第25回 劉曄、曹操の凄味を改めて知る
幽州に割拠していた袁煕は、最初から袁譚と袁尚の跡目争いに我関せずの姿勢を貫いてきた。
そのことにより、幽州に関しては、一定の安寧が保たれていたのである。
そこに、よりによって袁尚が逃げ込んできた。
袁煕にとっては非常に迷惑な話であった。
しかし、実の弟を無下に追い返すということもできず、やむなく、一旦受け入れることにした。
これに猛反発をしたのが、幽州の有力な豪族たちで、その筆頭である焦触と、それに次ぐ力をもつ張南が袁煕に面会を求めた。袁煕はすぐに会うことにした。
焦触が言う。
「袁煕様。幽州がここまで無事でいられたのは、袁家のご恩あればこそ、と思っております。しかし、ここで袁尚殿をかばいだてすれば、曹操が黙っておりますまい。ここは、心を鬼にして、袁尚殿は追い返すべきです。」
続いて張南が言う。
「袁煕様。焦触殿の言う通りです。ここから追い出すか、若しくは・・・。」
袁煕が少し間をおいて言う。
「殺せ、と言うことか?」
「はい・・・。そして、袁尚殿の首を差し出せば、袁煕様はこの幽州を安堵され、我々も今まで通りの暮らしが出来ると思います。」
「・・・。既に兄である袁譚は曹操との戦いに敗れ戦死をした。ここにきて、肉親である袁尚を殺す、あるいは曹操に差し出すといったことは、私にとってそう簡単なことではない・・・。」
「しかし、実際問題、どうなされるおつもりですか?袁煕様がお決めにならねば、どの様にも動くことはできませぬぞ。」
「・・・。わかった。なるべく早く決めることにする。悪いが、一人にしてくれ・・・。」
焦触と張南は拝礼して退出をした。
道すがら、焦触が言う。
「張南殿・・・。あれは、もう駄目だな・・・。」
「そうですな・・・。我々豪族の方で先手を打つのが現実的であると思います・・・。」
「わかった。張南殿、悪いが有力どころの豪族を我が邸宅に集めてくれるであろうか。そこで話を決したい。」
「わかりました。明日の夜に、お伺いするように致します。」
袁煕も袁紹の血を引いているのがよくわかる。最終的なところの決断の遅さ、曖昧さと言うのは、この乱世では命取りになるということをわかっていないようだ。
袁煕は、焦触と張南が帰った後に、袁尚を呼び出した。そして、言う。
「袁尚よ。非常にまずい状況だ・・・。この幽州の豪族たちは、お前たちを受け入れることに猛反発をしている。下手をすると、反乱を起こされる可能性すらある・・・。」
「兄上・・・。それは、我々に出ていけ、と言うことでしょうか?」
「私は今まで、跡目争いに関与したことは無い。私にその資格が無いことは、次男であること、自分の能力や性格を考えても、この袁家を背負っていくだけの器量がないと自覚していたためだ。それを、この状況で巻き込まれても、正直言えば迷惑な話だ。」
「兄上・・・。私たちは血のつながった兄弟ですぞ。追い込まれているこの弟を放り出そうというのですか?」
「それはしたくないのだ。だから袁尚、自分の意思でこの幽州から退去してくれないか。この通りだ。」
袁煕は深々と頭を下げた。
袁尚は何も言うことが出来ず、かなりの時間、沈黙の空気がこの場を包んだ。そしてようやく袁尚は静かに口を開く。
「わかりました・・・。しかし、後三日の猶予を頂きたく。そうしましたら、側近たちとここから去ります。」
「三日か・・・。わかった。好きにするといい。」
―翌日の深夜―
焦触の邸宅に、張南をはじめ、有力な豪族が勢揃いした。焦触が言う。
「端的に話す。この幽州を守るため、袁煕と袁尚には死んでもらおうと思う。」
豪族の一人が言う。
「我々は、袁家から多大な恩を受けてきた。それなのに、二人を殺すというのは、如何なものか。」
「確かに、私も苦汁の決断としてこの話をさせてもらっている。このまま、袁煕と袁尚をかばいだてすれば、この幽州が曹操軍に蹂躙されることは目に見えている。過去の恩には十分報いた。私はこれからの、先の話をしたいのだ。」
豪族たちはざわつく。
過去の袁家からの恩を重んじるか、これからの幽州の先の事を考えるのか。それによって、決断は大きく変わる。
張南が言う。
「我々は、自分の家族や家人たち、そして幽州の事を考えた時、今、どうするべきなのかを冷静に考えて欲しいのだ。私は、焦触殿に賛成だ。この先の幽州を大事にしたい。」
豪族の一人が言う。
「焦触殿と張南殿の話を聞いて、俺は覚悟を決めた。これからの幽州を考えて、行動をする!」
そう言うと、勢いよく立ち上がった。
「私もだ!」
「俺もだ!」
気付けば、全員が立ち上がり、賛意を示した。
焦触が言う。
「皆、わかってくれたか。そして、動くならばすぐに動かねば、逆にこちらが危うくなるかもしれない。明日の深夜、各人の私兵を集められるだけ集めて、一斉に蜂起する!」
深夜にもかかわらず、居合わせた全員が雄叫びを上げ、反乱を起こすことを決定したのである。
―翌日の深夜―
焦触の指示通り、有力な豪族が一斉に蜂起した。そして、まずは袁尚が滞在している邸宅に攻撃を開始した。
深夜に何事かと飛び起きた袁尚たちであるが、いつ、こういうことがあるかもと、脱出の準備はぬかりなく出来ていた。
急いで邸宅の裏側から逃げ出し、袁煕の寝所を目指した。
突然現れた袁尚を、警備の者は止めようとしたが、袁尚は容赦なく斬殺し、袁煕の所に行った。そして言う。
「兄者!豪族たちが反乱を起こした!狙いは私だけではない!兄者の命も狙われている!ここは、共に逃げるしかない!」
「三日も与えなければ・・・。」
袁煕は、滞在を認めたことを激しく後悔したが、今はそれどころではない。まずは、命を最優先すべしと考えを改め、最低限の物を手に取り、この場から逃れるべく、袁尚と共にひたすら走った。
そして、袁煕と本当に限られた者しか存在を知らない隠し通路を使い、何とか城外に出ることに成功した。
そこで油断せず、力の限界まで走り、ようやく人心地つけそうな森を見つけ、その奥へと入っていた。袁煕が言う。
「言われるがままに逃げてきたが、本当に豪族たちは私の命も狙っていたのか?」
「はい。皆の者、まずは袁尚、次は袁煕だ、といったようなことを、口をそろえて申していました・・・。」
「そうか・・・。しかし、この後、私たちはどこへ落ちていくというのだ・・・。」
「もう頼れるのはただ一つです・・・。」
「・・・。まさか・・・。」
「はい。もう万策は尽きました。烏桓単于を頼るしかありませぬ・・・。」
「・・・。烏桓か・・・。しかし、この様な体たらくで受け入れてもらえるのだろうか。」
「私は個人的にも、烏桓単于とお会いしたことがあります。この窮状を訴えれば、受け入れてくれるものと思います。」
「しかし、見返りを求められるであろうに・・・。」
「はい。その時は、今回兄上を裏切った豪族どもの財産をくれてやればいいと思います。」
「幽州での略奪を許可する、ということか?」
「はい・・・。それくらいしか差し出すものはありません。」
「私はこれでも幽州をなるべく平和にと治めてきたのだ。お前から見れば無能な兄だったかもしれんが、幽州での略奪など、容認することは出来ない。」
「わかりました・・・。それでは、まずは私と烏桓単于のよしみで同情を買い、幽州、冀州を取り戻した暁には、多大なる恩返しをさせて頂く、ということで交渉します。」
「わかった・・・。それならば、受け入れよう。」
「はい。それでは、早速向かいましょう。急げば、何とか数日での到着も可能ですので。」
こうして、袁煕、袁尚は烏桓単于を頼って落ち延びていったのである。
袁煕と袁尚を取り逃がした焦触たちであったが、その翌日、城門を開け、曹操軍に降伏する旨の申し出を行った。
曹操は焦触をはじめ豪族たちに今まで通りの暮らしを安堵し、それを褒賞とした。そして、袁家と烏桓の昔からの関係から、次なるは烏桓、と照準を定めたのである。
荀彧は、この情報を曹操からの書状で知り、劉曄に言った。
「いよいよ正念場・・・。この烏桓との戦いを制すれば、完全に袁家の力を奪い、曹操様の勝利となる。」
「しかし、まさか異民族を頼るとは・・・。」
「袁紹の時より、継続して友好関係が保たれているからな。袁紹唯一の見事な外交成果と言えよう。」
「なるほど・・・。使えるものは使う・・。」
「そうだ。しかし、袁煕も袁尚も、やはり曹操様の相手ではないな・・・。」
「と、言いますと?」
「もし、曹操様が袁尚の立場であれば、袁煕を斬って、即刻幽州を拠点に反攻を開始したはずだ。そして、袁煕の立場であれば、無用な弟の首を落として、すぐに送ったであろう。」
「やはり、決断力と行動力、ともにお持ちなのが曹操様なのですね。」
「私は今後の人生でも、あのお方より優れた人間に会うことは無いと思っているからな。」
劉曄から見れば天才と言える荀彧に、そこまで言わせる曹操の凄味を劉曄は改めて知った。
そして、曹操による長きにわたる袁家掃討戦は、いよいよ佳境を迎えるのである。




