■20 ニャン太おとし屋と全国展開
ニャン太焼き、ニャン太ブロマイドくじと立て続けに成功させたニャン太だったが、最後の射的屋のテコ入れには少し時間がかかった。
当初、ニャン太は自分をディフォルメしたミニぬいぐるみをサンプルでいくつか作り、それを木ノ下百合に命じて量産させるつもりでいた。
だが木ノ下百合からは枕カバーや抱き枕も欲しいと逆提案され、「布に絵を描くだけなら簡単だな」と考えてニャン太はそれも作ることにした。
枕カバーには右側に眠るニャン太の顔のイラストが描かれており、「1つの枕を分け合って添い寝してもらってる気分になる」と好評だった。
抱き枕カバーは表が熟睡している『ぐっすりニャン太』・裏は薄目を開けてニヤニヤ笑っている『お誘いニャン太』のイラストを入れることにした。
これも好評で、のちに運よく抱き枕をゲットできた女からは「ニャン太様があたしのベッドで寝てて幸せを感じる」「ニャン太様に夜伽を命じられているようでドキドキする」という声が相次いだ。
なおイラストはすべてニャン太がサラサラッと適当に描いたが、芸術史に残るほどの素晴らしい出来だった。
幸いにも木ノ下百合は『どこでもどんな業種でもいいから就職したい』と数百社を調べて面接希望を出した経験から、ニャン太グッズの製造を請け負ってくれそうな様々な会社を知っていた。
サンプル製造に強い会社、生地問屋、パタンナー、縫製会社のいくつかに声をかけて、見積を依頼した。
厄鬼不況もあり、仕事を探していた縫製会社などは喜んで手を挙げた。
射的のために用意した景品は、残念賞の尻尾キーホルダー、5等の猫耳ニャン太カチューシャ、4等のニャン太の枕カバー、3等のお座りニャン太ミニぬいぐるみ、2等の中型ぬいぐるみニャン太、1等の抱き枕ニャン太だった。
製造する景品の種類が増えるにつれ、木ノ下百合は仕事が回らなくなった。
そこで百合は「就職活動腐れゾンビ」のメンバーに助けを求めた。
すると最終的に24人全員がニャン太商会に入社することになった。
皆、就職活動を行っていたが厄鬼不況のために涙も枯れるほどの苦戦をしており、「ニャン太様の会社で働けるなら、そっちの方がいいかも?」と入社を決めたのだ。
メンバーは手分けしてサンプル作成や、量産化の計画、品質管理などを手探りで始めた。
幸いにもニャン太焼きやニャン太ブロマイドがバカ売れしていたため会社に現金は十分にあり、百合をはじめとする25人の給料を支払うことも問題がなかった。
最初に問題が発覚したのはサンプル作成だった。
ネットなどで探した個人や会社にサンプル作成を依頼して物が上がってきたのだが、ニャン太に見せても簡単にOKが出なかった。
尻尾キーホルダーや猫耳カチューシャといった、末等の景品すらニャン太はこだわった。
「肌触りがイマイチだなー。あと毛が抜けるのが多くないか?小さい子供の口に入らないようにしたいんだよね」
「ここは角度がもっと立った方がいいな。耳の先はこんなに尖がらせないように」
「尻尾はここがもう少し太い方がいいな。単純な円柱にはするな。先がちょっと細くなるようにメリハリを付けろ」
簡単と思われた枕カバーや抱き枕カバーも難航した。
ニャン太が発色や洗濯後の色落ちに拘ったからだ。
製造会社から来た6種類の発色サンプルは木ノ下百合の眼には同じように見えたが、ニャン太は的確に区別していた。
ニャン太チェックで発色がOKとなっても、色落ち試験で不採用となる事が多かった。
カバー担当者は自宅の洗濯機で何十回と洗濯して、色落ちを確認させられた。
ぬいぐるみのサンプル製造はもっと大変だった。
ニャン太がさらさらと描いたイラストをもとにサンプルを作成したのだが、まったくOKが出ないのだ。
大和神国でもゲームセンターのクレーンゲームが一般的になっており、その景品を手掛ける会社は数多くあった。
だがどちらかといえば海外工場を使った量産技術や低価格技術には優れていたものの、肝心の製造がニャン太が求める基準に達していなかった。
百合はマウントなどで手芸作品を作って発表している個人アーティストを探し、「これは!」と思った個人にも依頼した。
その中の何人かはニャン太のお眼鏡にかなったサンプルを作ってきたが、やはり細かいダメ出しが続く。
「これ以上はニャン太様ご本人を見ないと作れません!」
地方に住んでいたアーティストはそう逆ギレし、百合の狭いアパートに何日も泊まり込んで制作と修正を繰り返した。
昼はニャン太商会のレンタルオフィスに通ってニャン太から直接のダメ出しを受け、夜は百合のアパートでサンプル修正に没頭した。
そして1か月の苦闘の果てに、ようやく景品が出そろった。
量産過程でも品質のばらつきなどでひと悶着あったが、必要に応じてニャン太商会から製造担当の工場に資本注入して製造設備を強化させた。
「ニャン太の名前で出来の悪いものは出したくないんだよね」
ニャン太がサンプルの確認中に漏らしたその一言は、後にニャン太商会の社是となった。
工場から最終の量産候補版が届いてニャン太のOKがようやく出ると、担当スタッフは号泣した。
ただそれはこの後、無数のニャン太グッズを作成することになるニャン太商会・商品企画部のデスマーチの最初の一歩に過ぎなかった。
ようやく景品のめどが立った射的屋だが、運営シミュレーション中に問題が発覚した。
ニャン太は最初、従来の射的と同じように景品を撃って下に落とせばもらえる方式にしようと考えていた。
しかし木ノ下百合たちから「ニャン太様を撃つなんてとんでもない!」とクレームがついたのだ。
仕方がないので景品を内側に向いたフックに紐でぶら下げ、紐の部分に的を付け、ここに何回か当てると景品が落下する仕組みを考えた。
それでも百合たちは「ニャン太様を撃つなんて!」「お客さんも同じ考えだと思います」と難色を示した。
仕方なくニャン太は射的で使うコルク玉にハートマークを描いた。
景品をぶら下げるヒモにも的を付け、こちらにもハートマークを描いた。
「お前らがハートを飛ばして、ニャン太のハートに当てて落とす。いや墜とす。
題して『ニャン太おとし屋』だ。これなら文句ないだろう?」
「「「はい、私の愛でニャン太様をおとします!」」」
「ようし!せいぜい頑張ってニャン太をおとしてくれ。ニャハハハ~」
なお当初はコルク玉にちゃんとハートマークを入れていたが、使用するうちにハートの塗料が剥がれることが多くなってきた。
すると客たちから「こんな汚れたハートではニャン太様に届かない」とクレームが付くようになったので、これはのちに省略されてコルク玉をいれる小皿にハートマークが描かれるだけとなった。
それを後から聞いたニャン太は「業が深いなー」とちょっと驚いた。
射的あらためニャン太おとし屋の料金は3発500円、10発1500円、30発4000円だった。
難易度的には、5等の猫耳カチューシャや4等のニャン太の枕カバーやであれば4~6連続で命中させれば落とせる位に設定した。
10発以上のコースであれば、落とせなくても残念賞の尻尾キーフォルダーは貰える。
客が交代するたびに射撃でズレた紐位置はリセットされるが、客が小学生以下の場合はコルク玉を無料で増やすとともに景品が落ちやすいように設定するルールも追加された。
準備が整ったニャン太商会は阿賀沢実業に連絡を取り、射的屋担当のスタッフに実務演習に来てもらった。
ニャン太落とし屋の景品を初めて見た阿賀沢実業のスタッフたちの反応は劇的だった。
「この景品は凄い」「興奮して手が震える」
実際、射撃屋のプロであるスタッフたちをしても、コルクガンを構える手が震えて最初はロクに当たらなかった。
スタッフたちは射撃を繰り返して、景品ごとの最適な設定位置を覚え込んだ。
そして迎えたニャン太おとし屋の初日。
特に宣伝はしていなかったが、想定通り大変な騒ぎとなった。
ずらりと並んだニャン太グッズに客たちが大興奮したのだ。
デフォルメされた可愛いニャン太のミニぬいぐるみに心奪われ、ディスプレイされた抱き枕のイラストに欲情した。
「お座りしているニャン太様が可愛すぎる。こ、これはぜひ連れて帰らないと」
「抱き枕のイラストがエロすぎる。あんなエッチなニャン太様が私のベッドで夜通し・・・」
「あの抱き枕と結婚しゅる・・・」
ニャン太おとし屋の射撃レーンは6つあったが、1つだけを子供用やお試しのレーンとし残りはすべて30発専用とした。
そしてスタッフの思惑通り、ほぼすべての客が30発専用レーンに並んだ。
30発レーンの客は入れ替え制とし、客が全員打ち終わるとスタッフがおちた景品を補充したり位置を修正したりした。
客たちは30発のうち10発で抱き枕を狙ったが、手ごたえが悪いと感じたら猫耳カチューシャや枕カバーを狙い始めた。
多くの客が30発4000円を払って3~4等を少なくとも1つ落とすことが出来た。
中には30発を2周以上してカンを養い、初日に1等の抱き枕をゲットした強者も複数いた。
幸運にもニャン太グッズをゲットできた客は、ほぼ全員がSNSサービス「マウント」に「NYT太様ぬいぐるみゲットしました~」などと画像付きで投稿した。
それを受けてネットでも大変な騒ぎとなった。
なにしろニャン太の公式グッズは現時点において、武蔵国文寺公園の屋台でしか手に入らないからだ。
特に注目を集めたのが「抱き枕日記ネキ」と後に呼ばれることになった女性の投稿だ。
この女性は初日にゲットした抱き枕との生活風景写真を毎日複数回投稿していた。
『これからNYT様と同じベッドに入ります。昨夜もあんなに激しかったのにドキドキしちゃう』
『おはようございますNYT様。目が覚めてあなたが隣にいてくれる幸せは、何物にも代えがたいです』
『ご飯の時間なのにNYT様がベッドから出てきてくれない。もう、そんなにあたしを食べちゃいたいの?』
『今日はこれから、NYT様のために新しい下着を買いに行ってきます。ちょっと冒険してみるつもり』などなど
画像は抱き枕とベッド、そしてワザとらしく脱いだ下着などがほとんどだったが、読んだフォロワーが嫉妬で発狂しそうなベタベタに甘い妄想日記が添えられていた。
実際にその欲情妄想日記を読んだフォロワーたちは血の涙を流して悔しがった。
でも読むのを止められなかった。
またミニぬいぐるみの出来の良さに触発された手芸愛好家も多くいた。
3等のお座りニャン太ミニぬいぐるみはキーフォルダーでバッグなどに付ける15センチほどの大きさだった。
しかしニャン太のこだわりが詰まった素晴らしい出来栄えで、同じようなクレーンゲームの景品とは一線を画していた。
後に人件費の安い周辺国でお座りニャン太ミニぬいぐるみの偽物が大量生産されたこともあった。
しかしニャン太が拘りぬいた本物からは品質や可愛さも数段落ちており、偽物だとすぐに分かって自然と廃れていった。
その一方で地方に住む手芸愛好家たちは発奮した。
残念ながらニャン太ミニぬいぐるみが出回っているのは武蔵国文寺公園のある統京都が中心で、地方在住者には実物を見る機会がない。
ただマウントに上がっているミニぬいぐるみの画像はどの角度から見ても素晴らしいものに思えた。
『NYT様ミニぬいぐるみを超えるものを作りたい』
意欲を掻き立てられた手芸愛好家たちは様々な作品を作ってマウントなどで公開した。
中にはニャン太の目に留まってニャン太商会に著作利用権込みで高額買い上げされ公式グッズのベースになったり、作家本人がニャン太商会専属や就職するケースも発生した。
自作のニャン太ぬいぐるみで頭角を現した手芸作家たちは「ぬいぐるみ原型師」と呼ばれ、アーティストとしての地位を確立して多くのファンと尊敬を集めた。
ぬいぐるみ原型師となった手芸作家たちは、ニャン太商会からアーティスト活動を認められてニャン太をモチーフにした作品の発表が自由にできるようになった(販売についてはニャン太商会を通すことを条件にした)。
ぬいぐるみ原型師たちには多くの固定ファンが付いた。
ニャン太商会が原型師の合同展を開催するとオークションにかけられた作品が1つ数百万円で売れることも珍しくなくなった。
元々ぬいぐるみ原型師たちは日中は工場などでの肉体労働でクタクタになり、安い給料から爪に火を点す様な思いで買い集めた手芸材料で細々と作品を作っていた苦労人が多かった。
「ニャン太様との出会いがなかったら、もし好きな手芸を続けることを諦めていたら、今のあたしはなかったかもしれない」
ぬいぐるみ原型師たちは、自分たちが愛する仕事で食べていけるようになった幸せをかみしめていた。
◆
◆
◆
◆
ニャン太焼き、ニャン太ブロマイドくじ、ニャン太おとし屋が出そろったとたんに、武蔵国文寺公園に来る客の合計数が5倍以上に増えた。
サンドイッチ屋にも支障が出るようになったのでニャン太が苦言を申し入れたところ、阿賀沢実業は独自に10人の場内整理スタッフを出すことにした。
自腹で10人を派遣しても、まったく問題がないくらい屋台の売り上げがあるからだ。
この3軒の屋台は阿賀沢実業のビジネスの主力となった。
屋台が大人気となったたため、統京都をはじめとする各地の縁日や祭りでなどに出店を拡大していったのだ。
それどころか帝州全域(関東に相当)から出店要請が来た。
通常、遠隔地の縁日や祭りで出店する場合は各地の元締めに話を通す必要がある。
昨今は厄鬼不況のために縁日や祭りの規模が小さくなり出す屋台の許可数も減り地元の的屋だけで枠が埋まることも多かった。
そのため阿賀沢実業もこの数年は統京都の多麻地域以外での営業面で非常に苦戦していた。
なのに今では阿賀沢実業が事前営業に行かなくても、各地の元締めがワザワザ頭を下げて出店を乞いに来る。
そしてどの地区でも阿賀沢実業の屋台は大評判となった。
だが大人気の裏には苦労もあった。
地方でもニャン太景品欲しさに倉庫に盗みに入ろうとする素人や闇バイト応募の「お気軽犯罪者」が多かったからだ。
各地の元締めには阿賀沢晴子自ら「ウチの的屋の景品が盗まれたり、奪われたりしたらもう2度と出店しない」と釘を刺した。
それに加えて阿賀沢実業は各地の元締めたちを通して、景品の運送や警備、場内整理用に仁義を重んじる古いタイプの地元ヤクザを多数雇った。
金額は出店の規模によって異なったが最低でも1日50万円。規模の大きい祭りで出店数も多い場合は準備の日を含めて1日200万円を警備費として元締めたちに支払った。
これは地元の雇用促進で喜ばれるとともに、阿賀沢実業の本気を各地の元締めたちに見せることになった。
実際、各地の大きな祭りでニャン太屋台の出店が常態化すると、統京より警備が手薄な地方を狙ってきた海外傭兵チームの襲撃が増えたからだ。
中には危機意識の低い元締めもいたが、阿賀沢実業がダミー部隊を作って「実行演習」と称して前触れなく襲撃して強奪を成功させると目が覚めた。
地元では「大人気!ニャン太屋台が〇〇祭りにやってくる!」などと大々的に宣伝を打っていた。
なのにニャン太景品を奪われて屋台が出せないとなるとメンツが丸つぶれになるからだ。
しかもメンツがつぶれる中には的屋や元締めだけでなく祭りの主催者である行政側や寺社、そして地元の政治家も含まれていたため元締めたちは気を引き締め直した。
地方での襲撃が本格化すると、阿賀沢実業もフォローを手厚くした。
地元で警備スタッフがそろわないときは阿賀沢実業が人員を出したり、警備計画のレクチャーや警備訓練なども実施したのだ。
そして阿賀沢実業が合格点を出した各地の元締めはニャン太屋台の優先的な定期出店が約束されたため、元締めたちのモチベーションも高まった。
そのうち警備の実施や訓練などを通じて、各地の元締めの中には阿賀沢実業に事業体を合流させるものが、複数現れてきた。
これが後に設立された阿賀沢警備の原型となった。
阿賀沢晴子はニャン太との契約通り、売り上げの5%を恵まれない子供たちに寄付をした。
初年度に2500万円、次の年は1億8千万円の寄付になった。
切りのいい数字になるよう、またニャン太のメンツを立てるために阿賀沢実業からの寄付金には阿賀沢晴子がポケットマネーを追加していた。
「ニャン太様、リオン様には足を向けて寝られないね」
これはのちに阿賀沢警備(AZケルベロス)、阿賀沢観光をはじめとするニャン太関連のビジネスを大きく発展させたとなった阿賀沢晴子の言葉である。
後年まで阿賀沢晴子のバッグには、いつもお座りニャン太(初代)のミニぬいぐるみがぶら下がっていたという。
阿賀沢実業はのちに武蔵国文寺公園ちかくの廃工場を買収し、ニャン太焼きなどの主な屋台を屋内営業するニャン太パークをオープンさせた。
そして阿賀沢観光が主に外国観光客メインで大型観光バスで「ニャン太ツアー」を実施した。
ニャン太パークの屋内屋台は天候に左右されず、また英語や華國語も使えて並ぶ時間も少なかったので大人気になった。
・・・というネタもあったのですが、くどかったので削除しました。書きすぎ禁物。バランスは難しいですね・・・




