第17回 劉曄、荀彧の先見の明に驚く
曹操はひたすら耐え抜いた。
ただ、ただ、我慢をした。
家臣にも兵士にも、厭戦気分が漂い出している。
しかし、耐えた。
一部の者は「裏切り」を考えているとの情報も入ってきた。
それでも、耐えた。
そして、ようやく好機到来ともいうべき報告が入る。
袁紹陣営の参謀格であり、曹操とは旧知の間柄である許攸が、この圧倒的に不利な曹操陣営に投降を申し出てきたのである。
「荀彧よ、これだ!」
曹操は心の中で喜びの喝采をあげた。
許攸を曹操自ら出迎えて言う。
「許攸よ、よくぞ参った。本当に、よくぞこちらに来てくれたな!」
曹操の喜び方が許攸の予測をはるかに上回るものであり、多少戸惑いはしたが、許攸は拝礼して言った。
「曹操様、ご無沙汰しております。率直に申し上げます。私は仕える相手を間違えていたようだ・・・。」
「それは、袁紹ではなく、私、ということか?」
「はい。袁紹は強大な力を持ち、人材もそれなりに揃っております。しかし、決断して、動くことが出来ないお方なのです。もし、袁紹が私の献言を取り上げていれば・・・。」
「いれば?」
「曹操様は、一敗地にまみれていたかもしれません。許昌を急襲すれば、その可能性はあったはずです。」
「なるほど・・・。その献言が取り入れられず、こちらに来たということか?」
「はい。それにあろうことか、私が献言の採用をされなかったことを根に持ち、謀反を考えている、などと言った噂がさも真実の様に流れ、命の危機を感じました。」
「なるほど、それは災難であったな。」
「はい。今後は曹操様にお仕えしたく、考えております。もちろん、それにふさわしい、お土産も持参致しました。」
「土産、とは?」
「このお土産を活かすことが出来れば曹操様、あなたはこの戦に勝利することができることでしょう。」
「それほどのものか!是非、お願いしたい。」
「袁紹は、兵糧のほとんどを烏巣に集めております。それであるのに、警備は薄く、その守備を任されているのは淳于瓊というもので、無能とは言いませんが、酒好きでだらしないところのある男です。ここを急襲し、兵糧を焼き払ってしまえば、袁紹は退却せざるを得なくなるでしょう。」
この話を曹操とともに聞いていた参謀陣はざわついた。
もし、この話が本当であれば、こちらの勝利。しかし、もし、袁紹が仕掛けてきた策であれば、大敗は免れず、命を落とす危険性が飛躍的に増すであろう。
曹操は、参謀陣に意見を求めた。すぐに発言する者はいなかったが、参謀陣の筆頭と言える荀攸が発言する。
「皆、発言を控えているということは、反対ということであろうか?しかし、ここまで耐えに耐えてきた千載一遇の機会を逃す手はない。危険を承知でも、この勝負、仕掛けるべきであると考えます。」
続いて、賈詡が発言する。
「私も荀攸殿に同意致します。ここが勝負時です。」
曹操は今一度、全員を見渡す。全員が、曹操の発言を待っている状態であった。満を持して曹操が言う。
「私は旧知の許攸の土産をありがたく受け取ることにする。軽騎兵五〇〇〇を編成し、今晩、烏巣を急襲する。その指揮は、私自らが執ろう。」
許攸を含め、全員が曹操に拝礼した。
ここが曹操と袁紹との最大の違いである。
即断速攻の曹操に対し、優柔不断の袁紹。
勝負は、この決断の時点で既に決まったと言ってよい。
宣言通り、曹操は自ら烏巣を急襲し、ものの見事に袁紹軍の兵糧を焼き払った。
袁紹は救援を送るが、時すでに遅し。救援軍が見たのは、ただただ燃え盛る炎と無数に立ち上がる煙だけであった。
袁紹は退却を余儀なくされ、この戦は曹操が勝利を得たのである。
この知らせは、すぐに許都にも届けられた。
劉曄が言う。
「荀彧様。まさか、許攸が裏切ることを見越していたのですか?」
「そんなことはない。ただ、私は短期間ながら袁紹に仕えていたことがある。君主の器量が曹操様とは全く違う。それ故、耐え抜けばおのずと勝機が見いだせると思っただけの事で、それがたまたま許攸の裏切りという形で現れたということだ。」
「君主の器量・・・。私も劉表殿に仕えていましたが、曹操様に初めてお会いしたとき、全く違う気配を感じました。」
「そうであろう。劉表も、優柔不断。中国の安定と漢の復興を成し遂げられるのは唯一人、曹操様だけだ。」
「確かに・・・。今回の勝利で、また一歩、天下に近付いたと言えますね。」
「いやいや・・・。そう思いたいが、一敗地にまみれたとはいえ、袁紹の勢力はそれで瓦解してしまうほど甘くはないですぞ。ここからが、本番と思っていた方が良い。」
「わかりました。私もお役に立てるよう、全力を尽くします。」
こうして、官渡の戦いは曹操の勝利で決したのである。




