表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/71

VSテーゼンシア

 ラルクは天華が、治療を受けに王都の方に向かったのを見て安堵した。


「安心している場合ですかね。君の前にいるのは、最強にして最悪の騎士なのですよ?」 

「まあ確かに、本番はこれからでしょうね」


 安堵したのも束の間、震脚と共にテーゼンシアがその手に持っている空想の剣を振るった。

 無限の切れ味の剣、それがテーゼンシアの技量を以て振るわれる。

 ヴァスクの時のような、主人に対するほんのわずかな手加減や情けもない。


「『止まれ』」

「!!?」


 しかしその瞬間、テーゼンシアの片腕の動きが遅くなった。

 ラルクは地面を蹴って彼女の元に一瞬間に移動すると、光り輝く剣を袈裟切りの軌道で振った。


「剣など足で……、」


 弾けると言おうとして、テーゼンシアは屈んでそれを躱す。

 受けてはいけないと、彼女の勘が全力で警鐘を鳴らしていた。


「やはり気づきますか」


 ラルクのローキックがコンビネーションで繋がる。天剣流、辿脚。

 

「そんなもの、脛でカットすれば!」


 テーゼンシアは地面を思い切り踏み抜き、足を彼の蹴りに合わせようとする。

 それを見たラルクはガクンと蹴りの軌道を変えて、彼女の腹を貫きに行った。


 人体ではありえない急制動。


 彼は所々慣性を無視した動きをしているが、静止の力を応用しているのだ。

 さしものテーゼンシアも、対抗できるはずがなく、


 ……地面を踏み抜いた?


 ローキックのカットに震脚は必要ない。なら、


「『剣技』」


 慌ててラルクは静止の力を彼女の腕に集中させる。

 しかしまるで速度が遅くならない。


 キィンと音がして、ラルクの靴のつま先が宙を舞う。


「つま先だけ。よくぞ止まったと褒めたたえたいところですね」


「まあ出力も発動時間も今ので大体分かりました。次はつま先だけではすませません」


 返す刃でラルクの胸が薄く切り裂かれる。

 傷こそ浅いが、ラルクは反撃できていなかった。仮に反撃しようとあと一歩踏み込んでいたなら、彼は二つに分かれていた。

  

 強い、というより巧い。ラルクの速度、能力、射程距離、技術、諸々を総合的に判断して、リスクの発生しない中で、最も彼に大きなダメージを与えられる選択肢を選んでいる。


「流石に神様ですね」

「私は人間ですよ」

「昔はただ、強いとしか思っていなかった。でも違う。貴女は力の頂にいる。貴女に勝てる人間なんて誰一人もいない」


「貴女は人を救う力を持っている」


「――なのになんだって、貴女は人を傷つけるんだ」


 それはあるいは初めて、ラルクが他人に対して明確に浮かべた敵意かもしれない。


 テーゼンシアが『剣』を正眼に構える。

 対するラルクも、ヨシュアが残した『黙示録の剣』を正眼に構える。


「うおおおおおっ!!」


 ダメージを覚悟でラルクが剣を振ろうとする。雄たけびを上げ、力強く地面を踏みしめる。


「曲刺殺ですか。懐かしい、ヴァスク様に昔教えましたね」


 しかし彼女は決して焦らない。そして的確に、これ以上踏み込めば死ぬ状態を作ってくる。


「『剣技』」

「ぐっ、」


 ラルクの額が切り裂かれる。途中で攻撃を諦めて止まったから、なんとか脳は切られずに済んだ。


「『剣技』」

「ぐぅっ!!」


 ラルクの耳が縦に落ちる。全力でサイドステップして、なんとか真っ二つになるのは避けられた。


「『剣技』」

「くおっ!!」


 ラルクは既に、4回殺されかけていた。仮に判断が少しでも遅れていたなら彼は死んでいただろう。

 ただ出血は多少。動きにも問題はなし。


「はあ、はあ、」


 されど精神の疲弊が凄まじかった。テーゼンシアも、少し判断を間違えれば即敗北につながるのだろうが、


「本当に強くなりましたね、ラルク君」


 微笑みながら彼女はそんなことを言ってくる。鳥遊ぶ池を眺める貴婦人のように、彼女は気楽そうにしていた。


 

「……焦るな、俺」


 ラルクはしかし、いったん深呼吸する。どれだけ戦闘経験豊富でも、どれだけ技量が高くても、近い実力を持つ相手と戦って平気なわけがないのだ。

 

 見ると腹の辺りの服が破け、打撲痕が露出している。確かにだが、彼女の呼吸は荒くなっている。右胸を僅かにだが庇っているのを見るに、打撲或いは骨折をしている可能性もあった。


「天華様と戦って、貴女も確実に疲弊はしているんだ」

「……まあ、隻腕の私が楽に勝てる相手ではないですからね」

「それに貴女の技のことも大分分かってきた。片腕になって、力が足りなくなったのかバランスが崩れたのか、あるいは元からなのか、『剣技』を放つには震脚が必要なんでしょう?」

「流石に気づきますか」


 ラルクの『制止』は出力に難がある。天華の大魔法やリシディアの熱力を前に彼は無力である。しかし幸い、テーゼンシアの必殺技には制限があった。


「天剣流、叢天」

「おや、そんな技を作った覚えはありませんが」

「俺のオリジナルです」

「オリジナルなら天剣流でもなんでもないのでは?」

「それは、えっと……、まあいい問答無用!」


 ラルクは半身の体勢で、剣を体の横に構えていた。

 この体勢から出せる動きは通常限られる。


「横薙ぎ、蹴り、あとは剣を手放しての投げくらいでしょうか。……静止の力が無ければ」

「やあっ!!」

「さて、どう来ますかね」


 ラルクが剣を横なぎにした。

 これを防がないことには始まらないので、テーゼンシアは剣を彼の剣にぶつけようと振るう。


 ギィン!!

 甲高い音がして、剣と剣がぶつかる。そしてラルクは、


 剣をとっくのとうに手放していた。


「剣に制止の力を使ったのですか!!」


 彼は自らの剣に制止の力を使うことで、宙に浮かぶ剣で彼女の剣閃を受け止めて見せた。

 静止の力では不十分なのか剣が弾かれるが、僅かに稼いだ時間でラルクはテーゼンシアの右横に回っていた。


「右手、貰いますっ!!」


 剣を降り切った後の腕では僅かに間に合わない。ラルクは彼女の腕を両手で掴むと、テーゼンシアの胴体に静止の力をかけて、思いっきり腕だけを地面の方に引っ張った。 


 ゴキンと嫌な音がして、彼女の腕が普段の倍近くに伸びる。ラルクは体を思いっきり捻って、限界まで彼女の腕を伸ばすことに成功していた。


「決まっ、た、」

「ふふ、」

「…………」 

「強くなりましたね、ラルク君」


 両腕の破壊。

 勝利したはずだった。


 されどラルクは唖然としていた。何かがおかしいと感じていた。

 全力で彼は、彼女から離れるように飛んで、


「遅いですよ。一撃で殺せない場合は、その後の防御まで考えてないと」


 足刀がラルクの背中に突き刺さった。


「ぐ、うっっ!!?」 


 バキバキと嫌な音がする。必死に静止の力で背中が曲がるのを止めるが、激痛が走る。脊椎が少し損傷したかもしれない。

 そして飛びのいた先で、ラルクはすぐに起き上がった。


「はあ、はあ、」


 やはり脊椎を損傷したかもしれない。体全体がピリピリとし、なんだか動きが悪い。

 だが、なんとか体はまだ動く。

 なら片腕を失った彼女の方が、重症だと思って、


「私、体結構柔らかいんですよね」

「……へっ?」

「腕を折るとき、違和感を感じませんでしたか?」


 ぷらんぷらんと、地面スレスレで揺れる彼女の右腕。よく見ると、肩もなぜか不自然に伸びている。


「えいっ」


 テーゼンシアが体を捻って地面に腕を押し付けると、ガコンという音と共に、腕と肩が本来の形を取り戻した。

 彼が驚愕していると、彼女は笑って、


「ほら、関節技に関節を外して対処する人がたまにいるでしょう?」

「え、いや、」

「だから腕尺関節と肩甲上腕関節、第2肩関節と肩甲胸郭関節を外して対処させてもらいました。まあ靭帯と筋肉に究極の柔軟性がなければできないことですがね」


 次元が違う。ラルクも似たようなことをやったことはあるしアルマやレイシアもできるだろうが、外せる関節と筋肉の柔軟性の関係で動作幅の大きい関節技には対抗できない。

 彼女には全ての関節技が通用しないというのか?


「ぐうっ、それでも打撃は効くはずだッ!!」


 剣は取り回しが悪い。ラルクが殴りかかると、彼女も剣を捨てて、


 パンパンパンッ!

 躱せるものは躱し、受けざるを得ない攻撃は右手で防ぐ。


 腕の本数に差があり身体能力に差がない以上、殴り合いなら有利だと思って……、受け止めた手をぐいと下に引っ張られ、体勢を崩された。


「止ま」

「無駄ですよ」


 テーゼンシアの膝蹴りを避けるために彼女の下半身に制止を使うが、パッと手を放され、手刀が後頭部を打ち据えた。


「かっ、はっ!」


 脳が揺れる。衝撃に眼球が飛び出そうになる。脳の痛めてはいけないところを痛めたのか、なぜか鼻血が噴き出る。

 そしてラルクの意識が一瞬曖昧になった隙に、テーゼンシアが乱撃を放つ。その速度、腕の重量ではそこまでダメージが入らないと踏んでいたが、予想に反してその一撃一撃がラルクの肉体を破壊した。


「とまっ、れっ!!」


 彼は彼女の動きを遅くしつつ、跳躍して何とか転がっていた剣の元に飛び込む。テーゼンシアは彼を疲弊させることが目的だったのか、深追いはしてこない。


 眩暈がする。吐き気もする。

 後頭部への打撃は、運が悪ければ命を失いかねない。加えて肋骨に何本かひびが入り、腹直筋も断裂を起こした。


「ふふっ、どうやら素手でも私の方が強いようですね」

「……う、ぐ、」


 テーゼンシアの真の強みは『剣技』などといった色物ではなく、殴る蹴る切るといった単純な動作であるとラルクは理解した。

 ()()に攻撃する技術。


 テーゼンシアは、身体能力の面ではラルクより遥かに下であった。

 速度では遥かに劣るはずなのに、彼の動きを先読みするのみならず、僅かな隙を意図的に作り、あるいはさりげなく視線誘導し、もしくはフェイントを入れ、彼の動きを操ることでむしろ先を制する。

 本来なら素手ではまともにダメージが入らないほどの膂力の差があるというのに、不調箇所を完璧なフォームから繰り出される拳で打ち抜くことで大打撃を与える。


「どうしようもなくなったときに、うぐと呻く癖、あのときと変わっていませんね」


 飄々と笑う。大量の汚物が雨水に浸かり、硫黄の臭いが漂わせる廃棄場の端のように濁った金の瞳が彼を見据える。


「……なんで、テーゼンシアさん、そんな余裕なんだ。貴女だって、少し間違ったら、」

「私は戦いに関することなら、僅かな失敗も犯しませんよ」

「……」

「ラルク君。貴方はただの一度も、私の予想を超えていない」


 虚勢と、思いたかった。されどそう思わせないだけの凄みが彼女にはあった。


「ならばっ、」


 もっと独創的に、もっと異常に。

 幸い選択肢はそれこそ無限に近い数存在している。

 

 一度でも不意を突いて、力と腕の本数で劣るテーゼンシアを打倒する。

 

「まずはくらえっ、飛礫斬!」


 天剣流、飛礫斬。地面の土砂、この場合は石を剣の腹で打ち、攻撃ないし目くらましをする技である。

 この相手を出し抜かなくてはいけない局面で天剣流の、つまりテーゼンシアの技。


「……ふむ、」


 されどテーゼンシアは納得したように頷いた。

 なぜなら、


「これももはや、貴方のオリジナルですね」


 ラルクは静止で剣を、動かないようにしていた。貯められる力。

 さながら弓を引き絞るがごとく、剣がしなる。


「やあっっ!!」


 膨大な力を内包した剣が解き放たれる。


 地面が、爆ぜた。


「礫の一粒一粒が砲撃を上回る威力、これを戦場で開放すれば軽く万人は殺せるでしょう」


 あまりの速度に先端を蒸発させながら飛ぶ石片。

 そのうえこれはあくまで囮、本命はあくまで散弾の後ろのラルクだ。


「防いで見せてくださいっ、できるものなら!!」

「ではゆるりとご覧ください」


「我流、曲刺殺」

「……は?」

 

 曲刺殺。天剣流の、体の一部に剣の腹を当てることで攻撃の軌道を修正する技。それでどうやって防ぐ気だとラルクは思って、


 一閃。


 袈裟の一閃により、石がいくつか弾かれた。

 その石はまた他の石に高速であたり、僅かに軌道をずらし、あるいはまるっきり方向を変えさせ、そして方向の変わった石はまた別の石に激突する。


 ガガガガガガガガガガガガがンと、赤熱する石が無数に乱反射する。乱反射の軌跡が、無数の赤の線となって幾何学模様を作り上げる。

 そして気づいた時には石はそれ、彼女の体は弾幕を抜けていた。


「えっ、」

「遅いですよ」


 曲刺殺。テーゼンシアの袈裟切りは()()()()()()()()()で当たり、跳ね返ってラルクの胸をばっさりと切り裂いた。


「ごぽっ、」


 ラルクの体から力が抜ける。

 あまりに傷が深い。おそらくは骨まで。灼熱する体。意志の欠片がゆっくりと、体から抜け落ちていく。


「まだだ、」


 されどラルクは即座に剣を掲げた。すんでのところでテーゼンシアの剣を受け太刀する。


「おや、随分と頑丈ですね」

「鍛えて来たんで。……聖絶の力の、おかげかもしれませんが」

「いえ、心の話です」


 テーゼンシアは美しく醜悪に嗤って言った。


「よく起き上がれましたね。私に勝てる者など、もはやいるはずもないというのに」


 傲岸不遜な宣言。されどそれは事実だ。

 ラルクは隻腕ならあるいはと思ったが、実力差がまだまだあることを悟り、ため息を吐いた。

 

 ……そして剣を、上段に構えた。


「俺は色々考えてないわけじゃないんですがね」


「結局最後は、いつもこうなんです。天剣流、二の太刀要らず」


 それは天剣流最大威力の奥義。 

 両手を上に挙げている以上他の動作に移ることが極めて難しく、防がれるか避けられるかすれば敗北が決定する、もろ刃の剣。


 されどテーゼンシア相手には非常に有効な技だった。というより一番マシな技だった。

 どうせ読まれるのなら、最も威力が高い技を選んだほうが良い。


「正解ですよ。極大の力は技を超える。未来も何もかもかなぐり捨てて、一撃にすべてをかけてようやく私を傷つけられる可能性が産まれる。……『剣技』」


 テーゼンシアの瞳から、一切の濁りが失われる。

 星のように煌々と輝く金眼。テーゼンシアの本気。


 二の太刀要らずを選んだ以上、次はない。


 まぎれもない、世界最強同士の激突。

 それが今、終わらんとしていた。


「……」


 ふとラルクは思い出す。テーゼンシアがレイシアの仇であったことを。

 ……彼女が、憎らしいか?


 いいや、先ほどまで仇であることも忘れていたぐらいで、全く憎くはなかった。

 テーゼンシアも彼女なりに必死だっただけだし、何よりレイシアが亡くなったのは、ラルクがレイシアをよく見ていなかったからだった。


 ラルクは断言する。もし仮にヨシュアがレイシアと同じ算段を持っていたのなら、即座に彼はそれを見抜いていただろうと。


 そして同時に、ヴェートで虎獣人の少女を後回しにし、小おもを真っ先に助けに向かったのは、親しい小おもの方が大切だったからだとも、断言できる。


 彼は自分は人が好きだと思っていた。

 けれどあの燃え盛るヴェートの村で、理解した。薄々分かっていたことを、目に焼き付けてしまった。



 ――理想とする騎士に、自分は決して成れはしないのだと。



 それもそうだろう。

 あれだけ強くなったのに、目の前の小さな虎獣人の少女すら救うことができなかったのだから。

 

 あそこで彼は、小おもを助けることを選んだ。

 彼は二兎を追って、一兎も得られないような過ちは犯さない。


 ラルクは夢物語を、信じ切れなかった。

 あそこで二人とも助ける道を選んでいれば、そしてたとえ二人とも死ぬことになろうとも、すべてを救う道を選び続けていれば、あるいは奇跡と希望と理想の道が生まれていたのかもしれない。


 ……実際ラルクがその道を選んでいたとすれば、223億4539万2973年後にその世界の人が誰一人として苦しむことなく、希望と幸福の中に生きられる世界が生まれ、そしてその世界は一切の破綻と矛盾と歪みを孕まないままに永遠に続いていくこととなる。


 ――()()()()()()()()()()()()()()。彼は仮面の錬金術師と違い徹底的なリアリストだ。

 かつて風見天華を前に、言ったこと。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。



 

 ただ、誰もを救うことが出来ないのならせめて、テーゼンシアくらいは救ってあげたかった。ヴァスクに託されたのだから。


 これで自分は死ぬ。でもそれで構わない。

 世界と一人の少女を、自分の犠牲だけで救えるのだ。まあ上出来だろう。


「終わりだ、テーゼンシアさん」


「この馬鹿げた悲しい貴女の道もっ!」


 彼は剣を降り上げ、雄たけびを上げて彼女に襲い掛かる。


 刹那、テーゼンシアは剣を横なぎにした。


 スパァン!


 ラルクの胴体が真っ二つになった。上半身と下半身が分かたれる。

 止まる場所を間違えればこうなることは分かっていた。


 だが、


「ウオオオオオオオォォォッッッ!」


 上体を『静止』させ、彼は剣を振り下ろす。

 それはテーゼンシアの左肩から袈裟に入っていった。


「……なるほど、命を捨てた特攻ですか」


「この程度の策ともいえない策で、私を出し抜けるとでも?」


 剣はこのままの軌道で行けば、上からテーゼンシアの心臓を切りつけるだろう。

 如何に彼女といえど、心臓を切られればどうしようもない。そう、切られれば。


 そのときテーゼンシアの胸骨内部の小筋群が隆起した。べコリと音がして、心臓が移動する。脇腹の、すぐ横まで。


「幸い左肩、右腕の動きに支障はありません。まああっても、足だけで残りの人類くらいならどうにかなりますがね」


「私の勝ちです」

 

 まさか心臓を動かすなど、読まれるはずもない。

 テーゼンシアはラルクを認めていた。彼がここで二の太刀要らずを使ってくるのなら、代償を払わねば勝てないと踏んでいた。

 ……されど代償を払えば、リシディア同様確実に勝てる相手でもあった。


 結局、彼女は最強であった。おおよそ殺し合いと呼べるものにおいて、彼女を上回る者など存在しないし、今後も出てくることはないだろう。


 テーゼンシアはラルクをこのまま縦にも両断して、静止を以てしてもどうしようもなく死に至らしめようとして、





「……は?」

「……はっ?」


 二人が頓狂な声を上げた。


「えっ、あっ、なんで、」


 ラルクが狼狽したような声を出す。彼の視線の先には肩から剣で切り裂かれたテーゼンシアと、



 その切り口から顔を覗かせる、切り裂かれた赤い心臓があった。


「ぐふっ」


 テーゼンシアが吐血し地面に倒れる。筋肉で出血を止めようとするが、血を吹き出し爆裂する心臓を前に、小手先の技術は無力だった。

 血が吹きあがり、どうしようもなく、体から力が失われていく。


「あ、ああ、」 


 ラルクの上半身は既に、地面に落ちていた。

 彼には既に、静止を働かせるだけの体力も、そして気力もなかった。


 ラルクは自分が人を殺したという事実に、どうしても耐えられそうになかった。

 

 死。

 人は死ねば、ごくごく一部の例外を除き蘇りはしない。永遠に体温も思考も、失われる。


 滂沱の涙が流れる。テーゼンシアを殺した罪悪感と、悲しみと、自分への怒りに心が蝕まれる。

 ああ、なんていう、どうしようもないバッドエンド。



「……そういえば、長らく忘れていましたね。人を殺せぬ人も、いるのだということを」


 そしてテーゼンシアは仰向けになって、空を見上げていた。

 灼ける夕日も紫色の雲も、何もかもが鮮明で。


 思わず彼女は、涙を流していた。


「……ルイン、」


「ごめんねルイン。私はただ、人を殺しただけで終わっちゃいました」


 すすり泣きと共に響くは、愛し子の名前。

 罪だけが、こんこんと積もっていく。


 二人の騎士は、今やもう――



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ