第1回 討伐連合、出陣
シャルマが机に広げた階層図は、赤い点で埋め尽くされていた。
まなみは保科の肩越しに、おそるおそるそれを覗き込んだ。一つ一つの点が、今年起きた事故の場所なのだという。
「去年までの分布と比べてください」
シャルマが、もう一枚の図を隣に並べた。こちらの赤い点は、下へ行くほど多く、上へ行くほど少ない。深い階層ほど事故が多い。当たり前の形だ。
ところが今年の図は、違った。
赤い点が、下層のあたりにぎっしりと固まっている。
「事故の起きる場所が、少しずつ浅くなっているんです」
シャルマは、赤い点の塊を指でなぞった。
「それも、事故の原因になった魔物の種類を調べると、本来は深層にしかいないはずのものばかりです。それが、下層で人を襲っている」
「深層の魔物が、下層に上がってきてるってことですか?」
まなみが聞くと、シャルマは頷いた。
「まるで、何かから逃げてきたみたいに」
事務所が、少しだけ静かになった。
保科は黙って図を見つめていた。何を考えているのか、その横顔からは相変わらず読み取れない。
「何かって、何ですか」
「わかりません。データからわかるのは、ここまでです」
シャルマは図を丸めながら、ため息をついた。
「わかっているのは、このままだと、今年の支払いがとんでもないことになるということだけです」
「とんでもないだと!?」
社長室のドアが、ばんと開いた。
「おい、その話、詳しく聞かせろ!」
剛三が事務所の隅の古いテレビをつけたのは、それから一時間後のことだった。
「ほれ見ろ。ちょうどやっとるぞ」
画面には、本郷橋ダンジョンの正面ゲート前の広場が映っていた。紅白の幕が張られ、報道陣のカメラがずらりと並んでいる。
テロップには、こうあった。
――下層の異変に対処へ 大手保険会社・探索者組合などが「討伐連合」結成
ゲート前には、揃いの銀色の装備に身を包んだ一団が整列していた。胸には、大手保険会社のロゴが光っている。その隣には、使い込まれた革鎧の屈強な男たち。少し離れたところでは、派手な衣装の若者たちが浮遊カメラに向かって手を振っていた。
「すごい……」
まなみは思わず声を漏らした。
マイクを向けられた銀色の装備の男が、自信に満ちた笑みを浮かべた。胸元のプレートに、「討伐部隊長 鷹宮」とある。
『下層の安全を取り戻すことは、我々業界最大手の責務です。最新の装備、精鋭の人員、そして十分な資金。これらを持つのは、我々のような大手だけですから』
鷹宮はそこで、ちらりとカメラに視線を向けた。
『小さな会社さんには、なかなか真似のできないことでしょうが』
「なんだと、このぉ……!」
剛三がテレビに向かって拳を振り上げた。
画面が切り替わり、革鎧の大男が映る。探索者組合の精鋭部隊長、剣崎。
『魔物を狩るのは、俺たち組合の仕事だ。保険屋の出る幕じゃねえ』
さらに、派手な衣装の若い女性が、カメラに向かってウインクした。
『ルナでーす! 今日は討伐連合に同行して、深層の魔物を生配信しちゃいます! レアな素材、ゲットできたらみんなにも見せるね!』
「レアな素材?」
まなみが首を傾げると、シャルマが横から口を挟んだ。
「深層の魔物の素材は、地上ではほとんど出回りません。一頭仕留めれば、それだけで数千万の値がつくものもあります」
「……下層の安全のため、って言ってましたよね」
「表向きは」
シャルマはにっこり笑った。
「それにしても、連合の出資金を払わずに済んでよかったな」
剛三が、腕を組んで満足げに頷いた。
「うちにも声がかかってたんですか?」
「いや、かかっとらん」
「かかってないんですか」
「かかっとらんから、払わずに済んだ。結構なことだ」
まなみは、それが自慢になるのかどうか、よくわからなかった。
「保科さんは、ああいうのに参加しないんですか?」
まなみが振り返ると、保科は自分の席で、黙々と届け出の確認をしていた。テレビには、一度も目を向けていない。
「私は保険調査員ですので」
「でも、保科さんなら、あの人たちより……」
まなみが言いかけたとき、事務所の電話が鳴った。
まなみは慌てて受話器を取った。
「はい、本郷橋ダンジョン生命です。……はい。……帰還予定を、六時間超過。第二十三層。届け出の番号は――」
メモを取る手が、途中で止まった。
第二十三層。下層の真ん中だ。
さっき、シャルマが指でなぞった、赤い点の塊のど真ん中。
「……松尾様ご夫妻、ですね。承知しました。すぐに確認します」
受話器を置くと、保科はもう立ち上がっていた。
両手首に鎖の革帯を巻きつけ、救助用の背嚢を担ぐ。
「松尾さんご夫妻のビーコンは」
シャルマが、すでに端末を叩いていた。
「反応、二つとも生きています。第二十三層、北の安全地帯。六時間前から、ほとんど動いていません」
「松尾さんご夫妻は、ダンジョンが現れた年から潜り続けている方です。これまで一度も、帰還予定を過ぎたことはありません」
保科は、わずかに間を置いた。
「……安全地帯で待機されているなら、講習の教えを守っておられるということです」
保科は背嚢の紐を締め直した。
「いずれにしろ、帰還予定時間を過ぎた加入者は、迎えに行かなければなりません」
「保科さん」
シャルマが、珍しく真剣な顔で言った。
「わかっていると思いますが、今の下層には、深層の魔物がうろついています」
「わかっています」
「保科さんが死んだら、うちの加入者の死亡率は――」
「三割上がる、ですね」
保科は、ドアに手をかけた。
「戻ります。松尾さんたちと一緒に」
「おい保科!」
社長室の前から、剛三が叫んだ。
「閃光玉は持っていくなよ! 高いんだからな!」
「はい。今回は使いません」
剛三が、目を丸くした。
まなみも、シャルマも、思わず保科を見た。
保科はそれ以上何も言わず、ドアの向こうに消えた。
階段を下りていく足音が、すぐに遠ざかる。
「……あいつが、閃光玉を持っていかない?」
剛三が、信じられないという顔でつぶやいた。それから、じわじわと口元が緩んでいった。
「よし。よし! 今回は経費が浮くぞ!」
小躍りしながら社長室へ戻っていく剛三を、まなみは呆然と見送った。
テレビの画面では、ちょうど討伐連合がゲートをくぐるところだった。ファンファーレのような音楽が流れ、報道陣のフラッシュが一斉に焚かれる。銀色の鎧の行列が、威風堂々とダンジョンの闇へと消えていく。
まなみは、なんとなくシャルマのほうを見た。
「あの人たち、大丈夫ですかね」
シャルマは、丸めた階層図で自分の肩をとんとんと叩きながら答えた。
「統計的には、大丈夫ではありません」




