第6回 劉曄、劉勲を捨てる
孫策軍から劉勲の下に使者がきた。
孫策軍が先鋒として道を切り開くので、続いて進撃してほしい、という要請であった。
劉勲は快諾した。
今回の出陣に劉曄は入っていなかった。
この出陣に反対の旨を表明していたためである。
劉勲が劉曄に言う。
「劉曄先生。今回は留守をお願い致します。」
「わかりました。出陣されるとのことで、ご武運、お祈り致します。」
こうして劉勲は大軍を編成し、意気揚々と出陣をした。
その出陣を見届けた劉曄は、すぐに荷物をまとめだした。
そして、誰に言付けることなく、皖城を後にしたのである。
劉曄は、必ず孫策軍が皖城に攻め込んでくると読んでいる。
そのことは劉勲に伝えたわけだが、劉勲は聞かずに出陣をした。自分の献言に耳を貸さずに滅びの道を選んだ劉勲に、最後までついていくほどの義理が劉曄は無いと思っている。それ故の、皖城からの退去であった。
劉曄の読みは、当たった。
孫策軍は、実際に上繚まで出陣し、劉勲のための道を切り啓いた。劉勲は嬉々として、上繚に全軍で攻撃を仕掛けた。
その隙に、孫策が動かした別動隊が、皖城に一斉攻撃を仕掛けた。そのほとんどが上繚に出撃したため、皖城は戦う術も無く、あっさりと孫策軍に降伏した。
「皖城陥落」の知らせを聞いた劉勲は、急ぎ全軍に退却命令を出し、皖城に向かうことにした。しかし、この帰路を待ち伏せしていた孫策軍に散々に叩かれ、劉勲の軍はあっという間に壊滅、劉勲は全てを投げ捨てて、逃亡した。
孫策は劉勲を取り逃がしたのは残念であるが、更に追い込みを懸けなければならないほどの敵ではないと考え、必要以上の追撃はせず、兵たちには降伏を呼びかけ、応じた者は全て受け入れることにした。
孫策は皖城の攻略を、弟である孫権に任せた。孫権には軍紀をしっかり守り、無意味な殺生をしないことに加えて、劉曄を何としても捕らえる様に命じた。
孫権は劉曄の居場所を探したが、誰もその所在を知らなかったので、その旨を孫策に報告した。孫策が言う。
「周瑜よ。どうやら、劉曄を捕らえることは出来なかったようだ。」
「劉曄は恐らく、こうなることを予見していましたので、早々に皖城から退去したのでしょう。是非、手に入れたかった人材ですが、残念です。」
「そうか・・・。しかし、今回の戦の成果はかつてないほど大きいものになった。皖城、上繚を手に入れた上、多くの兵も獲得することが出来た。」
「はい。しかし、その分、兵糧や金が多く必要になりますので、内政の充実も図る必要があります。」
「そうだな。その辺りは張昭や張紘にしっかりとやってもらおう。」
この時、劉曄はどこにいたか。
故郷の成徳県に戻っていた。そして、劉曄に新たな誘いの話が舞い込んで来ていたのである。




