第4回 相棒の証言
岩城豊の家は、本郷橋の東の外れ、古い町工場が肩を寄せ合う一角にあった。
二階建ての木造で、一階はかつて作業場だったらしい。錆びたシャッターが下りたままになっている。
「保科さん、ここって……」
隣を歩くまなみが、きょろきょろと周囲を見回した。
「ダンジョンの東側の、すぐ上あたりですよね。さっきシャルマさんが見せてくれた地図の、赤い点の」
「ええ。ちょうど真上です」
まなみが、はっとしたように保科を見た。保科は何も言わず、呼び鈴を押した。
戸を開けたのは、写真で見た大柄な男だった。
ただ、写真の頃よりずっと老けて見えた。五十を少し過ぎたくらいのはずだが、頬がこけ、目の下に濃い隈がある。顎には無精髭が伸び、着古したシャツの襟元はよれたままだった。
「本郷橋ダンジョン生命の保科です。田所さんの件で、少しお話を伺えればと」
「……ああ。保険屋さんか」
岩城は、二人を奥の座敷に通した。
床の間に、田所と二人で写った写真が飾られていた。その前に、湯呑みに注いだ酒が供えてある。
「田所さんのこと、お悔やみ申し上げます」
「あいつとは、三十年組んでたんだ」
岩城は、写真に目をやったまま言った。
「ダンジョンができて、まだ誰も中のことをよく知らなかった頃からな。死にかけたことも、一度や二度じゃない。それでも、いつも二人で帰ってきた」
太い指が、膝の上で握りしめられた。
「最後だけ、連れて帰れなかった」
まなみが、そっと目を伏せた。
保科は、しばらく黙って待った。それから、静かに切り出した。
「あの日の朝のことを、伺ってもよろしいですか」
岩城は頷き、淡々と話し始めた。
田所が家に来たのは、朝の五時前だった。いつも通り、一階の作業場で装備を整えた。冗談を言い合いながら出発し、第一層を歩き始めてしばらくして、田所が急に胸を押さえてうずくまった。
「薬を出す間もなかった。仰向けにして、心臓マッサージをして、人工呼吸もした。でも、戻ってこなかった」
岩城の声が、かすかに揺れた。
「それで、通報した。あとは、報告書に書いてある通りだ」
保科は手帳を開いた。
「一つ、確認させてください。管理局の記録では、あの日、田所さんと岩城さんの入場記録が、どのゲートにも残っていません」
岩城の動きが止まった。
「それから、田所さんが倒れていた場所は、どのゲートからも離れすぎています。通報の時刻を考えると、ゲートから歩いてたどり着くことはできません」
座敷が、しんと静まり返った。
岩城は保科を見た。品定めするような目だった。やがて、ふっと息を吐き、苦笑いを浮かべた。
「さすがだな。講習で田所が褒めてただけのことはある」
岩城は立ち上がった。
「ついてきな。見せたほうが早い」
一階の作業場の奥に、地下へ降りる急な階段があった。
裸電球の明かりを頼りに、一段ずつ下りていく。湿った土の匂いが、だんだん濃くなっていった。この匂いを、保科はよく知っていた。
ダンジョンの匂いだ。
地下室は、思ったより広かった。古い工具棚や木箱が壁際に積まれている。
その一番奥に、分厚い鉄板が置かれていた。岩城が、その端に手をかけて、ずらす。
現れたのは、床にぽっかりと口を開けた、黒い穴だった。人ひとりが屈んで通れるほどの大きさで、その先は斜めに下へと続いている。奥から、ひんやりとした風が吹き上がってきた。
「これが、俺たちの入口だ」
岩城は、穴の縁にしゃがみ込んだ。
「この先が、第一層の東の外れにつながってる。歩いて五分もかからん」
まなみが、目を丸くして穴を覗き込んだ。
「え、これ、ダンジョンにつながってるんですか? 家の地下が?」
「本郷橋の古い家には、たまにあるんです」
保科が答えた。
「ダンジョンが現れたとき、地下の浅いところが、周りの家の地下室とつながってしまった。ほとんどは管理局に届け出て塞がれましたが、届け出ずに残している家もあります。この辺りでは、穴持ちの家と呼ばれています」
「届け出てないって、それ、いいんですか?」
「よくはないな」
岩城が、あっさりと言った。
「親父の代から使ってたんだ。ゲートまで行かずに済むし、混雑もない。田所と二人で、三十年、ここから潜ってた」
岩城は、保科に向き直った。
「あの日も、ここから入った。穴を抜けて少し歩いたところで、あいつが倒れた。ゲートの記録がないのも、場所が遠いのも、そういうことだ」
筋は、通っていた。
入場記録の空白。ゲートから遠すぎる遺体の位置。通報までの十五分。シャルマが指摘した食い違いは、この穴ひとつで、すべて説明がつく。
「届け出のない穴は、管理局に報告しなければなりません」
保科が言うと、岩城は肩をすくめた。
「わかってる。罰金なら払う。塞げと言われりゃ塞ぐさ。もう、一緒に潜る相手もいないしな」
その言い方には、何の未練もなかった。
保科は、穴の縁の土に目を落とした。
それから、地下室をゆっくりと見回した。壁際の工具棚。積まれた木箱。下りてきた階段と、その下にわだかまる暗がり。
「保科さん?」
まなみが、小声で呼んだ。
「なんでもありません」
保科は、もう一度穴を見下ろした。
記録の空白は、すべて埋まった。
――埋まりすぎるほどに。




