第27回 劉曄、郭嘉の死を聞く
袁煕と袁尚は劉曄の予測通り、公孫淵を頼って遼東へと逃亡した。
公孫淵は、烏桓と違い、袁家に義理立てをするいわれはない。むしろ、袁紹は遼東を我が物にしようと考えていたことから、完全な敵対関係にあった。
その息子二人が自分を頼って落ち延びてきたという。
公孫淵にとっては、非常に迷惑な話であったが、一応、会うだけは会うことにした。公孫淵が言う。
「袁煕殿、袁尚殿。曹操殿と戦い敗れ、ここまで来られたと聞いているが、何のよしみで我を頼られた?」
袁煕が答える。
「お恥ずかしい話、もう他に行く当てもなく、ただただ公孫淵殿におすがりするしか思いつきませんでした・・・。」
「なるほど。冀州、幽州を奪われ、曹操軍は烏桓まで駆逐したと聞いている。我が、あなたたちを匿って、何の見返りがあるのであろうか?」
袁尚が答える。
「今は、公孫淵殿に差し上げられるものは何もありませぬ・・・。しかし、幽州、冀州を取り戻した暁には、幽州の一部の割譲と、公孫淵殿が東へ勢力を拡大していく上で、我々が後方の盾になることをお約束致します。」
袁煕が言う。
「幽州は私の領地でしたが、東方の一部を差し上げます。公孫淵殿にとって悪い話ではないと思います。その他、金銀財宝は言うまでもなく、十分な量をご用意致します。」
「ふむ・・・。確かに悪い話ではないな・・・。よかろう、二人を受け入れよう。誰か、誰かおるか!」
家人が一人急ぎ足で出てきた。
「この二人に湯浴みの準備を。あと、着替えを用意して差し上げよ。」
家人は平伏して、袁煕と袁尚を案内しようとした。ここで公孫淵が言う。
「この後、歓迎の宴の準備を致す。ここまでお疲れであろう、ゆっくり英気を養ってくだされ。」
袁煕と袁尚は拝礼をして、家人の後について行った。
袁煕たちがいなくなったのを確認し、公孫淵は側近を呼び集めた。そして言う。
「あの二人は現実が見えておらん。この状況で、どうやって曹操から冀州と幽州を取り戻すというのだ。あんな絵空事に乗るほど我は馬鹿ではないわ。」
「それでは、どう致しますか?」
「一番恐れるべきは、曹操にこの遼東に攻め込む大義名分を与えることだ。曹操が来る前に、あの二人を殺して、首を曹操の下に送る。」
「それを、今夜の宴会の時に、と言うことですな。」
「そうだ。ぬかりなく準備せよ。そして、即刻、二人の首を曹操に差し出すのだ。」
側近たちは、拝礼した。
―四刻後―
袁煕と袁尚は、宴会の準備が出来たと言われ、誘われるまま家人の後をついていった。上座には公孫淵が座り、その両脇に座るよう、公孫淵は案内した。
そして、宴会が始まる。
これから起きようとしていることがまるで嘘のように、華やかで和やかな雰囲気で宴会は進んだ。そして、公孫淵が立ち上がりながら言う。
「ふぅ。少し飲みすぎたわ。我は厠に行って参る。お二人とも、ごゆっくり。」
すると、突然物陰から衛兵たちが飛び出し、袁煕と袁尚を拘束した。袁尚が叫ぶ。
「公孫淵・・・殿。これはどういうわけか!」
袁煕も叫ぶ。
「先ほどの話、受け入れてくれたのではないのか!」
公孫淵は衛兵に押さえつけられ、地面に這いつくばる二人を上から見下ろして言った。
「そもそも、我にお主たちをかばう義理は無い。かばったところでもらえるのが、幽州の一部?この後に及んで、まだ曹操に勝てると思っているのか?ありえない話だ。」
公孫淵は続ける。
「もう話すことは無い。衛兵よ、外に連れ出し、二人の首を斬れ!そして、即刻曹操の所に届けよ!今ならまだ白狼山近辺におるかもしれん。急げ!」
二人は呆気ないほど簡単に殺され、これで四世三公を誇った袁家は、ここに滅亡したのである。
二人の首は、白狼山で軍営を張り、休息している曹操の下に送られてきた。公孫淵の使者が言う。
「曹操様。袁煕と袁尚の首をお持ちしました。是非、お確かめください。」
使者は、首の入った箱を開けた。曹操が言う。
「確かに、袁煕と袁尚の二人だ。公孫淵殿は、何かお望みであるかな?十分な褒美を差し上げようと思うが。」
「我が主に、多くを望む心はございません。望むのは所領の安堵、それのみとのことです。」
「なるほど・・・。わかった。これからは国境を接する形となるが、良しなに、と伝えてくれ。」
「わかりました。それでは、失礼致します。」
使者は足早に去って行った。
曹操の側で話を聞いていた郭嘉が言う。
「やはり、予測通りの展開となりました。兵の休息を兼ねて、ここに陣を張って待っていたかいがありました。」
「そうだな。ところで郭嘉よ。ここ最近、お前の顔色が良くないと皆が心配しておる。体調は大丈夫なのか。」
「・・・。正直申し上げれば、多少の違和感はありますが、特段、ご心配を頂くほどのものではございません。これで袁家の掃討は終わり、この国の半分は曹操様のものとなりました。さあ、鄴へ凱旋致しましょう。」
「そうだな、皆よく働いてくれた。恩賞は弾まねばなるまいな。」
こうして、曹操軍は、鄴に帰還するために出発をした。
―数日後―
兵が突然、曹操のいる本営に飛び込んできた。
曹操に嫌な予感が走った。曹操が言う。
「どうした!何か火急の件か!」
「はい・・・。郭嘉様が、お亡くなりになりました・・・。」
「・・・。郭嘉が亡くなったと!なぜじゃ!」
「寝所は、血だらけでありました。大量の血を吐かれて、そのまま絶命されたものと思います。」
曹操は人目を憚ることなく涙を流した。そして心の奥底から叫んだ。
「郭嘉よ!なぜ死んだ!悲しいぞ!痛ましいぞ!あまりにも早い、惜しすぎるではないか!郭嘉、郭嘉よ!」
三七歳の若すぎる死であった。曹操は鄴に帰還する間、郭嘉の事を忘れることが出来ず、何度も何度も涙し、悲しんだ。曹操にとって、郭嘉はそれほどかけがいのない家臣だったのである。
―許都―
曹操が無事、冀州、幽州、更には烏桓を制し、鄴に凱旋するという知らせが入った。荀彧が言う。
「公孫淵の動きは劉曄殿、正にあなたの言う通りになったな。しかし、一つだけ全く予測をしていない事態が発生してしまったな・・・。」
「郭嘉殿の死、ですね・・・。」
「ああ。曹操様は、多少人間性に問題はあったが、その能力を非常に高く買い、いつも側近く仕えさせていた。我が国にとっても大きな損失だ・・・。」
「私が郭嘉殿の代わりになれるとは思いませんが、より一層、励みたいと思います。」
「その心を忘れずにな。努力は決して裏切らない。」
劉曄は拝礼した。
こうして、長きにわたる袁家掃討戦はここに終わりを迎えた。西暦二〇七年(建安一二年)の事である。
ここから、また曹操により、大きく歴史が動くことになるのである。




