朱い橋
この村には若い人が少ない。
だから必然的に、こういう重労働は若者が多く担うのが普通だ。
むわついた湿気が籠る。
ずっと、箱を作るために釘を打ち込んでいる。
金槌が木の板を叩く。その反動が腕の芯まで伝わり、じんと痺れる。
新しく切り出したんだろう、濃厚な木の匂いを漂わせる美しい木の板は、ただの箱になっても滑らかさを保っている。
隣では、老人たちが鉋で大きな木の表面を削っている。
ただでさえ蒸し暑い空気が、木くずで白く濁る。
またその隣には、老人たちが小刀で削って細く加工した竹の紐で、女たちが籠を編んでいた。
籠の編み方の名前は知らない。だけど、細い竹のひもが、六角の星形が幾重にも重なり、万華鏡を思わせた。青さが脈打ち、まだ生きているかのように息づいていた。
竹の筒を台座にして、その上に編んだ籠が乗せられていく。
村の女たちが収穫してきた果実を持ち寄ってきた。
籠の中には、みかんやザクロ、イチジクが色とりどりに美しく盛られていく。
色とりどりに盛られているが、ただの石を眺めているようで、食欲がわかない。
その横では、提灯の紙を貼っている。
竹ひごの骨組みに、米を練って作った白い糊を指で塗り、和紙を慎重に貼り付けている。
男の無骨な手は糊でガサツくが、繊細な指捌きで器用に作り上げられていく。
こんなにも汗を流しているなら、喉が渇くはずなのに、全く水が欲しくない。
「湊、この箱出来たんならもらうよ」
「あぁ、わかった」
視界が少しぼやけてくるせいで誰に声をかけられたのか分からない。
自分の周囲はすごく熱いのに、ずっと悪寒がする。
それに、ずっと身体から濃い潮の匂いがしてくる。
汗をかきすぎたのか...?
なんか、海に浸かったあとみたいな感じがする。
大きな話し声が聞こえる。
村の女がおにぎりをお盆に乗せてやってきたらしい。
男らに配る順番が俺に回ってきた。
「湊、おにぎりいるかい?」
「いや....食欲ないし、いいよ」
「こんなに若いのに弱っちいねぇ。ここに置いとくから!後で食べなさいよ〜?」
脇に置かれたおにぎりを見る。
笹に包まれたそれは、白い米粒と、豆が入った赤い米粒の姿を隠している。
ただのおにぎりの匂いで吐き気がする。
少し休もうとぼーっとしていると、俺が作った木の箱にものが入れられ始めた。
木の箱には簪や扇子、提灯や美しい絹布などが次々と入れられていく。
質素な村にしては、こんなに豪華な貢ぎ物を用意できるぐらいには裕福なんだな。
透かし彫りの木の板の扇子、貝を削って作った簪、貴重な和紙を赤い染物で染めた提灯、高価な絹で編んだ絹布やその服。
どれも村では見たことがない。
提灯とか特に.....提灯?
提灯は、夜に暗闇を照らすために使う明かりだよな。
そんなの、普通の暮らしで使わないわけがない。
村に電気が通ったのはここ数年だ。
この村にはトタン屋根の古民家が多く。電気があるのは村役場だけだ。
家にロウソクを灯して暮らしている家はまだある。
なのに、なぜ——一度も、使った記憶がない。
——夜。
この村に、夜が来たことは。
村の住民らは、儀式に使う道具を搬送するために、大きな、そして長い石階段を登っている。肩に抱え、数人がかりで、大きな荷物を運んでいる。
大きな道具は麻布に覆われていて中身が見えない。
こんなに急いでまでやらなきゃいけない儀式なのか?
目が眩み、視界の点滅を振り払うように頭を振る。
その時、社の中に置かれた、大きな荷物の麻布が暴かれた。
小舟だった。
中央から屋根が生え、雨風が凌げるように作られている。
村人たちは、白い絹布を入れる。
その上から色とりどりの花を船の底が見えなくなるほど敷き詰めていく。
死んでいく人を見送る葬儀みたいだ。
——一体誰を、送り出すんだ。
ゾッと嫌な予感がして、汐を探すために飛び出す。
後ろから村人らの呼び止める声がしたが、どうでもいい。
汐に会いに行かないと。
石階段を駆け降りる、さっきに比べてなぜか長く感じるが、まるで落ちるように駆け下り、汐を探す。
新品のようだった石階段は、苔をむしている。
村中を駆け巡る、小さい村はこんなにも大きかっただろうか。
心臓が痛い。
まるで無理やり動かされている感覚だ。
目の前の風景が歪み、色の輪郭が崩れていく。
どこへ向かっているのか、俺はどこにいるのか。
地面が波打っているようで、きちんと踏み締められない。
波打った地面に足を取られ、倒れる。
そう思って強く目を瞑った。
倒れた衝撃が、いつまでも来なかった。
水の底から聞こえるような声が、遠くで鳴っている。
ゆっくりと目を開けると、バス停のベンチに汐が静かに座っていた。
「汐!」
「……?どうしたの湊」
「どうしたも何も、お前は何も感じないのか?」
「うーん、感じるって言われても、何を感じればいいんだよ」
面白おかしいとでもいうように、ぷっと吹き出し、ククッっと堪えるかのように笑う。
人を小馬鹿にするみたいに。
「あのさぁ、俺はお前を心配して言ってんだぞ。おかしいと思わないのか?この村の様子がさ」
「何言ってんの、ずっと暮らしてきた村に異変でも起きれば、村のみんなが気づかないはずないだろ?」
「俺が気づく前に、村の人が気づくよ」
「そういうことじゃねえ……」
立ち往生しているかのように、その場で視線を右往左往させる。
汐はまだこの村に囚われている、俺もここから出ることができない。
「せっかくみんなが儀式の準備をしてるんだろ?湊、お前、儀式の準備が嫌になって逃げ出してきたか?」
「いやそうじゃない、、、いやそうだけど」
「あってんじゃん」
「人が心配してんのに、こんな拍子抜けな顔しやがって……」
「てか、お前はなんで儀式の準備に参加しないんだよ。一番の当事者だろ」
「村のみんながここで休んでてって。あまり動かないでってさ」
強く風が突き通る。その風が、汐の黒い髪を靡かせる。
バス停が強風に煽られて、バス停に絡みついた蔦も一緒に煽られる。
ネジが緩んでいるのか、動くたびにギィギィと金属の摩擦音が聞こえる。
あの時は、疑問に思わなかった。いつも、バス停はここにあったから。
時刻表を眺める。塩害で読めなくなったわけではない。白く霞んで、最初からここに何も書かれていなかったみたいだ。
標識には文字らしきものが書かれているが、形を成していない。
「……汐」
「なーに」
「このバス停、お前も感じないのか?」
「バス停?あぁ、前はたくさん来てたらしいけど。ここ最近はあんまり来なくなったよね」
「その前に、こんな孤島にバスなんて来るわけないだろ」
「何、湊。一緒にバス乗っていたの忘れたの?」
そんな顔をしてこっちを見られると、俺が間違っているように感じる。
「それにしても、この海はいつ見ても綺麗だよね。ここまで綺麗な海は見たことないや」
「……まぁ、綺麗ではあるな」
海を眺める。
いつまでも青いのその海は、俺が知っている透明な透き通った海ではない。
光のさざなみの隙間を縫うように、魚たちが泳いでいる。だが、島のそばでも水底が見えることはない。
「汐」
汐は俺の声に反応してこっちを見る。
見ているが、一向に視線が合うことは無い。
ずっといつまでも俺の後ろを眺めている。
「やっぱり儀式に行くのはやめないか」
「なんで?」
この村の異変に気づかない。
「だって、ほら。汐が絶対に儀式に参加しないといけないわけではないだろ?」
「そんなん、村の奴らにやらせればいいんだよ」
「えー、そんなん可哀想じゃん」
立ち上がろうとした汐の手を咄嗟に掴む。
視界から消えたら、そのまま会えない気がして。
まるで氷の、ツツラを握っているかのようだった。
秋口の冷たいプールに浸かった後の、あの感覚に近い。
その手は青白く、赤い唇に紫が差していた。
手のひらはふやけ、指は萎びたくるみだった。
ふと、汐の顔が揺らぐ。
池に投げ込まれた石が波紋を広げるように、汐の輪郭がゆらりと滲んでいた。
「……そろそろ行かなきゃ。じゃあ、またね湊」
ベンチから立ち上がると、そのまま俺の横の通り過ぎる。
その後ろ姿が、朧げに薄れていく気がしてその跡を追った。
村の中央に戻ると、村人たちが、大きな儀式用の道具を運び出していた。
どういうことだ?儀式は明日のはず。
「爺さん!これはどういうことですか!?」
今、この瞬間にも太陽は嫌になる程爛々と光り輝いている。
俺のすることなすこと、全て見透かされている気がした。
「何って、今日は儀式の日だろう?昨日言ったじゃないか」
俺の言葉をきいた口々と、昨日は寝過ぎたんだな、寝ぼけ野郎と囃し立ててくる。
「だって……まだ日が落ちていないじゃないか」
その瞬間。
周囲の村人たちが、堰を切るようにどっと笑った。
「ははは!湊ぉ、お前寝ぼけてんのかぁ?」
「何だぁ?日は落ちるって」
「太陽は落ちてくるもんじゃねぇぞ」
くつくつ、くつくつと。
喉を湿らせるような笑い声が広がる。
太陽は、頭上で微動だにせず俺の頭上でいつまでも光り輝いている。
空に縫い付けられているみたいに。
村人らは、作り上げた貢物を抱え行進する。
並べ終わり、朱い橋の向こうの島に向かって土下座する。
地面に頭を擦り付け、赦しを乞う。
その光景は、真に迫っていて悍ましい。
1分だったか、またはそれ以上だったか、一瞬にも永遠にも長いような時間が流れた。
村長の老人が顔を上げると、村人たちもそれに続き、顔をあげる。
もう飽きたと言わんばかりに、各々の方向に散らばって帰っていく。
「なぁ、おい!」
声をかけても返事がない、いや、俺のことが見えていないのだ。
村人たちが消えたあと、ただ漠然と、この状況の恐怖をやり過ごすしかなかった。
ガァン………
一度だけ、地の底まで轟くような音が鳴った。
まるで自分の腹の底で鳴ったかのように、骨の髄に響いた。
まるで何かを歓迎するかのように。
この音、どこかで聞いたことがある。
頬が赤く染まるほど寒かった、あの初詣を思い出した。
雪がちらちら降る中、人混みの中でお小遣いを握りしめて並んで、大きな綱を力一杯引いた。
しゃん、しゃん………
鈴の音が聞こえた。
清廉としているが、どこか湿り気を帯びている。
音の方向へ体を向ける。
そこには汐がいた。
汐の身体を包むのは、吸い込まれるような純白の絹布だけだった。
影さえも白く染めるようなその装束の中で、胸元を固く結ぶ一本の朱い紐だけが、汐から流れ出る血のように鮮烈で、それだけが現世との細い繋ぎに見えた。
その鮮烈な赤さとは裏腹に、汐の肌はさらに色が抜けた気配がした。
「汐……?」
視線が合わない。声にも反応しない。
その様子は先ほどの村人と同じようだった。
汐は朱い橋の前で立ち止まる。
橋のたもとに置かれた献上品を流し見たあと、それを気にかけることなく前を見据える。
汐の視界には橋の先しか見えていないみたいだ。
一歩一歩進んでいく。
裸足だから音がしない。まるで最初からそこにいないみたいだ。
呆然としている場合じゃない。
汐の後を追いかける。
走る。走る。
手が届いた、と思った瞬間——気づけば、橋の前に戻っていた。
何が起こったのか理解できない。
橋の向こうに目を向けると、汐はもっと向こうに小さい後ろ姿しか見えなかった。
もう一度、汐に向かってかけ出す。
だが、徐々に体が熱くなり、胸の奥から激しく殴られているような感覚に襲われる。
体が引き裂かれそうだ。
走っているのに、前に進んでいない気がする。
汐との間は埋まらず、距離は狭まることがない。
視界が湾曲し、朱い色は拒絶するかのように鮮やかな光を滲ませ——海に、世界に、溶けだしていった。
水の底を走っているような重さで、体が後ろへ引き戻されていく。
その時、視界が白く弾けたと思ったら、また、橋の前まで戻ってきてしまった。
息が熱く目が眩む。
喉に熱された鉄球が詰まっている。
額から滝のように汗が流れ、首筋に伝う。
雨のように落ちる汗が地面に染みを作る。
シャツがへばりついて気持ち悪い。
肩で息をしながら、橋の向こうに視線を向けるが、汐の姿はもうなかった。
どうする。
このまま引き下がったら、汐はどうなる?
何をするかは知らないが、だいたい予想がつく。
嫌な予感はだいたい当たる。
積まれた捧げ物に目が止まる。
その木箱の中身を、俺は知っている。
木箱を開ける。
果実、動物の死骸、扇子。
これじゃない。
次々と急いで木箱を開けていくと、探していたものが見つかった。
絹布の白装束と、顔を隠す面布。そして、提灯。
これを使えば、橋を渡れるかもしれない。
瞼の裏に冷たくなっていく汐の姿が浮かぶ。
今ならまだ届く。
橋の先の島に目を向ける。
島が蜃気楼のように揺らめいた気がした。
「もうひとりはまだ見つからないのか!」
遠くで声がする。




