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終の試練・下

 ヴァスクがテーゼンシアに敗北して以降、彼女はその名声を高めつづけた。 

 12歳の時のノギス高原での戦いでは敵国の万の軍勢を単騎で降伏させ、13歳の時、ラビ決戦で最強と謳われた剣士を一方的な力を以て、殺すことすらなく敗北させた。

 

 以降テーゼンシアは、『温厚篤実の武神』として世界に知れ渡ることとなる。

 ……温厚、そう。

 彼女は相手を殺さずに戦意喪失させられるほど強かった。それこそ、世界最強のプライドを持った大男の心を粉々に打ち砕けるほどには。

 

 これまでにテーゼンシアは、ただの一人すらも殺していない。


「……なぜお前は、俺に仕える?」

「……」

「お前はその高い人徳と実力でどの国の王からも、豪奢の限りを尽くして歓待されている。なんなら賢王リラからは、王子の嫁にならないか聞かれているほどだ。なのになぜお前は、田舎の伯爵家などに仕えるっ!!」


 ヴァスクは彼女に対して、劣等感を抱いていた。

 彼も国家でも有数の天才には違いなかった。しかし天才と神には隔絶した差があった。


「……ヴァスク様」

「その様というのも止め」

「ヴァスク様。決闘をしましょう」

「……決闘?」

「ええ」


 テーゼンシアはその銀の髪を撫ぜて、強い意志に輝く黄金の瞳を向けて言った。


「一月後の今日、始まりの場所に来てください。貴方が勝てば、私は貴方の物に。私が勝てば……、私はここを去ります」 


 ヴァスクの胸が、ドクンと震えた。

 二人で模擬戦自体はよくやっていた。千を超える回数敗北し、ただ一度の勝利もないが。


「……いいだろう」


 テーゼンシアと離れ離れになると思うと、胸が苦しかった。けれどもそれが、自分の分だとも思った。


「決闘だ」


 これは超えるべき試練ではなく、定まった運命を生贄の子羊のように待つことだった。





 屋敷の中、ヴァスクは目の前にある大きな剣を眺めていた。

 かつての決闘の前に、テーゼンシアに貰った剣。彼の体躯と剛力を活かすにはこれがいいだろうと、彼女がよく考えてプレゼントしてくれた剣。


 あの頃のテーゼンシアは最強ではあったが笑顔が可愛らしい、花のような女性だったはずだ。一体なぜ、ここまで捻じれてしまったのだろうなと、ヴァスクは思う。


「……いや、決まっている。全ては我の、愚かさゆえだ」


 彼は閨にて待つ。かつて愛した、そして今も愛している、彼の騎士を。


 こつん、こつんという足音。

 ……卑怯と言えば卑怯なやり方だ。彼女はその気なら足音を立てず、気配を感じさせず、死すら認識させないまま彼を殺すことが出来た。


 これは一度しか通用しない奇襲。主という立場を利用した、卑怯な奇襲。もう美しきモノも、尊いモノも、何一つない。

 彼にできることは、狂ってしまったテーゼンシアを殺すことだけだった。


 コンコン、と扉がノックされる。


「入れ」

「失礼いたしま」


 すと言われるより前に、ヴァスクが扉めがけて大剣を振るった。

 破砕音と共に、扉どころか屋敷一面が両断される。


「……」


 手ごたえはなかった。

 粉塵の中で、女性のシルエットが浮かび上がる。


「ヴァスク様、一体何がっ、」

「ふんっ!!」


 構わず彼は突きを放つ。

 風圧だけで壁が柱が吹き飛ばされる、凄まじい刺突。


「……」


 されど手ごたえは全くなかった。()()()()()()()()()()()()

 白煙が晴れる。


「……ああ、そう」


 それは驚きというよりも落胆の意味合いが大きかったように感じる。


「そういうことですか、ヴァスク様」


 ひどく冷たい瞳が、彼を刺し貫いていた。

 当然のように、その白肌には一切の傷もついておらず。

 彼女は今水色のネグリジェを着ているのみで、武器の類は持っていない。


「……なるほど。真正面から私を超えるのを、諦めたのですか」

「すまぬな。だがもう、これしかないのだ」

「いえ、ヴァスク様は正しいですよ。剣を持った私相手に、戦うべきではありませんから」


 テーゼンシア・ロウは身長174㎝、体重62㎏の華奢というほどではないが細い女性だ。

 対するヴァスク・ロウは身長227㎝、体重199㎏の巨漢。


 一部の例外を除いて力が魔力量と筋面積の乗算で決まる以上、ヴァスクの方が肉体的に優れているのは言うまでもなかった。


 にもかかわらず、ヴァスクとテーゼンシアの戦績は幼少の時より数えて17009戦1勝17008敗。

 しかもその一勝は譲ってもらったモノだった。


 本当は、真っ当に勝ちたかった。

 だがそれも、世界の終焉を控えた今となっては空しいものだろう。

 ヴァスクは丸腰の彼女相手に、完全装備で挑む。


「……本当に、正しい判断です。ただ、」


 しかしそこで、テーゼンシアの濁った瞳がヴァスクを見据えて、


「――少しハンデが、不足していますね」

「……」

「ヴァスク様の力はよく知っていますよー。重力を操る能力に高い筋力。さらに未熟な剣技」


 彼女は悲しそうに嗤って、


「剣がないくらいでは、私の方が強い」

「それは、どうだろうな。こちらにだけ重力操作がある以上、お互い両腕があった頃よりはマシなはずだ」

「やってみましょうか。どうせ貴方がこれを選んだ以上、もう引けはしないのですしね」


「っと、その前に」


「二階だと足場が悪いですからね。私たちの物語の締めくくりには似つかわしくありません」


 そう言って、テーゼンシアは地面を軽く踏んだ。

 トンっという軽快な音と共に、床にひびが入る。そのひびはどんどん広がり、柱や天井にまで波及する。

 次の瞬間、轟音と共に屋敷が音を立てて崩れた。 


「ふふ、」


 更地の上で、テーゼンシアは飄逸に笑う。

 ヴァスクは今更この程度のことで驚きはしない。


「それでは終わらせましょうか」


 ヴァスクは剣を構えた。テーゼンシアは半身になった。

 隻腕同士の戦い。腕を先に壊された方が負けるなと、ヴァスクは悟った。



「……」

「……」

「では騎士テーゼンシア、参ります」


 地面が爆ぜた。懇切丁寧に来るタイミングを教えてくれたというのに、全く見えない。

 脚力では互角、だがただ走るということに関しても技量が違った。


「……」


 だがヴァスクは焦らない。相手が見えなくとも範囲の広さで叩き切れる、それがこの巨大な剣の強みだった。

 片手だというのに剣が軽々振るわれる。暴風を巻き起こしながら、横なぎに。


「無駄です、よっ!!」 


 剣は無情にも空を切る。テーゼンシアはしゃがみ込んで、攻撃範囲の外にいた。


 ……だが、一瞬彼女の動きを遅くすることができれば十分だった。


「潰れよ」


 刹那、凄まじい重力がテーゼンシアを襲った。常人なら、否、黎音やアルマといった歴戦の強者でも一瞬で地面の沁みとなる超重力。

 無論これで、彼女が潰れることはない。密度の高い骨に柔軟な筋肉を持つ彼女は、あらゆる種類の攻撃に対して高い耐性を持っていた。


 ただそれでも、動きは致命的に遅くなる。剣を持っていたなら何の問題もなかったのだろうが今の彼女は丸腰だ。大剣の一撃を受けるすべはない。

 剣が振るわれる。動きを止めたテーゼンシアに対して、容赦なく。


「……出力が、想定をはるかに超えていますね、いかにりっちゃんと言えどこの水準の力を与えるのは不可能。となれば、自分で練り上げたのですか」


 このときテーゼンシアは、彼女にしては本当に珍しく、一瞬だけ逡巡を見せた。

 この高速戦闘において、致命傷になりかねない迷いを。

 そしてその姿は、何かを言おうとしているようにも見えた。ヴァスクは彼女の意図を、計り損ねて、


「流脈」


 彼女の周囲の地面がべこんと陥没した。そしてテーゼンシアの動きが元に戻る。流脈。あらゆる力を周りの地面に流す、彼女の奥義の一つだ。

 

 しかしもはや、剣は避けられる距離ではなかった。彼女の目と鼻の先に刃が迫っていた。

 この刃は定めし、彼女を二つに切り裂いてしまう。


 キィンと、硬質な音がなった。何度も聞いてきた、あの物を切るときの音。

 なぜそれが今、こんなに重苦しく聞こえるのだろうなとヴァスクは思って、


 

 彼の大剣が、宙を舞っていた。



「……な、に?」

「ごめんなさい。ヴァスク様」


 思い出の破片のように、刃が地面に落ちていく。それはゴウゥンと無機質で重苦しい音を立てて、地面に横たわった。 

 手刀。

 ただの手刀で2000年間刃こぼれ一つしなかったオリハルコンの剣を切断したのだ。


「今から貴方を一方的に打ち倒します。私たちの、大切なモノの為に。」


 ふとヴァスクは、ラルクの時も似たようなことがあったのを思い出していた。

 これだけお膳立てをして、あれだけ鍛えたというのに、まだ格が違うのか。


 ……そんなことは、認めない。


 まっすぐ胸めがけて放たれた、テーゼンシアの貫手を弾いてみせた。 


「なっ、」

「テーゼンシア、汝は強い。速度も技量も、反射神経も機転も、読みも全てが我より遥かな高みにある。……だが、」


 ヴァスクの手を中心に、膨大な重力場が形成されていた。


「力だけは、ただそれだけは私の方が上だ!」


 テーゼンシアの貫手は通常なら防がれることはない。

 相手が絶対に回避出来ないタイミングか、あるいは反応できないタイミングで放たれるからだ。防げたとしたら、それは次の攻撃の布石の場合のみ。


 しかしヴァスクは自らの能力によって、すべての攻撃が手に引き寄せられるようにしていた。これならテーゼンシアの技量がいくら高かろうと、関係はない。


「……私の一撃の向きを変えるほどの重力場、ヴァスク様の手も長くは持たないでしょう」


 テーゼンシアが眉を顰めながらそう尋ねる。

 彼女がこんな単純な手を読めなかったのは、それが理由だった。ここで彼女に勝ったとしても、両腕を失えば未来はない。

 

 ヴァスクは死地を前にした聖者の如く微笑んで、


「ああそうだ。今にも肉も骨も内側に潰され、変形させられ、壊されようとしている。おそらくここで勝とうとも、我は二度と戦えなくなるだろう」

「なら、」

「…………だが、それがどうした」


「今ここで、すべての決着を着ける」


 ヴァスクが片方しかない拳を振り上げた。テーゼンシアが剣を振るうように手を挙げた。


「全ての元凶は、……誰というわけでもないが、少なくとも俺は元凶の一人だ。責任は取ろう、お前と共に俺は死ぬ」

「悪いのは、全てわた」

「今でも後悔している。()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 歪ながらも、数千年続いた主従。

 それが今、畢竟を迎えようとしていた。 


 既に更地になった屋敷。その廃墟に、冷たい風が吹く。


「終わりだ、テーゼンシアッ!!」

「終わらせませんよ、まだまだ終わりになど、させませんっ!」


 次の時、拳と手刀が交差する。ゴオンと大気が震える。冷たい秋風を掻き消すように、彼らを中心に暴風が吹き荒れる。


「ぐっ、ヴァスク様っ、」

「ウオオオオオオオオォッ!!!」


 二つの強大な力が拮抗する。

 血管がはち切れ、筋肉が爆発するのではないかと思えるほど強く強く力を込める。

 どちらも全力、限界まで力を振り絞っていた。――いや、ヴァスクは限界すらも越えていた。


 メキリ。

 そして硬質な音を立てて手刀が折れる。

 ヴァスクの鍛え続けた拳は、究極の刃を打ち破った。


「勝っ、」


 たというのは、だがそれでも早計だった。

 瞬間重力場が消失し、周りの地面がまた大きく凹む。流脈。


「ッツ、他人の体でも触れてさえいれば、だがっ、」


 ヴァスクが腕を振り上げ、そして右足を踏み潰された。

 中足骨粉砕骨折されど一切の逡巡なく、彼は拳を振るう。


 手刀と拳が再びぶつかり合って、力が伝わるより先に彼の拳がいなされる。


「ぐっ、まだ、」

「双刃」


 ヴァスクが体勢を立て直すよりも先に切り返しで手刀が繰り出される。

 テーゼンシアの双刃はヴァスクやラルクのものと違い、ひと振り目のエネルギーをそのまま切り返しの二振り目に転じさせるため、ひと振り目は速く二振り目はさらに速い。


 メキィと音がして、彼の拳がへしゃげる。


「がああっ!!まだだ!!」


 右足の粉砕骨折と、人差し指および中指の中節骨の複雑骨折。両手と片足を失ってなお、ヴァスクは止まらなかった。

 力だけなら彼の方が強い。そのままヴァスクは折れた指の痛みを無視して、右手でテーゼンシアを掴んだ。


「お前は強い。……だがな、」


「勝てる勝てないではなく、勝たねばならんのだ!!」


 彼は諦めない。

 何があっても、命の炎が燃え続ける限り絶対に。





 決闘の日。ヴァスクは初めてテーゼンシアに出会った裏路地にやってきていた。

 人っ子一人いない、寂しい場所。


 約束の2時間前に来たというのに、騎士服を着た、銀髪の少女はもうそこに立っていた。後ろを向いたまま、彼女は口を開く。


「来ましたか」

「……ああ」

「覚悟はしてきましたか?」

「………………ああ」

「ならよし」


 くるりとシアが向き直る。黄金の日が一時に世界を照らすような明眸。彼女は『剣』を持っていた。


「ではやりましょう」


 刹那、ヴァスクが大剣で切りかかった。長引けば長引くほど、地力の差がある以上勝てなくなる。

 地力の差。そう。


 ヴァスクがテーゼンシアに初めて会った日、おそらくはその時から彼女は怪物であった。

 少なくとも、そこらの剣士では傷一つ付けることすら叶わない高みに居たはずだ。


 彼女はたった一人でもこの世界を歩んでいく強さを持っていた。


 ……だが、それならばなぜ彼女はあの日、俺に着いてきた?  

 なぜ俺が彼女を拾ったあの時、彼女は笑った?


 無数の疑問と、そして唯一の敗北の確信を以て彼は剣を振るう。


 彼の大剣が、彼女を切り裂かんとして、


 テーゼンシアに当たるすぐ前で、静止した。


「……」

「……」

「……なぜ、避けようとしなかった?」


 訝し気に眉を曲げたヴァスクが質問する。

 剣はテーゼンシアが何かをしたから止まったのではない。単純に彼が、手を止めていた。

 

「……ふふっ」


 不審がる彼に、彼女は思わず笑ってしまった。


「なぜ笑う」

「いや、ヴァスク様がおかしくって、」

「……?」

「まだ気づかないんですか。頭がいいのに鈍感ですね」

「いったい、何を、」


 ふと、建物の間から射した陽光が彼女を金色に照らした。

 眩しくて彼は、目を顰めて、


「――私、実は人を殺したことがあるんです」

「……えっ、」

「私を虐待していた酒狂いの父と父を愛して私を顧みなかった母。5歳の時にあの人たちを、切り刻み殺したんです」


 涙が、流れていた。


「思えばそんな父母にすら、縋っていたのでしょうね。彼らを殺したとき私は、一人ぼっちになったことを知りました」


「……いえ、あるいはずっと一人ぼっちだったのでしょう。私を愛してくれる人は、ただの一人もいませんでしたから」


「だから初めてだったんです」


「貴方に暖かい声を掛けてもらって初めて、私は心がぽかぽかになったんです」


 ギュッと、彼女がヴァスクの袖を掴んでいた。ヴァスクも剣を、下ろしていた。


「私の負けです」


 彼女はそう、降参宣言をする。


「ですから私を、貴方のモノにしてください」


 ヴァスクは何も、言えなかった。

 ただ彼は彼女を強く、抱きしめていた。ぽつりぽつりと、足元に雨が降る。





 テーゼンシアは誰よりも強い。宇宙創成の神リシディアクォートさえも敵わなかった。

 しかし彼女はか弱い少女だ。

 シアにもう二度と、人を殺させなんてしない。彼は強く強く、そう決心する。


 再びのヴァスクの間合い。

 彼の手を引きはがすのに一瞬時間がかかることを理解してか、テーゼンシアは離れようとしなかった。


 彼女の右手の怪我は、ヴァスクのそれより深刻だ。距離がない以上テーゼンシアの蹴りは彼の上半身には届かず、下半身への攻撃なら頑強な彼は即死はしない。


 それに気づいたのかどうかは分からないが、テーゼンシアは焦燥を表情に出す。


 ヴァスクは理解していた。すべての世界のすべての歴史を通して、テーゼンシアが最強であることを。

 たとえリシディアクォートといえども、勝てはしないだろうということを。


 だから今の今まで、策を練り続けてきた。

 なぜリシディアがテーゼンシアたちの計画を知ったか。それは()()ができたと判断したヴァスクが、彼女にすべてを明かしたからだ。

 サブプランとして、龍神とテーゼンシアを戦わせることも考えていた。実際の龍神は虫一匹殺せない温和な性格だったために失敗したが。

 

 テーゼンシアは『剣』を世界樹の為に捧げた。呼び出された理由が理由なので剣も持ってきていなかった。

 そしてヴァスクは彼女に勝つために彼女が魔道に落ちた時から、否、彼女に負けたあの日から自らを鍛え続けてきた。


 長い生で素振りを欠かした日は一日もない。その鍛錬の全ては唯一人、テーゼンシアを打倒するためだけに捧げられていた。

 読み合いで彼女を上回ることは不可能であるから、読み合いは端から捨てた。剣技で彼女を上回ることは不可能だから、剣技は最低限の基礎だけ習得して、そもそも彼女に剣を持たせないことにした。


 体格的に、速度で彼女を越えることも不可能だろう。ならなんとかして力を鍛えて、重力操作能力で自らの間合いに持っていく。


 卑怯に次ぐ卑怯。不純を越えた不純。醜態の果ての醜態。

 されど凡人……理の外にいる怪物に比べれば凡人のヴァスクは、未来を全て捨て去ることでその刃を彼女の喉元まで突き付けていた。


 もはや技量も速度も存在しない。力の限り、ヴァスクは額をテーゼンシアの顔面に叩き込んだ。


「ぐうっ!!」


 メキリと音がして、彼女が後ろに下がろうとする。されど筋力の差、それだけは歴然で。


「すまぬな、シア。お前の綺麗な顔を、傷つけ血で汚してしまって」


「それでも俺は、お前を愛している」


 ただの力。そして信念。あるいは愛情。

 ヴァスクの実力はテーゼンシアやリシディアの足元にすら及ぶものではない。

 されど彼を突き動かしてきたすべてのものが、彼を彼女の喉元まで届かせていた。


 再び、強烈すぎる頭突きがテーゼンシアを猛襲した。同時にドンと、頭同士の激突とは異なる音が響く。 



「……なぜ、」


 テーゼンシアは、唇を血が出るほど強く噛みしめていた。


「なぜ、今なのですかっ!貴方が私を超えるのが今でさえなければ、いつもの訓練のときであってくれれば!!」



「――貴方を殺さずに、済んだのにッ!!」

「かっ、はっ、」


 ヴァスクは理解ができなかった。なぜ自分の攻撃が彼女に届かなかったのか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()|。



「『剣技』」


 それは彼女が、これまでにリシディアを除いて使わなかった剣の最奥。

 剣を持たず、それでいて究極の剣の力を引き出す奥義。

 ヴァスクの目には、テーゼンシアの手に持っているそれが鮮明に映った。



 ヴァスクは人生で計6度、越えなければならない試練を乗り越えてきた。唯一、領地が戦火に見舞われた時だけは失敗したが、ともかく彼は数多くの苦難を越えてきた。


 そして彼の前に最後に立ちふさがるは、最強の騎士の全力。


「そうか、初めて本気を出してくれたのだな」

 

 されどヴァスクは、屈託のない笑みを浮かべていた。それは2000年前の、好青年のもののようで。

 刹那、切断された胴体が無理矢理にくっつけられる。重力。



「行くぞ、シア」


 彼は怯むことなく、逡巡することもなく彼女に襲い掛かった。

 力の限り、命を燃やして。


「――二の太刀要らず」


 満身創痍だというのに、今までより数段早く、遥かに力強い。

 ありえたかもしれない可能性は捨てる。それはもう、意味がないものだ。


 ヴァスクが拳を振りかぶる。

 キィン。テーゼンシアが剣を振るう。


 その剣は無情にもヴァスクの拳が彼女の体に届くより先に、彼の腕に当たって……、



 そしてそれは、彼の腕のず太い骨で止まった。


 重力で圧縮された、肉と骨。

 無論、能力のおかげでもあったが、それでも究極至高の『剣技』を止められたのは……、


「シア、お前が最初に教えてくれたことだ!!」


「どこまでいっても最後は基礎だと!!最後に勝負を分けるのは、地力それに他ならぬと!」


 そして彼の腕が振りぬかれた。それはテーゼンシアの腹を打ち抜く軌道を描いた。


「ええ、拮抗した勝負、最後の最後では地力が出る。だから基礎を鍛え続けないといけないというのは事実です」


「ですが基礎ではまだ、私の方が上だったようです」


 気づけば彼の残った腕が、半ばからぼとりと地面に落ちていた。

 テーゼンシアは右足を上げていた。剣技、ではない。


 ただの蹴り。剣で傷つけられた彼の腕に的確な力を入れ、裂断したのだ。彼女は剣神ではなく、武神である。


「……」


 両腕の欠損。


「……そうか、」


「俺はまだ、力不足だったのか」


 両手の切断に下半身の消失。限界だった。


「ええ、貴方はもう少し強くなってから、私に挑むべきでした」

「そうか」


 しとどに血を流しながら、ヴァスクは重苦しい声を漏らした。


「そうか……」


 もはや彼の命は風前の灯だった。対するテーゼンシアは、おそらく彼の知っている万全の彼女より強かった。

 有体に言って、万に一つも望みはなかった。


「……俺はここで、お前に負けるのか」

「ええ。諦めてくださるのでしたら、殺さないで済むのですが、」

「だがいずれお前は俺を、いや、生きとし生けるすべての人間を殺し、世界に終焉を齎すのだろう」


 それでもヴァスクは、力強く言葉を紡いだ。


「諦めぬ限り、希望は続いていく。俺が敗北しようとも、他の人間たちが希望を絶えさせない。……あれほど悪事に加担して置いて、どの面を下げて言っているのかという話だがな」

「……諦めずとも、理想は絶望の中にしかなかったというのに?」

「理想は理想だ。ラルクは決してすべての人間を救えやしない。……ただ、」


「それでも希望は輝き続ける。ヴェートに灯った、燈火のように」



 今でこそ七冠聖絶の6人目となり果てたが、かつてヴァスクは平和と幸福を願う、普通の青年だった。


 最期に渾身の力を込めて、ヴァスクはテーゼンシアにない腕を振るった。

 ヴァスクは当然、『剣技』によってその前に胸を切り裂かれる。


 されど勢いは衰えず、肘の付け根が彼女の腹に突き刺さった。


「……『剣技』」


 その時、震脚と共に返す突きがヴァスクの心臓を貫いた。瞬間、血の噴水が噴き出る。

 不完全な再生の力ではどうしようもないほどに、命脈の根幹たる部分が致命的に断たれてしまった。


「が、あ……、」


 ヴァスクがゆっくりと、膝から崩れ落ちていく。重力を操り身を軽くし、無理矢理に立とうとするがそれでも体が持ち上がらない。


「……申し訳ございません、ヴァスク様」


 そう言う彼女も、脇腹を抑えていた。腹筋の一部が断裂したのだ。

 なぜ『剣技』を解放した彼女を、ヴァスク如きに傷つけられたのかは彼女にも分からなかったが。

 

 ……もしや、気圧されていた?この私が?


 ふと何かを聞こうとしてテーゼンシアは彼の方を見た。


 されどヴァスクは何の反応も返さなかった。既に彼は、もう、


「……」


「……」


「……強かったですよ。ヴァスク様。生まれて初めて、負けるかもしれないと思いました」


 彼女はボロボロの残った片手で、彼を抱きしめる。

 まだ、暖かかった。


 あと数時間もすればこのぬくもりも失われて、彼が冷たい肉塊になると思うと、離したくなかった。

 ずっと、一緒にいたかった。


「……行かなきゃ」


 ただそれでも、彼女は立ち上がる。


「…………細かい順序こそ。変わりましたが」


「初めからこうなることは。決まっていたのです」


 テーゼンシアを止める最後の鎖は、千切れて落ちてなくなった。

 世界の終焉を告げる鐘の音が、静かに厳かに鳴り響いた。

 ()()()望まぬ、エリクシルへの道が開いた。






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