第64回 (最終回)曹操の死、劉曄その後
西暦二二〇年(建安二五年)、曹操が病の床に就いた。
曹操も怪物ではなく、人間であった。
曹操は、自分の命の灯が消えるのが分かっていたのであろう。話せるうちに、主だった者へ自分の意思を伝えようと、多くの者が枕頭に呼ばれ、その最後ともいうべき、言葉を聞いた。当然、劉曄も呼ばれた。
曹操が苦しそうに、だが、はっきりとした声で言う。
「劉曄よ。お前は私の影となって寄り添ってくれた。荀彧、荀攸がいなくなり、どれだけお前の存在が私には貴重だったか・・・。しかし、それに見合った高位の椅子に座らせてやることが出来なかった。曹丕には、重臣として処遇せよ、と命じてある。今度は、本当にこの国の大黒柱となり、曹丕を支えてやって欲しい・・・。」
「もったいないお言葉・・・。しかし、私は影のような存在であるからこそ、魏王の傍で働くことが出来ました。このことに、心から感謝をしております。魏王、まだ天下は定まっておりません。ここから、天下統一まで、今一度、お立ちになることは出来ないのでしょうか。」
曹操は弱々しく笑いながら言う。
「劉曄、それはさすがに無理だ。出来ない、無理だ、という言葉を私は嫌っていたが、これだけはどうしようもない・・・。不思議なものだ、人間、自分の寿命が訪れると、その終わりが見えて来るものだ。劉曄、曹丕を、この国を頼んだぞ。」
「はい・・・。魏王の命令、心に刻み、倒れるまで働くことを誓わせて頂きます。」
曹操は満足そうに、小さく頷いた。
劉曄は、曹操が病気で少しずつ弱ってきたことに衝撃を受けた。そういうこととは無縁であると思えるほど、人として超越した存在だったからである。
自分の生涯をかけてついてきた曹操が、正に、間もなく亡くなろうとしている。そう考えるだけで、劉曄の心は痛みを覚え、呼吸することが苦しくなった。
どうしても、信じることが出来ない。この様な日がくることなど、想像もしなかった。
しかし、それは刻一刻と近付いてきた。そして、曹操の寿命の灯が消えた。享年六六歳。まさに、一時代を築いた巨星が堕ちた瞬間であった。
劉曄は、哭泣をした。
兄の死を聞いた時はすんなりと受け入れ、涙が出ることは無かった。しかし、曹操の死を聞いた時、瞳から涙があふれて、とめどなく、流れてきた。しかし、その涙を力強くぬぐい、劉曄は立ち上がった。そして、誓った。
「曹操様同様、曹丕様にもお仕えする。」
曹丕が魏王の位を引き継ぎ、そして間もなく、漢の献帝に禅譲を迫った。そして、漢の献帝はそれに応え、曹丕が皇帝の座に昇りつめたのである。ここに、完全に漢は滅亡したことになる。
曹丕は文帝とよばれる。
劉曄は、文帝から待中、関内侯に任ぜられた。
待中は、曹丕の側近、という色合いが強い。
曹丕は、曹操の遺言を守り、劉曄を重臣として取り立てたのである。
劉曄は曹丕の諮問に対し、曹操に答えてきたように、自分の考えを積極的に発言した。
劉曄から見ると、曹操に比べると、全ての意見を取り入れる度量というものは、見劣りするところもあるが、それでも、偉大な父の後継者として、曹丕は自分の出来ることを着実にこなしていった。
しかし、曹丕は寿命に恵まれなかった。
皇帝に即位して六年、西暦二二六年(光初七年)に亡くなったのである。曹丕から、劉曄に特別な最後の言葉は無かったが、後を継ぐ曹叡には、引き続き重臣として扱い、如何なる問題でも劉曄に諮問せよ、と遺言を残した。
曹叡は、明帝となった。
劉曄の事を、散騎常侍、光禄大夫という重臣として遇した。
そして、曹操、曹丕に対してしていたのと同じように、的確な助言、献策を行ったが、明帝は二人と違って、劉曄の言葉を忌み嫌うところがあった。
劉曄もその明帝の気配を感じ取り、政の表舞台から静かに姿を消したのである。
そして、劉曄も今までの激務による消耗からか、とうとう病床に就いた。
劉曄には、二人の息子がいる。
劉寓と劉陶である。劉曄はまず、劉寓に言う。
「この家の跡は、長男であるお前に任せる。劉寓、お前には人徳がある。それを大切に、そしてお家の存続はお前にかかっている。その点、しっかりと弁えよ。」
「わかりました。お任せください。」
そして、劉陶に言う。
「お前は、若い時の私に似ている。勘違いしないで欲しいが、これは誉め言葉ではない。お前の才気は走りすぎる。その才気を隠し、口から出した言葉は決して取り戻せないのだから、常に一言一句を意識して、話せ。そこを間違えると、如何に能力があったとしても、疎まれるだけで、大成することは出来ない。兎にも角にも、慎重に生きよ。そうすれば、道は啓けよう。」
「父上、わかりました。言葉の一つ一つにしっかりとこだわり、先走ることなく、慎重に生きて参ります。」
劉曄は頷いた。そして、二人に向かって言う。
「私は武帝(曹操)とお会いできたことが、人生の全てであったと言ってよい。明帝も、武帝、文帝に引けを取らない名君になるであろうから、その側でしっかりと支えること。それに、お前たちの人生を捧げよ。」
二人は、大きく頷く。劉曄が続ける。
「間もなく、私の寿命は終わる。話すことも少し、きつくなってきた・・・。頼む、兄弟仲良く、人生を生き切ったと言えるようにするのだぞ・・・。」
二人の瞳からは涙が溢れだした。
「父上、父上!」
劉曄はもう、反応しない。
劉曄享年、六六歳。奇しくも、曹操と同じ歳でこの世を去ったのである。
その死に顔は、正に「生き切った漢」の顔、そのものであった。
■おわりに
三国志を知っている人であれば、「劉曄」という名前は、確実に知っている者と思います。しかし、実際何をした人物なのか、というとそれほど詳しくは知られていないのでは、と思い、筆を取らせて頂きました。
少年期に母親の遺言だからとはいえ殺人を犯す、という衝撃的な話から始まり、曹操の影として生き続けた漢として、劉曄はまさに人生を生き切ったといえると思います。
今回は、涼風三国志の記念すべき一〇作品目です。
そして、今までの中で一番の長編となりました。
曹丕時代、曹叡時代も書こうと思えば書けたのですが、曹操の死で事実上の劉曄の物語は終わる、という終わり方を選ばせて頂きました。
「もっと劉曄の活躍が見たかった!」と、おっしゃってくれる方もいらっしゃるかもしれませんが、筆者としてはこの終わらせ方が最高、と満を持して筆をおきました。
中盤の方で、荀彧とのやり取りの繰り返しが冗長である、と感じた方もいらっしゃると思いますが、やはり、劉曄の成長を見てもらうには必要と判断し、そのまま残しました。
今回、自分の中でもかなり熱量を掛けて書きました。書き終わった時点で、今までは『流浪の軍師―三国志・賈詡文和伝―』を私の代表作としていましたが、この『劉曄伝―曹操の影として生き切った漢―』が代表作になり得る、と思っております。
最後までお読みいただいた方、本当にありがとうございます。心より、感謝致します。
涼風 隼人
■参考文献
・歴史群像シリーズ⑰三国志上巻⑱三国志下巻(学研)
・世界史劇場 正史三國志 神野正史(ベル出版)
・地図でスッと頭に入る三国志 渡邉義浩(昭文社)
・「三国志」の政治と思想 渡邉義浩(講談社選書メチエ)
・正史 三国志1~8 陳寿・今鷹真・井波律子・小南一郎
(ちくま学芸文庫)
・流浪の軍師―三国志・賈詡文和伝― 涼風隼人
・三国志・王脩伝―義に厚き漢― 涼風隼人
(涼風三国志)
■参考情報(インターネット掲載情報)
・ウイキペディア
・三国志人物伝
・今日も三国志日和
・もっと知りたい!三国志
・後漢と三国
・歴史の史実研究所
・歴史の読み物
・正史三国志人物列伝 英雄と凡人のその真実
・いにしえ中国史
・草の実堂
・百科事典
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