第29回 劉曄、曹操の荊州侵攻を見送る
「三公を廃止する」という曹操の発言に、献帝や周りを固める朝廷の者たちは驚き、そして唖然とした。
しかし、今の曹操に面と向かって反対の意を唱えられる者はなく、献帝すらも受け入れることしかできなかった。
曹操の朝廷での権力掌握はここに極まったと言ってよい。
そして、許都にて編成したのは、何と兵二〇万の大軍。その大軍が、いよいよ荊州攻略に向けて、南下を始めたのである。そして行軍中の曹操軍に吉報が入る。
「荊州牧劉表、死す」というものであった。
明確な遺言は無かったようだが、長男の劉琦ではなく、次男の劉琮が荊州名士、豪族の支持を集め、その後継者となった。
しかし、劉琮は荊州牧の器ではなかった。
「曹操軍侵攻」の第一報に触れるとすぐに、全面降伏を申し出たのである。
そして、この曹操の荊州侵攻と、劉琮の全面降伏にもっとも慌てたのが、曹操の仇敵とも言える劉備であった。
劉備は、北部の新野を守っていたが、すぐに荊州の要衝とも言える江陵を目指して逃亡を開始した。しかし、住民までその逃亡についてきたことで、遅々として進まず、曹操の放った急行軍にすぐに追いつかれ、大きな痛手を受けることになってしまった。
しかし、長坂において一騎当千の雄、張飛の活躍により、劉備は何とか逃げ切ることが出来たのである。
―許都―
劉曄が荀彧に言う。
「荊州は劉表の死もあり、全面降伏と言うことで、今後の事を考えると、荊州水軍を丸ごと手に入れられたことは、我が方にとって、非常に大きなものとなりましたね。」
「ああ。我が軍は名将揃いと雖も、水軍に関して熟練の者はいないからの・・・。ただ、一つ懸念を残してしまった。」
「懸念、でございますか?」
「ああ。劉備を取り逃がしたことだ。」
劉曄は、この劉備と言う名を時折耳にすることがあった。しかし、自前の地盤も持たず、彷徨える者の動向を、曹操を含め、荀彧などが気にしていることについては、正直、理由が解らなかった。そこで、劉曄は聞く。
「荀彧様。丞相もその劉備の動向を気にしていることがたまに見受けられましたが、それほどの存在なのでしょうか?私には単に、劉表に新野を間借りしていた客将程度と思っているのですが・・・。」
「無理もない。劉曄殿のおっしゃる通りと言えよう。しかし、劉備に会ったことがある者ならわかるのだが、何やら不思議な魅力を持つ、底の知れない人物であるのだ。実際、丞相自ら、今の乱世の英雄は、自分と劉備の二人だけ、とおっしゃったことがあるくらいだからな・・・。」
「丞相が、そこまで。」
「ああ。だから、本来は、新野で討ち取りたいところだった。しかも今は、伏龍の異名を持つ諸葛亮が軍師として仕えている。これを逃がしてしまったのは、想像以上に大きな痛手なのだ・・・。」
「左様でございますか。しかし、劉備はどこへ逃げ、これからどう動くのでしょうか。」
「まずは、江夏方面へ落ちっていたのだろう。そして、懸念されるべきは孫呉の孫権との連携となろう。」
「なるほど。孫呉の孫権でございますか。戦力の規模ではこちらが圧倒しているとは思いますが、小勢力とはいえ、侮れない相手でございますね。」
「その通り。水軍を一番使いこなすのは、この国で間違いなく孫権が一番であろう。その孫権と、劉備が手を組むと、少し厄介なことになるかもしれんな・・・。」
「そのことは、丞相にお伝えしなくてよろしいのでしょうか?」
「それは、言うまでもなく丞相自身が一番わかっておろう。今回、こちらから書状をしたためてお送りする必要性はあるまいよ。」
劉曄は、曹操や荀彧にここまで言わせる劉備に興味を抱いたが、現段階の分析では、仮に多少の痛手を被っても、曹操軍の勝利であることを信じて疑わなかった。
しかし、歴史は時として、信じられない奇跡の様なものを生み出すことがあることを、後に劉曄は知ることになるのである。




