第46回 劉曄、荀彧の心配をする
曹操は、関中の制定を終えると、鄴に帰還した。
留守を預かっていた家臣たちが、勢揃いで曹操の無事の帰還と関中平定を祝福した。
そして、その熱も冷めないうちに、重臣である董昭が、荀攸、賈詡、程昱、王朗、華歆と言った錚々たる面々を引き連れ、曹操に上奏したい議があると申し出てきた。
曹操は許した。そして言う。
「董昭、多くの者を引き連れて何事だ。私の留守中に、何か大きな問題でも発生をしたのか。」
「いえ、丞相がお留守の間、特に変わったことなどはございませんでした。」
「それなら、上奏したい議、とはどの様なものか。」
「はい。今回の関中の平定により、この国の半分は丞相に帰したものと言えます。これは、漢という国の力ではなく、丞相、いえ、曹操様のお力があればこその偉業でございます。」
「話が見えてこない。董昭、思っていることがあるならはっきりと言え。」
「曹操様。これを機に、魏という国を建国し、そのご身分は魏公にお昇りになるべきであると、私をはじめ、ここに居並ぶ者たちは考えております。」
「魏公・・・。私はあくまで、漢の丞相である。漢の復興のために、ここまでやって来たのだ。」
「しかしながら、漢の威光で、これだけの実績を作ることは、不可能であったと思います。曹操様個人のお力の賜物と言えます。恐れながら申し上げます。漢の命運は、既に尽きたものと考えます。」
「董昭。言葉が過ぎよう。」
「いえ、本当の事を申しているのでございます。この乱世はまだまだ続くでしょう。それを曹操様、魏公のお力により沈め、天下統一を為した暁には、魏の皇帝となられるべきでございます。」
「・・・。董昭、この話はいつから考えていたのだ。」
「つい最近思いついたような話ではございません。私は、いずれ曹操様の国を造りたいと思い、本日まで励んできました。そして、ここに居並ぶ、我が国の重臣はすべからく、私の考えに賛同をしてくれました。軍を預かる将軍の方々も、よもや反対することはありますまい。」
「お前たちの考え、気持ちはよく分かった。しかし、すぐに進められるものではない。少し考える時間をくれ。今日はこれで下がってくれ。」
董昭をはじめ、全員が拝礼して立ち去った。
この話は、数日のうちに許都の荀彧の耳にも届いた。
荀彧は膝から崩れ落ちた。そして呟く。
「董昭め・・・。何ということをしてくれたのだ。まさか、荀攸まで加担するとは・・・。」
荀彧は、心から曹操に尽くした。
曹操もそれが解っているから、いつも重要な留守を荀彧に託してきた。
荀彧の思いは、一貫して変わらない。
「漢室の復興」である。これ以上でも、これ以下でもなく、荀彧の唯一の強い思いである。
その思いを曹操はわかってくれている、と信じている。
まだ、曹操の口から、魏公に就任する、という言葉は出ていない。今、止めなければ。
荀彧は、許都から鄴へ馬車で向かった。御者にはなるべく早く着くように、申し伝えた。
―七日後―
荀彧は、鄴に到着した。
許都の風とは違い、正に、軍事拠点にふさわしい、錚々たる威容に驚きを隠さなかった。
衣服を改め、曹操に面会を求めた。
許都から荀彧自ら出向いたと聞いて、何事かと、曹操はすぐに会う手筈をした。
曹操が言う。
「荀彧よ。許都を預かる身でありながら、単身ここに来たのは如何なるわけか?」
「まずは、関中平定戦の勝利、お祝い申し上げます。そして、本日、こうやって押しかけさせて頂いたのは、ある噂を聞いたからでございます。」
「噂とは、何だ?」
「丞相が魏公に昇る、というお話です。」
「・・・。その話か。董昭以下、重臣たちよりその様な話があったのは事実だ。しかし、私はまだ答えを出してはいない。」
「そうでございますか。曹操様は、あくまで漢の丞相であり、漢の復興こそが我々の目的でございます。丞相のお心もそうである、と私は信じています。」
「漢の復興・・・。無論、私もそう思い、今までやってきたつもりだ。しかし・・・。」
「しかし、何でございましょう。」
「この乱世を終わらせるには、一切のきれいごとを捨てて、力で臨まねばならない、と考えている。その時、私の立場が漢の丞相でいいのか、というところに迷いがある。」
「何を迷われるのです。漢の丞相が力で統べて、帝が政を行う。全く問題ないと思いますが・・・。」
「そうか・・・。荀彧は一貫して、漢室復興だけのために、私に尽くしてきたのであったな。」
「全てがそうとは言えません。曹操様のため、と思い無い知恵を振り絞り、提言させて頂いたことも、数多くございます。」
「そうであったな・・・。一応、改めて聞く。荀彧、お前は私の魏公就任は反対、ということだな。」
「はい。漢の他に新たな国を造る必要性はございません。」
「お前の気持ちはよく分かった。今日はもう、下がるがよいぞ。」
荀彧は拝礼し、立ち去った。
荀彧は曹操と話をしてみて、思った。
「曹操様は、魏公になられる気だ」、と。
しかし、それは荀彧の目指すところではない。一方で、他の者たちは漢の復興ではなく、曹操の魏公就任による、新しい国造りを望んでいるのであろう。
いつから、自分の仲間はいなくなったのであろうか。
親族である荀攸も、魏公就任に賛意を示したという。
荀彧は、失意のうちに、許都に戻ることにした。
劉曄は、荀彧が許都を去ってから、曹操と荀彧が対面した話を聞いた。劉曄は思う。
「曹操様の魏公就任に、反対をされたのであろう・・・。」
劉曄自身、自分も縁は遠いとはいえ、皇族のはしくれとなる。本来であれば、漢の復興を強く望む側になるべきところ、実はそれほどのこだわりは持ち合わせていなかった。
漢であれ、曹操の魏であれ、強い者が天下を統べることが、結局この世の平穏を保つには一番である、と考えていたからである。
しかし荀彧は、すべからく「漢の復興」と言っていた。
「荀彧様に何も起きなければいいが・・・。」
この劉曄の荀彧を心配する気持ちは、最悪の形で実現をしてしまうのである。




