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三国志・劉曄伝ー曹操の影として生き切った漢ー  作者: 涼風隼人


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第63回 劉曄、樊城攻防戦(三)

 孫権はすぐに動いた。

 

 すぐに動いたと言っても、緊急で兵を出したわけではない。

 

 まずは、呂蒙による謀略を仕掛けた。

 

 この頃、孫権軍の第一の将軍と言えば、誰もが呂蒙、と答えるであろう。実際、関羽も呂蒙の事は一定の評価をしていた。

 

 しかし、関羽から言わせれば、呂蒙以外はすべからく「小物」扱いという感じであった。

 

 この関羽の考えを利用して、呂蒙は策を講じたのである。

 「呂蒙が病気になり、国境地帯の将軍が若い陸遜に代わった」という情報を流したのである。

 

 これに関羽は大喜びであった。


 呂蒙が相手であるから、ある程度、国境に残していた兵を、樊城攻略戦に追加で参加をさせたのである。

「関羽、かかったな」と呂蒙は思った。


 そして呂蒙は更なる奇策を繰り出す。兵たちに商人風の白衣を着させ、変装した状態の精鋭を繰り出し、何と江陵と公安といった、関羽にとっての二大拠点の占領にすぐさま成功をしたのである。


 そして、南郡太守である糜芳と、公安を守っていた傅士仁は、関羽から厳しく責任を追及されることを恐れ、あっさりと孫権軍に降伏をしてしまったのである。


 こうして、あっという間に孫権軍は、関羽の荊州南郡の奪取に成功をした。


 曹操軍もこの機に乗じて、徐晃の援軍が樊城の包囲を突破し、耐えに耐え抜いた曹仁と満寵を救うことに成功した。


 関羽はさすがに焦りを感じたが、その頃はまだ、糜芳と傅士仁の裏切りに気付いていなかった。しかし、退路も断たれたことを知ると、麦城に向かい、そこから益州に入る道を模索したが、孫権軍の馬忠に捕らえられ、息子の関平とともに斬られたのである。


 こうして、一時は曹操に遷都を検討させたほどの猛威を振るった関羽であるが、最後は呆気ない幕切れとなった。


 孫権は、念願の江陵、公安を手に入れた。


 そして、その報告と共に、曹操に関羽の首を送ったのである。曹操はこれを賞して、孫権を驃騎将軍、仮節、荊州牧、南昌侯に任命した。


 こうして、長きにわたる関羽との戦いは、曹操軍、孫権軍の連携により、終わりを迎えた。曹操が劉曄に言う。

「孫権め。あくまで関羽を殺したのは私の命令に従っただけで、本意ではなかった、ということを劉備に言うために、私に関羽の首を押し付けてきたな。」


「おっしゃる通りです。孫権の臣従はあくまで形だけ、ということになりましょう。今度は、劉備がどう動くか注視しなければなりません。劉備、関羽、張飛は、通常の関係を越えた情で結ばれており、間違いなく、関羽の弔い合戦を何らかの形で仕掛けてくるでしょう。」


「そうだな。関羽は一時的に私に仕えたものの、劉備の無事が分かった途端に飛び出していったからな。」


「はい。あとは、劉備が冷静な判断を諸葛亮などの助言ですることが出来るのであれば、孫権との修交はすぐになされ、今度はこちらに牙をむいてくる可能性も捨てきれません。」


「劉曄、孫権からも劉備からも目を離すなよ。」


「承知いたしております。」


 こうして、長きに渡った樊城攻防戦は幕を閉じた。

 

 そして、一つの時代も間もなく幕を閉じるのである。それは、劉曄にとって、あまりにも衝撃的な出来事であった。

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