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ダンジョンの保険屋さん〜最強の保険調査員、救助も講師も営業もこなす社畜無双〜  作者: あいうえワをん
第2話 契約の内側

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第9回 契約の意思

「ふざけるな!」


 剛三の怒鳴り声で、事務所の窓ガラスがびりびりと震えた。


「昨日は払わんと言ったばかりだろうが! 一晩で何がどうなったら三千万払うことになる!」


「ビーコンが見つかりました」


 保科は、読み取り端末に表示された記録を、剛三の机に置いた。


「田所さんの生命反応が途絶えたとき、ビーコンはダンジョンの境界の内側にありました。判例により、死亡場所はダンジョン内と認定されます。補償の対象です」


「一センチだと?」


 剛三は画面を睨みつけ、鼻で笑った。


「そんなもん、屁理屈だ。死にかけの人間が、保険金欲しさにビーコンを放り込んだだけだろうが。工作だ。重大事由で契約解除にできる」


「判例は、生命反応が途絶えた瞬間のビーコンの位置をもって、死亡場所を認定すると定めています」


 保科は、まっすぐに剛三を見た。


「ビーコンを置いたのは、田所さんご本人です。地下室の床には、階段の下から扉まで這った跡が残っていました。鉄板の縁には、田所さんが爪を立てて押し開けた跡もあります。岩城さんが席を外していた、わずかな間のことです」


 保科は、薬のシートの入った袋を机に置いた。


「死因は心筋梗塞です。発作のあと、田所さんはご自分で薬を口にされていました。最後まで、生きようとされていたんです。それでも助からないと悟って、家族のために最後の力で手を伸ばした。そういう人を、工作をしたとは言いません」


 剛三が言葉に詰まった。


 横から、シャルマが静かに口を挟んだ。


「社長。昨日、保科さんは規約と判例に照らして、支払わないと判断しました。今日は同じ規約と判例に照らして、支払うと判断しています」


 シャルマは、ほんの少しだけ口の端を上げた。


「数字の上でも、筋の上でも、妥当です」


 剛三は、保科とシャルマの顔を交互に睨んだ。


 やがて、長い、長いため息をついた。


「……勝手にしろ」


 吐き捨てるように言って、社長室のドアを乱暴に閉めた。今日は、鼻歌は聞こえなかった。


「保科さん」


 まなみが、おずおずと尋ねた。


「岩城さんのことは、どうなるんですか」


「遺体を動かしたことと、虚偽の申告をしたこと、届け出のない穴のことは、先ほど、管理局に報告しました。警察への届け出も済ませています」


 まなみが、目を見開いた。


「保険金は払うのに、ですか」


「田所さんがダンジョンで亡くなったことと、岩城さんが嘘をついたことは、別の問題です」


 保科は、鞄に書類を収めた。


「まあ、情状酌量は考慮されるでしょう。前科がなければ不起訴になると思いますよ」


 まなみの顔に、ほっとした色が浮かんだ。


「さて。ご遺族に、伺わなければなりません」




 田所の家の居間には、午後の光が差し込んでいた。


 白木の祭壇の前で、保科は美代子と翔太に向き合った。


「ご主人の件、確認がすべて終わりました。保険金は、規定通りお支払いいたします」


 美代子は、しばらく何も言わなかった。


 それから、ゆっくりと頭を下げた。


「ありがとうございます」


 隣で、翔太が詰めていた息を吐いた。張りつめていた肩から、ふっと力が抜けるのが見えた。


「時間がかかってしまって、申し訳ありませんでした」


「いえ。確認って、何を調べてらしたんですか」


 美代子の問いに、保科は少しだけ間を置いた。


「ご主人が亡くなられた場所です。ビーコンの記録が見つかるまでに、時間がかかりました」


「ビーコン……」


 美代子が、遺影に目をやった。


「主人、ちゃんと持っていったんですね」


「はい」


 保科は、膝の上で手を揃えた。


「ご主人は、最後の力で、ご自分の手でビーコンを使われました。その記録が、ご主人がダンジョンの中で亡くなられたことの証になりました」


 嘘ではなかった。ただ、すべてでもなかった。


 美代子の目に、涙が滲んだ。


「あの人らしいです。講習の先生に言われたことは、何でも守る人でしたから」


 翔太が、膝の上で拳を握りしめていた。


「……父さん、最後まで、ちゃんと探索者だったんだな」


 誰に言うともなく、翔太はそう呟いた。


 保科は、何も言わずに頭を下げた。




 事務所に戻ったのは、日が傾きかけた頃だった。


 自分の席に着くと、まなみが待ちかねたように椅子ごとこちらを向いた。


「保科さん。一つ、聞いてもいいですか」


「どうぞ」


「もし、ビーコンが見つからなかったら。保科さんは、やっぱり払わなかったんですよね」


「はい」


 迷いのない答えだった。


 まなみは、少し唇を噛んだ。


「それって……やっぱり、ちょっと冷たくないですか。田所さんの奥さん、病気なのに。翔太くん、学校辞めるって言ってたのに」


 保科は、書類を揃える手を止めなかった。


「勘違いしないでください、小野寺さん」


 静かな声だった。


「私たちの仕事は、遺族を助けることではありません」


「え……」


「遺族を助けるのは、契約者ご自身です。毎月掛金を払い続けて、自分に万一のことがあったときに家族が困らないようにと備えた、田所さんの意思です。私たちは、その意思を契約の通りに届けるだけです」


 保科は、ようやく顔を上げた。


「当社の保険が守れるのは、ダンジョンの中だけです。だから講習では毎回、普通の生命保険にも入っておいてくださいとお伝えしています。田所さんも、何度も受講されていました」


 まなみは、何も言えなかった。


「契約の外にあるものを払えば、それはもう田所さんの意思ではありません。ほかの加入者が出し合ったお金を、勝手に使うことになります」


 保科は、引き出しから一枚の写真を取り出した。岩城の家の地下で撮った、ビーコンが置かれていた窪みの写真だった。


「田所さんは、最後の最後に、ご自分の手で、契約の内側に届いてみせました」


 保科は、写真を書類の上にそっと置いた。


「私たちにできるのは、遺族が助かる手助けをすることだけです。それ以上でも、それ以下でもありません」


 まなみは、写真をじっと見つめていた。


 やがて、小さく頷いた。


「……わかった気がします。全部じゃないですけど」


「それで十分です」


 そのとき、シャルマが自分の席から立ち上がった。


 手には、印刷したばかりの資料の束を抱えている。その表情は、いつになく硬かった。


「保科さん。少し、お時間をいただけますか」


「どうしましたか」


 シャルマは、資料の一枚目を保科の机に置いた。本郷橋ダンジョンの階層図に、無数の赤い点が打たれていた。


「例の、事故の分布の件です」


 シャルマは、静かに言った。


「お話しできるだけのデータが、揃いました」

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