第2回 大手の誤算
鷹宮恭一は、自分の判断に誤りがあったと思ったことが、生まれてから一度もなかった。
一流大学を出て、業界最大手の大和探索生命に入社した。救助部門で実績を積み、三十二歳の若さで討伐部隊長に抜擢された。今回の討伐連合でも、主導権を握っているのは自分たちだ。組合の脳筋どもも、配信者の小娘も、所詮は添え物にすぎない。
そして今、第二十一層の大空洞で、鷹宮は人生で初めて、自分の判断を疑っていた。
「隊長! 魔導砲、効果なし!」
「第二射、装填急げ!」
叫び声が飛び交う。部下たちが構える最新式の魔導砲が、青白い光弾を次々と吐き出していた。
その光弾が、すべて弾かれていた。
大空洞の中央に、山のようなものがうずくまっている。
鉄鎧竜。
体長は十メートルを優に超える。全身を黒光りする鱗に覆われ、四本の脚は大木の幹ほどもある。本来なら、深層の最奥にしか棲まないはずの魔物だった。
その鱗一枚が、地上では数百万円で取引される。一頭仕留めれば、それだけで今期の部隊予算が賄える。
そのはずだった。
「くそ、どうなってる……!」
鷹宮は歯噛みした。事前の資料では、魔導砲の集中射撃で倒れるはずだった。だが、資料のもとになったのは深層の調査隊がかつて遠くから観測した記録にすぎない。実物は、記録よりはるかに硬かった。
鉄鎧竜が、ゆっくりと首をもたげた。
尾が、振るわれた。
轟音とともに、前衛の三人がまとめて吹き飛ばされた。銀色の鎧が岩壁に叩きつけられ、ひしゃげる音がした。
「負傷者三名!」
「後退しろ! 陣形を立て直せ!」
鷹宮は叫んだ。だが、退路は狭い通路が一本だけだ。そこへ十二人がなだれ込めば、間違いなく詰まる。
その間に、あの尾がもう一度来たら。
鷹宮は、腰の装備袋に手を伸ばした。
最後の手段だ。
取り出したのは、大和探索生命が独自に開発した最新式の閃光弾だった。一発二万円。中層の魔物なら、これ一つで確実に追い払える。
「全員、目を閉じろ!」
鷹宮は閃光弾を、鉄鎧竜の鼻先めがけて撃ち放った。
白い閃光が、大空洞を真昼のように照らし出した。
目を開けた鷹宮が見たのは、怯んで後ずさる巨獣の姿――ではなかった。
鉄鎧竜が、咆哮していた。
大空洞全体が震えるほどの声だった。小さな目が、真っ赤に血走っている。巨体が、怒りに任せて地面を踏み鳴らすたびに、天井から岩の欠片が降り注いだ。
「怒って……る……?」
部下の誰かが、呆然とつぶやいた。
鉄鎧竜が、こちらに向かって突進してきた。
逃げ場はなかった。
鷹宮は、自分の人生で初めて、死を覚悟した。
そのとき。
ジャラリ、と金属の擦れる音がした。
大空洞の天井近く、岩棚の上から、何かが飛び降りてきた。
人影だった。
くすんだ紺色の作業着。剣も、魔導砲も持っていない。両手首に巻いた革帯から、二本の鎖が垂れているだけだ。
その男は、突進してくる鉄鎧竜の真正面に、ふわりと着地した。
「おい、何を――!」
鷹宮が叫ぶより早く、男が右腕を大きく振りかぶった。
鎖が、膨れ上がった。
一つ一つの輪が、見る間に太くなっていく。人の腕ほどに。人の胴ほどに。最後には、港で巨大な船を繋ぎ止める、錨の鎖そのもののような太さになった。
男は、それを振り子のように振り抜いた。
鉄の塊が、鉄鎧竜の横腹に叩きつけられた。
鈍い、重い音が響いた。
十メートルを超える巨体が、横ざまに吹き飛んだ。地面を削りながら滑っていき、大空洞の壁に激突する。天井から、ぱらぱらと砂が落ちた。
鷹宮は、口を開けたまま固まっていた。
部下たちも、誰一人声を出さなかった。
鉄鎧竜が、よろよろと起き上がった。首を振り、男のほうを見る。その小さな目から、怒りの色が消えていた。
代わりに浮かんでいたのは、怯えだった。
男が、錨の鎖をもう一度持ち上げてみせる。
鉄鎧竜は、くるりと背を向けた。大空洞の奥の暗がりへ、地響きを立てて逃げていく。
やがて、その足音も聞こえなくなった。
男は鎖を軽く振った。錨ほどもあった鎖が、するすると元の細さに戻っていく。何事もなかったかのように、男はそれを手首に巻き取った。
「皆さん、ご無事ですか」
落ち着いた声だった。
鷹宮は、我に返った。
「あ、ああ……負傷者が三名いるが、命に別状は……」
男は、岩壁際に倒れた三人に目をやった。歩み寄ることもなく、ほんの数秒、その様子を眺めただけだった。
「呼吸も出血も問題なさそうですね。骨折が二名、打撲が一名といったところでしょうか。応急処置は、御社の救助員の方にお任せします」
「……見ただけで、わかるのか」
「仕事ですので」
男はそう言うと、鷹宮の前に立ち、作業着の胸ポケットに手を入れた。
取り出されたのは、一枚の名刺だった。
「本郷橋ダンジョン生命の保科です」
鷹宮は、反射的に両手でそれを受け取った。
「非加入でしたら、ぜひご検討を」
「……は?」
鷹宮は名刺と男の顔を、交互に見た。
本郷橋ダンジョン生命。聞いたことがある。商店街の外れの雑居ビルに入っている、吹けば飛ぶような零細企業だ。
「わ、我々は大和探索生命の討伐部隊だぞ。保険会社だ」
「そうでしたか。失礼しました」
保科という男は、穏やかに頭を下げた。
鷹宮の胸のロゴにも、銀色の装備にも、一度も目をやらなかった。
業界最大手の名前を出して、返ってきたのは、それだけだった。
「それと、一つだけ」
保科は、鉄鎧竜が逃げていった暗がりに目をやった。
「深層の魔物は、光の少ない場所で生きています。強い光は、威嚇ではなく挑発になります。下層にいる間は、閃光弾はお控えください」
鷹宮の手の中で、使いかけの閃光弾の袋が、かさりと鳴った。
一発二万円。
「……あの鱗は」
鷹宮は、思わずつぶやいていた。
「一枚、数百万だったんだが……」
「そうですか」
保科は興味なさそうに頷くと、背嚢を担ぎ直した。
「では、私は急ぎますので」
そう言って、大空洞のさらに奥へと歩き出す。
「お、おい、待て!」
鷹宮は慌てて呼び止めた。
「どこへ行く。我々を地上まで送ってくれるんじゃないのか」
保科は足を止め、振り返った。
「私の業務は、加入者の救助です。第二十三層で、弊社の加入者が帰還予定を過ぎています」
保科は、鷹宮とその部下たちを見回した。
「皆さんは、非加入者ですので」
それだけ言うと、保科は再び歩き出した。
鷹宮は、その背中を見つめた。
後ろには負傷者が三人。魔導砲はほとんど効かず、閃光弾は逆効果。来た道を戻れば、またあの鉄鎧竜と鉢合わせるかもしれない。
前を見れば、零細企業の作業着の背中が、闇の中を迷いなく進んでいく。
鷹宮は、人生で二度目に、自分の判断を疑った。
そして、口を開いた。
「……ついて行っても、いいか」
保科は振り返らなかった。
「ご自由に」




