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ダンジョンの保険屋さん〜最強の保険調査員、救助も講師も営業もこなす社畜無双〜  作者: あいうえワをん
第2話 契約の内側

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第5回 階段の下

 翌朝、保科は管理局から取り寄せた資料を、事務所の机に広げていた。


 事故報告書に添付された、現場の写真だ。


 第一層の東の外れ。湿った岩の床に、田所が仰向けに横たわっている。胸元のボタンが外れているのは、心臓マッサージの跡だろう。装備は整っていて、背嚢も傍らに置かれていた。


 保科は、写真を一枚ずつめくっていった。


 遺体の全身。顔。手。そして、足元。


 その一枚で、指が止まった。


 田所の探索靴の靴底が、写っていた。


「保科さん、何か見つかりましたか?」


 シャルマが、コーヒーを片手に覗き込んできた。


「靴底です」


「靴底?」


「第一層の東側は、床一面に黒苔が生えています。踏むと胞子が潰れて、靴底に黒い粉がこびりつく。あの辺りを五分も歩けば、どんな靴でも真っ黒になります」


 保科は写真を指さした。


 田所の靴底は、土埃で白っぽく汚れているだけだった。黒い粉は、どこにもついていない。


 シャルマが、ゆっくりと瞬きをした。


「穴を抜けて少し歩いたところで倒れた、と岩城さんは言っていたんですよね」


「ええ」


 保科は写真を封筒に戻し、立ち上がった。


「もう一度、岩城さんのところへ行ってきます」




 岩城は、保科の頼みをあっさりと聞き入れた。


「あの日の道を、歩いてみたいってか。構わんよ」


 保科の目をまっすぐに見て、そう言った。隠すことなど何もない、という顔だった。


 地下室に下り、岩城が鉄板をずらす。


 穴の入口から先は、斜めに下る通路になっていた。天井は十分に高い。その入口の数メートルだけ、岩盤が途切れ、湿った土の床がむき出しになっている。


「少し、お待ちください」


 先に進もうとした岩城を、保科は手で制した。


 しゃがみ込み、ヘッドランプの光を低く傾けて、土の床を照らす。


 真新しい足跡が残っていた。同じ大きさの靴跡が、二列。


 一列は、つま先を穴の奥へ向けている。もう一列は、こちらへ戻ってくる向きだ。


 奥へ向かう足跡は、土を深くえぐっていた。戻ってくる足跡は、それより明らかに浅い。


「岩城さん。あの日以来、この穴を通った方はいますか」


「いいや」


 岩城は首を振った。


「俺も、あれから一度も潜っちゃいない。潜る気になれなくてな」


 保科は頷き、足跡を踏まないよう、壁際を選んで穴へと入った。




「ここだ」


 岩城が、少し先の岩陰を指さした。


「ここで、あいつが倒れた」


 管理局の回収隊がつけた、白い目印のテープが、まだ岩に残っていた。


「岩城さんは、ここで心臓マッサージをされたんですね」


「ああ。必死だった」


「どれくらいの時間ですか」


「さあな。十分か、十五分か。とにかく、ずっとだ」


 保科はしゃがみ込み、床を照らした。


 黒苔の絨毯は、一面に踏み荒らされていた。回収隊、検視の担当者、管理局の職員。何人もの人間が、ここを出入りしたのだ。遺体がどう横たわっていたのかも、もう苔からは読み取れない。


 保科は、しばらく黙ってその跡を見つめていた。


 わかるのは、ひとつだけだった。この場所に立った人間の靴底は、誰であれ、例外なく黒く汚れる。


「……保科さん?」


 背後で、岩城が声をかけた。


「ありがとうございます。戻りましょう」


 保科は立ち上がった。




 地下室に戻ると、裸電球の明かりが、やけに眩しく感じられた。


 岩城が、鉄板を戻そうとしゃがみ込む。その背中は、昨日よりも少しだけ小さく見えた。


 保科は、地下室をもう一度見回した。


 壁際の工具棚。積まれた木箱。下りてきた急な階段。


 その階段の下に、わだかまる暗がり。


 昨日も、そこに目が留まった。何があるのかはわからなかった。ただ、見ておかなければならない気がした。


 保科は階段に歩み寄り、しゃがみ込んで、ヘッドランプの光を奥へと差し入れた。


 埃をかぶった古い長靴。錆びた缶。丸めた新聞紙。


 そして、その陰に、小さな銀色のものが落ちていた。


 保科は手袋の指先で、それを拾い上げた。


 錠剤のシートだった。


 十錠入りの、ありふれた形のもの。そのうち一つだけ、アルミの膜が破られ、中身が押し出されていた。


 裏面に印刷された薬の名前を、保科は知っていた。心臓の発作を鎮めるために、舌の下に含む薬だ。


 美代子の声が、耳の奥でよみがえった。


 ――主人も心臓が少し悪かったんです。いつも薬を持ち歩いていました。


 そして、昨日の岩城の声も。


 ――薬を出す間もなかった。


 背後で、鉄板を引きずる音が止んだ。


 振り返らなくても、わかった。


 岩城が、保科の手の中にあるものを、見ていた。

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