第47回 劉曄、荀彧の死を聞く
荀彧は、些か体調不良を感じていた。
しかし、そこに曹操からの異動命令が届く。
「近々、孫権討伐の遠征を行う。その際、軍監として同行してもらうつもりだ。よって、寿春にてその機を待て」と、いうものであった。
長きにわたり、曹操自らが遠征をし、荀彧は一貫してその留守を預かり、安堵してきた。それが突然の、軍監としての帯同命令、その前にあらかじめ寿春に異動せよ、という異例づくしの命令であった。
荀彧はこの命令に接したとき、非常に大きな衝撃を受けた。
別段、軍監になるのは構わない。しかし、許都を離れよ、という命令に関しては、明らかに朝廷の保護者とも言える荀彧を献帝のもとから奪い去り、「来るべき時」の準備を進めるためのものとしか考えられないからである。
体調が悪いと言っても、ずっと床に臥すほど悪いわけではない。そもそも、荀彧に命令を拒否する権利は無いのだ。
荀彧は寿春へと異動することになった。その話を聞いて献帝が荀彧に言う。
「荀彧よ。お前が側にいてくれるから、私は何とか、ここまでやってこられた。しかし、お前がいなくなったら、私は誰を頼ればいいのだ。」
「陛下がその気持ちを丞相にお伝えすれば、一旦はこの異動命令を覆すことが出来るかもしれません。しかし、例えそうであっても、次の手、その次の手とあらゆる手段を講じて、私と陛下の距離を遠ざけることは必定。そうであれば、最初に素直に従う方が、傷は浅くて済みます。」
「荀彧よ・・・。行ってしまうのか・・・。」
「はい・・・。現状、それが一番であるかと。漢王朝の復興の途中で、消えゆく私をお許しください。」
荀彧は深々と献帝に頭を下げた。
こうして荀彧は、長きにわたり支えてきた献帝の下を離れ、寿春に移ったのである。
寿春に移った荀彧は、体調が急変し、床に臥せることが多くなってきた。
そして「私の命はもう長くはない」と感じ始めた。
荀彧は、三人の息子を呼び出した。
荀惲、荀俁、荀しんである。息子たちに言う。
「私は、この人生を漢王室の復興に捧げてきた。そして、そのために丞相である曹操様に忠誠を尽くしてきた。しかし、志半ばにして、私の命は間もなく尽きようとしている。息子たちよ、私の思いを引き継ぐ必要はない。世の中は、新しく生まれ変わろうとしている。」
三男の荀しんはまだ幼く、父の話は分かっていない様であったが、長男の荀惲と次男の荀俁はしっかりと頷いた。
荀彧は続ける。
「お前たちは、とにかく曹操様に忠誠を尽くすこと。そして、新しい国造りに邁進すること。そうすることが、天下泰平、民の幸せにつながっていく。そのために、身を捧げるように。あと、荀惲、この書状をお前に託す。」
荀彧は枕頭より、厳重に封緘され、その結び目には荀彧の封泥が押されていた。
荀彧が言う。
「この書状は曹操様宛のものである。これを、劉曄殿から曹操様に出してもらうように、取り計らってもらいたい。頼めるか?」
「劉曄様ですね。もちろん、この荀惲責任をもって、劉曄様にお渡しを致します。」
「頼むぞ・・・。この書状にはお前たちと劉曄殿の命運がかかっているのだ。」
荀惲は頷いた。
そして、全て伝え終わったのか、荀彧は息を引き取った。
享年四九歳であった。
この荀彧の死は、一気に広まった。
鄴で政務に勤しんでいた劉曄は、あまりの衝撃に我を忘れて、人目を憚らず哭泣した。自分の師といえる人の、あまりにも早い死であった。
数日間、何もする気が起きなかった。
劉曄は初めて、自分から体調不良を理由に、休暇を申し出た。そこに、家人から客人が来た、と伝えてきた。
劉曄は誰にも会わない、断れ、と告げたが、その訪問者の名を聞くと立ち上がり、自ら出迎えた。
荀彧の長男である、荀惲である。
劉曄は、荀惲を家の中へと導いた。
そして席を用意し、劉曄が言う。
「あなたが、荀彧様のご長男、荀惲殿でございますか。」
「はい。生前は、父が大変お世話になったと聞いております。」
「何をおっしゃいますか。お世話になったのは、こちらの方です。あなたの前で言うことではないかもしれませんが、まるで我が子の様に薫陶して頂き、私を導いてくれました。」
「父もよく、劉曄様のお話はされておりました。これからの時代を背負う人物であると。」
「もったいないお言葉です。本当に何と言っていいか・・・。」
「実は、不躾ながら本日訪問させて頂いたのは、この書状を劉曄様にお渡しをするためです。」
「書状、でございますか。」
「はい。こちらになります。」
劉曄は書状を受け取った。
そこには見慣れた荀彧の封泥が施されていた。
荀惲が言う。
「父からの遺言では、劉曄様からこの書状を曹操様にお渡しして欲しい、とのことでした。」
「私から、曹操様に・・・。」
「はい。この書状の中身は、私は知らないのですが、この書状によって、我々遺族と劉曄様の命運が決まる、といったことを申しておりました。」
「一体何が書かれているのであろうか・・・。」
「私も、全く見当が尽きません。」
「わかりました。荀彧様の遺命として、この書状、私から曹操様にお渡しさせて頂きます。」
「ありがとうございます。私はしばらく、この鄴に滞在するつもりです。また改めて、お伺いをさせて頂きます。」
「承知しました。では、日を改めて。」
こうして、劉曄は荀惲より、曹操宛の書状を受け取った。
そして、それを渡すために、明日、曹操に会いに行くのである。




