第24回 劉曄、袁譚の謀反を聞く
曹操が鄴を手に入れ、冀州の制圧を完全に終える過程の中で、袁譚軍はそれなりの活躍をした。
しかし、曹操から下されたものは、恩賞ではなく、青州刺史から北海郡の相に格下げをする命令であった。
これは、曹操が明らかに、袁譚の所領をも取り上げるという意思表示であり、袁尚憎しで一時的に曹操に臣従までしたにもかかわらず、得るものが無いばかりか、今まで自分のものであったものまで取り上げられる、という苛烈な処遇であった。
これに耐えられなくなった袁譚は、曹操に造反することを決意し、立ち上がることにした。
しかし、今の袁譚に何が出来ようか。
兄弟で骨肉の争いを繰り広げ、父の仇に膝を屈し、我慢に我慢を重ねてきたが、結局は全てを失うことになった。
袁譚の造反はあっさりと曹操軍に叩きのめされて終焉した。袁譚は戦の中で命を落とし、その死体は曹操に反したことから埋葬されることもなく、野晒しにされていた。
それに異を唱え、命がけで曹操に願い出た者がいた。
袁譚の腹心として働いていた王脩である。
王脩は若き名士として名を上げており、曹操は自分の家臣として取り立てることを決めていたことから、王脩の願いを一部聞き届け、厚葬でなく、一般的な埋葬を許した。
この王脩は義に厚き漢として、以後、曹操の政を一部支える、なくてはならない家臣となるのである。
曹操は袁譚の領土であった青州も手に入れることになった。これにより、袁家の勢力圏はほとんど壊滅したと言ってよく、袁煕の統べる幽州が次なる狙いとなる。
この結果は、劉曄の予測通りのものとなった。
そして、曹操から荀彧宛に新たな命令が書状で届いた。
「冀州の政情安定を模索せよ」というものであった。
荀彧は劉曄に聞く。
「劉曄殿。曹操様は、どうやらこのまま袁尚を追って、幽州に攻め込むようだ。それを受けて、我々には、冀州の安定化を進めよ、との命令だ。劉曄殿なら、まず、何をする?」
「そうですね・・・。冀州はここ数年、戦乱に晒されており、まずは本来の生産力を回復させねばなりません。そのためには民の協力が必要不可欠です。冀州の民から言わせれば、我々は侵攻してきた恨むべき対象であります。そこで、民の心をほぐし、こちらに向いてもらうためにも、一定期間の減税などを行い、民の心の掌握をするのが肝要かと思います。」
「なるほど。あとは、主だった豪族は既に曹操様の支配を受け入れ、服従することを誓っているそうだが、万一、反乱を画策する者もないとは言えぬから、巡察の強化が必要であろうな。」
「おっしゃる通りだと思います。」
「よし。今話したことを書状にしたため、早速曹操様に送ることにしよう。」
曹操はこの荀彧の書状に従い、冀州の留守を預かる者たちの行動指針として示し、これを遵守するように徹底した。
こうして劉曄は、内政面、占領行政に対しての必要な考え方も吸収し、今後、更に飛躍していくことになるのである。




