も手に入るかもしれない。出発前は、そんな楽な企画のはずだった。
実際には、連合とはぐれ、蝙蝠の群れに追い回されている。
最初は閃光玉で追い払おうとした。中層までなら、それで逃げていく。ところが、光を浴びた群れは逃げるどころか、狂ったように襲いかかってきた。そこからずっと、逃げ続けている。
――閃光玉逆効果で草
――深層の魔物には効かないって聞いたことある
――もう一回使えば?
――いやダメだろ
「もう一回……」
ルナは、腰の袋に残った最後の閃光玉に手を伸ばした。
そのとき、前方の闇に、灯りが見えた。
一つではない。いくつもの灯りが、こちらへ向かって近づいてくる。ヘッドランプの光だ。それも、かなりの人数の。
「連合だ!」
ハヤトが叫んだ。
「助かった、本隊に合流できる!」
ルナも、残った力を振り絞って足を速めた。
けれど、灯りの列の先頭を歩いてくるのは、銀色の鎧でも、革鎧でもなかった。
くすんだ紺色の、作業着だった。
疑問に思った瞬間、背後で悲鳴が上がった。
「ミオ!」
大地の叫びと、おそらく、ミオが転んだ音が耳に届く。
ルナは足を止めて振り返り、最後の閃光玉を握りしめた。
もう、これしかない。もしかしたら、今度こそ効くかもしれない。
そう思って、腕を振り上げた瞬間だった。
手首に、何かが巻きついた。
冷たくて、細い。鎖だった。
「それは、使わないでください」
落ち着いた声が、すぐそばから聞こえた。
いつの間にか、作業着の男がルナの隣に立っていた。手首から伸びた鎖の一本が、ルナの手首に軽く絡んでいる。
「逆効果になります」
男はそう言うと、ルナの手首から鎖をほどいた。
そして、迫ってくる蝙蝠の群れのほうへ、一歩踏み出した。
――誰?
――え、待って
――この作業着見たことある
――レンの配信に出てた保険屋じゃね!?
――名刺の人wwwww
男が、両腕を大きく広げた。
二本の鎖が、ほどけるように伸びていった。
細い。髪の毛ほどの細さだった。それが何十本、何百本にも枝分かれするように、回廊いっぱいに広がっていく。天井から床まで、壁から壁まで、細い鎖が縦横に張り巡らされ、見る間に巨大な網の目になった。
カメラの照明を受けて、網がきらきらと光る。
綺麗だ、とルナは場違いなことを思った。
蝙蝠の群れが、網に突っ込んできた。
甲高い悲鳴が、回廊に響き渡る。だが、網は一匹も通さなかった。群れは網の目にぶつかり、弾かれ、混乱して渦を巻く。
男が、片方の腕をわずかに傾けた。
網全体が、ゆっくりと角度を変えた。
回廊の脇に、細い横穴が口を開けている。網はまるで川の流れを変える堰のように、群れをそちらへと押しやっていった。蝙蝠たちは網に沿って滑るように流され、一匹、また一匹と横穴の闇へ吸い込まれていく。
最後の一匹が消えると、羽音は遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
男は網をたたむように腕を戻した。何百本にも広がっていた鎖が、するすると二本に戻り、手首に巻き取られる。
――は?
――は???
――今の何
――CGか?
――生配信だぞ
――画質荒くて何が起きてるかよくわからんかった
――保険屋つよすぎワロタ
――ていうか一匹も殺してなくね?
ルナは、カメラが回っていることも忘れて、男を見つめていた。
それから、はっと我に返った。
この流れは、知っている。レンの配信の切り抜きで、何度も見た。
ルナは、男が作業着の胸ポケットに手を入れるより早く、両手を差し出していた。
「名刺ですよね!」
男の手が、一瞬だけ止まった。
それから、何事もなかったかのように名刺を取り出し、ルナの手の上に置いた。
「本郷橋ダンジョン生命の保科です。非加入でしたら、ぜひご検討を」
――知ってたwwwwww
――先に手出してて草
――お約束になってるwww
――保険入りますって言え
「は、入ります! たぶん! あとで!」
ルナが叫ぶと、コメント欄がさらに沸いた。
保科は軽く頭を下げると、背嚢を担ぎ直した。
「では、私は急ぎますので」
「え、待って待って!」
ルナは慌てて呼び止めた。
「どこ行くんですか!? 私たち、連合とはぐれちゃって、地上までの道もわかんないし……」
「第二十三層で、弊社の加入者が帰還予定を過ぎています」
保科は、ルナのパーティを見回した。
「皆さんは、非加入者ですので」
そう言って、保科は再び歩き出した。
ルナは、その背中を目で追った。
そして、気づいた。
さっき見えた灯りの列が、すぐ後ろまで来ていた。
銀色の鎧の一団。出発式で偉そうに演説していた、大和探索生命の討伐部隊だ。その後ろには、革鎧の屈強な男たち。こっちは探索者組合の精鋭部隊。なぜか、みんな大きな袋を背負っている。
どちらの部隊も、傷だらけで、ぼろぼろだった。
そして全員が、保科の後ろを、黙々と歩いていた。
銀色の鎧の先頭にいた鷹宮が、ルナの視線に気づいて、気まずそうに目を逸らした。組合の剣崎は、もう何もかも諦めたような顔で、黙って顎をしゃくった。
来い、という意味らしかった。
「……あの」
ルナは、保科の背中に向かって声をかけた。
「ついて行っても、いいですか? 撮影もしながら」
保科は、振り返らなかった。
「ご自由に」
ルナは、カメラに向き直った。
画面の中では、作業着の男を先頭に、銀色の鎧と革鎧の行列が、闇の奥へと続いている。そこに、自分たちのパーティも加わろうとしていた。
ルナは、引きつった笑顔で言った。
「えー……みんな。なんか、大名行列みたいになってきました」
――大名行列wwwwwww
――殿が保険屋
――討伐連合(保険屋の後ろを歩くだけ)
――同接二十万きた




