聖絶の王VS至高の騎士
七冠聖絶が一人、天運のグルディオクラッチはリシディアクォーツこそが最強であると考えていた。
仮にヨシュアとグルディオとヴァスクの三人がかりでも、本気の彼女と戦えば瞬きする間すらも保たないことを理解していた。
この世界で働く力を作用ごとに整理すると、力には強い力、弱い力、電磁気力、重力、魔力の5種類が存在していることが分かるが、彼女たちのみそれらのどれとも異なる、『熱力』というものを発生させる事ができた。
『熱力』、熱ではない。物体の振動に影響を与えるがゆえに熱と銘打ってはいるが、その本質は時空に直接かつ連続して発生する振動の変化を起こすものである。
重力は時空自体に歪みとして働くゆえ、伝達速度が無限である(つまりA地点とB地点が何億何兆光年離れていようと、A地点で質量が変化した瞬間にB地点に働く重力も変化する)が、この『熱力』も時空自体に働くため一瞬で伝わることが出来る。
そして重力との最大の違いだが……、星の質量を持ってしても人一人潰せない重力と違い、熱力は極めて強い力である。
リシディアクォーツの熱力は、目標物との距離が16m以内なら神話金属オリハルコンでさえも一瞬で蒸発させる。どんなに高速で動けても回避できない速度で、世界一融点が高い物質でも耐えられない高熱が発せられるのだ。
理論上、不意打ち以外でリシディアクォーツを倒す方法はない。
一応彼女が認識できない速度で動くという方法も存在しているが、彼女の身体能力はグルディオクラッチの比ではないため、それは現実的でない。
ゆえに、リシディアクォーツの最強は決して揺らがない。
――ただし、
騎士テーゼンシアとその主ヴァスクは、テーゼンシアこそが最強であることを疑っていない。
テーゼンシアは、かつて孤児であった。
そして主君……、ヴァスクに一目惚れされて、屋敷にやってきたのが始まりだった。
不思議なことに、当時7歳であったテーゼンシアの肌は泥だらけではあったが、少しの傷もついていなかった。
居候のテーゼンシアは今日もヴァスクの役に立とうとして、料理を作った。
焼いた豚肉と野菜を混ぜたもの。長机を前に少年はゆっくりとそれを、口に運ぶ。
モグリ。
「どうですか、ヴァスク様」
「うっ、」
「今日は砂糖と塩を間違えてないかしっかり確認したんですよー!マズくはないはず……って、」
「う、美味いぞ、シア……」
ヴァスクの口を襲ったのは炭と青臭さのマリアージュ。果たしてキュウリと黒炭化した豚肉を混ぜたのが失敗だった。
テーゼンシアは彼の表情に苦痛が浮かぶのを見ると、悲しそうに目を細めた。
「ううっ、ごめんなさい、ヴァスク様。お役に立てなくて、」
「いや、大丈夫だシア。お前が俺のことを想って料理を作ってくれたこと自体が、嬉しい」
「……なんでヴァスク様は、私を拾ってくれたんでしょうか」
幼いテーゼンシアは、目を伏せながらそんなことを聞いた。
「料理もできなければ、掃除の技術も学も地位もない。そんな私を、ここに置き続ける意味なんて、」
「……いや、お前は俺の傍にいてくれるだけでいいんだ」
「なぜ?」
彼女の質問に、ヴァスクは気恥ずかしくて答えられなかった。コホンとため息を吐いて、
「お前は子供なんだ。俺に何かをする必要はない」
ロウ伯爵家始まって以来の天才と称されたヴァスクは、周りの大人たちからおだてられ誉めそやされ、全能感に満ちていた。
彼はそれだけ言って、その場を後にした。テーゼンシアの悲しそうな表情にも、気づくことなく。
「おおおもー」
ヴァスクが去った後、屋敷に住み着いていた1mほどの王冠を被ったおもと、50㎝ほどの大きなおも、30㎝ほどの中くらいのおもと20㎝ほどの小さなおもが近寄ってくる。
「大丈夫ー?」
「……ええ」
「そのうちうまくなるから、あまり気にやむことはないんだね」
ふりふりと踊って、4人が励まそうとしてくれる。テーゼンシアは少し嬉しかった。
「この中くらいのおもが料理上手いからね。教えてあげてね」
「りょうかいおもー」
そうして5人は厨房に残って料理の練習を夜遅くまで行った。されどテーゼンシアの料理はあまり上達しなかった。
テーゼンシアは、しょんぼりしてしまった。
そんなある日、テーゼンシアは屋敷の窓からヴァスクが騎士たちと鍛錬を行っているのを見た。
ロウ伯爵家史上最高の寵児と謳われたヴァスク。
彼はシアよりふたつ上の9歳児であったにも関わらず、大人に混じって模擬戦を行っていた。
前の騎士に切りかかる。膂力の差で受け止められるが、上から力を加える。
有利な体勢を作っておいた事で拮抗できる。
慌てて目の前の騎士が下がろうとするが、その隙を見逃さずに腹に蹴りを入れる。
一撃。
彼の前蹴りは見事に騎士の水月(腹部にある人体急所)に突き刺さり、目の前の男はつんのめって倒れる。
歓声が上がる。次期当主をおだてるとかではなく、単純に感心して周りの騎士たちが声を上げる。
曰く、ヴァスクは本物の大天才だとか。
曰く、隣国最強の戦士もここまで才気に溢れてはいなかったとか。
命の恩人の雄姿。そうしてそれを見た時、テーゼンシアは、
初めてヴァスクの役に立てると思って、心が躍った。
……夕暮れ。
「ヴァスク様、お疲れ様です!」
「シア、ありがとう」
訓練後、彼女は彼にタオルを手渡す。屋敷の中ではヴァスクがシアに惚れている事はよく知られていたし、次期当主がヴァスクである限り、家には無窮の繫栄があるだろうと疑っていなかった両親は、孤児の子との関係を許していた。
当時まだ若く、自身と才気に溢れていたヴァスクはわざと服を持ち上げて腹を拭き、その綺麗に割れた腹筋を露出した。
肉体美をさりげなく見せつけようとして。
それを見たシアは張り切って、口を開いた。
「ヴァスク様はこのお腹の横が弱点になっているので踏ん張りが効かず、剣閃の速度と威力が下がっているんです!ここを鍛えるといいと思います!」
一瞬、沈黙が辺りを覆った。
腹直筋を指さして、いいアドバイスができたと思ったシアは、ふふんと満足げに笑った。ヴァスクは驚いたように目を丸くして……、少しして話半分に頷いた。
「分かったよ。よく見てくれているんだな、シア」
「はいっ!」
面喰らいはしたが、彼女がよく見てくれているということが嬉しかった。まあ幼い少女に、俺の実力の凄さが分かるはずも無いと思って。
その二週間後、彼がいつものように鍛錬をしていると、ぷっくりと頬を膨らませて怒ったシアがやってきた。
いったいどうしたのだろうとヴァスクは思って、
「ヴァスク様!なんで言った通りにやってくれないんですか!」
「えっと、」
「お腹の筋肉です!」
少しして、ヴァスクは彼女に言われたことを思いだした。所詮は鍛錬も何もしたことがない、少女の戯言と流して聞いていた。
彼は言い訳するように、
「いや、今は正直、近づかれた時のための投げ技とかを練習したくてだな、」
「問答無用!基礎が最も大事だということを分かってください」
つかつかとそこらに落ちていた木の枝を拾って、テーゼンシアが近づいてきた。
ヴァスクは困惑して、
「シア、何を、」
「受けてみてください!」
シアが斜めに構える。ヴァスクは彼女を傷つけずに制圧できる自信があったから、またいつもの暴走かと思って、
――テーゼンシアの重心が地面と一体になる。それは舞にも似て、されどそう呼ぶには重厚すぎた。シラカバの枝が、流麗なる白い軌跡を描く。しなやかな彼女の体が神秘的な曲線となる。いっそそれは、神々しさすら帯びて、
ギンッ。
次の瞬間、ヴァスクの剣が弾かれてくるくると宙を舞っていた。
「え、」
「剣を弾かれたのに、手は痺れていないでしょう!つまり体幹が弱いんですよ!」
テーゼンシアが訓練をしているのは見たことがない。にも関わらず、ヴァスクの知る誰のものよりその剣閃は美しかった。
「……え、シア、」
彼の思考が停止する。彼は自分の見たものが、信じられなかった。
だがそれも仕方がないことだろう、相手は自分の肩ほどもない、小さな少女だったのだから。
「お前、その剣腕を、どこで、」
「?」
「……答えろ、お前は剣を持ったことがあるのか?」
その発言に、不思議そうな表情を浮かべた後彼女は答えた。
「私は剣を振る趣味なんて持っていませんよ」
趣味。……そう見えていたのか?
いや、そう見えていたのだろう。
テーゼンシアと他の人間では、根本的な考え方が違うのだ。
人間にとって武力とは、当たり前に希求すべきものだ。それがあればあるほど安全に過ごすことができるようになるし、何より出世に婚約に交渉に、何から何まで有利に進めることが出来るようになる。
ただ彼女にとって力とは、求めるべきものでなく当たり前にそこにあるものでしかなかった。
なぜただの一度も恐怖を覚えたことがなく、最初から生物の頂点に立っていた者が力を希求しようか。
「さ、ヴァスク様。教えてあげますから頑張りますよ!」
煌めく恒星を閉じ込めたような黄金色の瞳。テーゼンシアの力は、齢七にして完成されていた。
「……たった一人でここまで来たわけですか。ヴァスク様もいるかもしれないのに」
「君が最愛の、か弱いか弱いご主人様を危険に晒すわけがないだろう。……最強の騎士、テーゼンシア」
どこまでも青く透徹した空。風に揺れる静の草原。
10mほど離れたところで、赤と白のメッシュの髪の少女たちと、銀髪の騎士服の女性が言葉を交わしていた。
「ところでなぜ私を、殺そうと思ったのですか?」
「……私がヨシュアから着想を得て作った当初の七冠聖絶計画の目的は、文字通り絶佳の聖者を創り出し世界を守ることだった」
「それで?」
「そして君たちの目的は、そこで生まれた強大な魂を糧に、世界樹をよみがえらせることだった」
「……」
テーゼンシアは、なぜ知っているとは聞かない。失われたグルディオクラッチの魂。それを獲得したのがテーゼンシアであることがどうしてか、発覚したのだろう。
いや、思えば『争いの火種となるから』などと言って、枯れた世界樹を確保したのも原因かもしれない。
とにかくテーゼンシアは、不敵に笑みを浮かべていた。
「ふふ、まあバレるのも予想通りです。――それで、どうしますか?」
爛々と輝いて、にも関わらず淀みにしか見えない瞳。どんなに光があっても、元の色が淀み過ぎていた。
テーゼンシアはゆっくりと腰から剣を抜く。
「決まっているだろう。殺すよ」
直後、人間など一瞬で蒸発させる熱と、一瞬で氷漬けにする熱が放たれた。
しかしそれが放たれる瞬間には、テーゼンシアは既にそこにいなかった。
「ちっ、動き出しが読まれたか」
七冠聖絶の術式はあくまでリシディアが作ったもの。
その術式では彼女と同格のテーゼンシアに能力を与えるには不十分であったから、テーゼンシアはいわばギフトのような異能を七冠聖絶で唯一持たない。
しかし、それを持っていない代わりに彼女には他の追随を許さない……、それこそすべての世界のすべての歴史を通してみても、足元に及ぶものすらいない圧倒的な技量があった。
彼女が熱力を避けるのに使ったのは、ラルクの見る力に近いものだ。ただし精度はまるで違う。
ラルクのそれを行動予測とするのならば、テーゼンシアのそれは完璧なる未来予知であった。
テーゼンシアはキュッキュッと、足を上げずに距離を詰める。
10m。彼女からすれば0.1秒のそのまた十分の一もかからない。
「やあっ!!」
そのまま彼女は剣を切り上げ、赤い髪のリシディアの胸を狙う。
「させないよ」
青い髪の方が手刀を振るい、彼女の剣を横から弾こうとする。
しかし青い髪の方がテーゼンシアに足を踏み抜かれると、いかな理屈かは分からないが動きを一瞬止められた。
それをも読んでいた赤い髪の方は再び熱力を彼女めがけて放つが、そのときテーゼンシアの周りの地面が蒸発した。
「流脈」
「なっ、」
通常受け流しというのは、攻撃と同じ方向に回転または移動することで、被弾時の相対速度を下げることを術理としている。
しかし彼女の流脈は、攻撃を受けた後に発生する現象を筋肉の緻密な動きによって流す技である。
ゆえに速度の概念を持たない熱力を流すことが出来た。
「まずは片方ですね」
「しまっ」
赤い髪の方が遅れて剣でテーゼンシアの剣を弾こうして、
「曲刺殺」
空気に弾かれカァンと音を立て、方向を変えた剣によって両断された。
「……強いな」
生き残ったもう片方もため息を吐いて、次の瞬間には細切れになっていた。
神速。僅か0.13秒でテーゼンシアは両方の下にたどり着き、そして彼女らを殺害して見せた。
だがそれも当然なのだろう。おおよそ武というものに関して、人を傷つけ害する能力に関して、彼女に比肩しうる者はいない。
テーゼンシアからすれば、リシディアの側にこそ勝てる道理がない。
弾かれた剣をゆっくり屈んで拾って、
「――見くびっていたよ。君はどうやら、人間の領域にはいないらしい」
背後で何かが蠢く気配を感じた。
「まあ、こっちをバラバラにした程度では効きませんよね」
「まさか、龍神さん以外に見せる羽目になるとはね」
「やはり来ますか」
「「原初の終極・リシディアクォート」」
刹那、世界が激震した。
膨大過ぎるエネルギーがそこに集中していく。
人も魔も獣も神も、あるいは死闘の最中にいる兵も画竜点睛を試みる画家も、あるいは死の淵の老人も熟睡する幼児も。
おおよそこの世界に存在している遍く意志持つ者たちが一斉にリシディアの方角を向く。
天は黒く染まり、大地は割れ、海は荒ぶる。天変地異。
それが出現することを世界が恐れている。それは世界などちっぽけなモノをとっくのとうに超越していた。
それは世界の始まりそのものだった。
逆説的にそれは一世界の終末の定義だった。
赤と青の光が渦巻きながら、一つになっていく。
それは幻想的でありながらも、どこか悍ましく。
「――美しい」
テーゼンシアが感嘆の声を漏らして、
次の瞬間には、赤と青の光は混ざって燦然たる灰色の光となった。
あまりのエネルギーに爆風が吹き荒れる。
顔を腕で覆って、そして、
「――さて、何百億年ぶりだろうね」
顔を上げるとそこには灰の髪を持った、一人の小さな少女が立っていた。体躯で言えば、テーゼンシアの胸ほどまでだろうか。
頭には漆黒の冠を被り、真っ白なドレスを身に纏っている。
そこまで大きくなかった前までよりさらに小さくなっているが、その存在感は片方を二倍した程度では到底済まない。
「私がこの姿を取るのは、実に154億年ぶりだね」
万物が創成される前にあった宇宙の無限の暗黒の光のような、『無』を湛えたその灰色の瞳がテーゼンシアを捉えた。
眼。……テーゼンシアと同様、人間離れした冷たい眼。
「終幕といこう。美しく、無機質に」
「どんなに強くなろうとも、力の百パーセントを流せるのなら関係ありませんよ。流脈、」
そしてテーゼンシアの右腕が地に堕ちた。
「!!?」
「熱力は熱と違い、分子の振動を増幅させる温と振動を減少させる冷の性質を持つ。そして今の私が使う熱力は増幅と減少、その性質を同時に有している」
「……それはむじゅ」
「そう、それは論理的に矛盾している。二律背反という奴かな」
超然と彼女は語る。
「武の化身たる君も、世界という枠組みにとらわれた存在ではある。理解できないモノは流せないだろ?まあ理解したところで、どうこうなる力ではないけれどね」
「……」
彼女は落ちた自分の腕の付け根を見る。しかしそれはどういう色をしているのか、明るいのか暗いのか、はたまた存在しているのかしていないのか認識できない。
世界の中に、これを表現するための手段がないのだ。ゆえにそれから身を守るための手段も存在しない。
「さらに私はそもそも体が強い。龍神さんはともかくヴァスクの攻撃位なら傷一つつかないし、竜王よりも遥かに速く動ける」
「……もしや、私よりも、」
「君は人間としては極致にいる。ただ私は寡聞にして宇宙が生まれてからの歴史で、私より強い者を知らない」
テーゼンシアは油断させるため諦めたような表情だけ浮かべながら、時間にしてゼロ秒だけ考えた。
自分は人間としては低温高温への耐性も究極の域にいるが、熱力を耐えるのは無理であろう。結局原理を理解できなかった、というよりおそらくこの世界という枠組みの中にあっては原理が存在してすらいないから流すのも不可能。
「……」
超高速かつ超高威力の攻撃が来るのは分かっていたが、それでもなんとか即死を避けることしか出来ずに片腕を失った。
後一度能力が放たれれば、如何にテーゼンシアといえ敗北を喫することになるだろう。なら使わせる前に殺すしかなかった。
……テーゼンシアは厳かに覚悟を決め、静かに勝利を確信した。
「さあ、分かったら諦めてし」
「えいっ」
可愛らしい声と共に、剣を二本とも投げ上げる。
一本ならともかく二本。は?と一瞬だけリシディアの注意が上に向いた。
リシディアの視線が外れた瞬間に、彼女は駆け出した。
音はしない。気配もさせない。最強の騎士、テーゼンシアにはそれができた。
距離は0.7m。剣を振るえば届く距離。
ただリシディアは決して愚鈍でないし、そもそもテーゼンシアは剣を持っていない。彼女はすぐに視線を戻して、テーゼンシアの動きに気づいて、
「ねつり」
「『剣技』」
大地を呻らせるが如き震脚と共に、なぜか持っていなかったはずの金の剣が振るわれていた。
「かっ、はっ、」
「76231分の一秒」
上半身と下半身を分かたれ、地面を転げるリシディアを前に、片手を失っただけの彼女は呟いた。
「貴女が対象を認識して、能力を発動すると決めてから、能力が行使されるまでにかかる時間ですよ」
「ばか、な、」
リシディアは必至に意識を保ちながら呟く。
「剣は、いったいどこに、隠し持って、……いや、抜くほどの時間はなかったはず、なぜ、」
「ああ、これは実在の剣ではありません?」
「は?」
テーゼンシアは軽やかに腕を振り上げ、そして震脚と共に剣を振り下ろす。
すると彼女の手に、再び剣が出現していた。
「斬るという行為の原理。それを理解し、実際に出力できるだけの技術を手に入れたのなら、剣など必要ないのですよ。そもそも剣とは、剣を理解していない未熟者の為の補助具なのですから」
「……」
「まあかくいう私も、筋力の不足ゆえ両手持ちか、溜めありじゃないと『剣技』は使えないんですがね」
「……君は、はじめっから人間側じゃなかったわけか」
リシディアクォーツは呆れたように言った。
「……君、なんで最初に腕を失った?」
「腕を失えば、貴女は戦士じゃないから油断してくれると思ったので」
「ふざけた化け物だ。……『極星』」
リシディアが再び力を使う、ほんの少し前。
少女は再び、そして今度は違う形で、切られていた。
リシディアの体が十字に分かたれる。
「貴女の弱点はあまりにも威力が高すぎるがゆえに、世界を慮って照準を付ける必要があることですね。宇宙諸共私を殺す気なら勝てたでしょうに」
「か、はっ、」
「さて、今度は致命傷だと思ったのですが、どうですかね?」
リシディアは苦しそうに呻いた。呻いて、そして。
――不敵な笑みを、無理に浮かべた。
「なっ、」
「君は全ての魂を世界樹に変えようとしているが、それだけは何としてでも避けなくてはいけない」
血に染まった灰の髪が、風に揺れる。
「たとえ宇宙が滅んでも、人類が絶滅しても、魂が残り続ける限りはそれはいつか巡るだろう。そうだね、何億年後か何兆年後かは分からないけれど、星はいつか生まれて、そこに魂は、人は宿る」
命を刻んだ感触はあった。実際に肉体を四等分した。これで終わりだと思っていたテーゼンシアは驚愕の表情を浮かべる。
「本来の私の能力はさ、エネルギーを一切消費しないんだ。正の熱と負の熱を同時に生みだすからね」
「……?」
「そして出力に制限もない。君相手でこそプラスとマイナスの座標を同じにしたけれど、それをずらしてやれば温度が無限に高い点と無限に低い点(絶対零度より下の温度は存在しうる)が生まれる」
「つまり、何が言いたいのです?」
リシディアは前置きが長くなったねと、咳払いして、
「世界の全ての物質とエネルギーが一か所0㎥に集まっていて、ゆえにそれ以上過去をさかのぼることが不可能な時間帯、――『初期特異点』を知っているかな?」
「ヨシュアちゃんが教えてくれたやつですね。でもそれが一体、なんだって言うんでしょう」
「そこでは閾値を超えた時に『とある現象』が引き起こされる。そしてその現象を引き起こすのは超超高温超超高密度のエネルギーであって、別に物質とかが一か所に集まっている必要はないんだ」
「……………まさか、」
ああ、と彼女は笑った。テーゼンシアは震えた。
「私が熱力を最大出力で放てば、一瞬だけ対象箇所の熱エネルギーが世界の包括していたエネルギー量を遥かに超え、熱エネルギーが物質に変化したものが超高速での膨張を始める」
「すなわち宇宙創成の息吹、ビッグバンが巻き起こるんだ」
テーゼンシアは、なりふり構わず剣を振るった。
まだ生きているのなら、『第五の剣技』で無限に切り刻もうとして、
「……なーんてね。今の私はもう、熱力を使うことすらできないよ」
お手上げといった風に首を振って、リシディアがそんなことを言った。
テーゼンシアは少しして、頷いた。
「……まあ、ですよね。私がそこら辺を読み間違えるとも思いませんし」
「ああ、君は武人として完成されている。いや、武人というよりかは武神と言うべきかな」
そうは言いながらも、彼女は凄絶な笑みを絶やさない。
「……ならなぜ、そんな余裕で」
「私は確かに君に負けた」
「でもまだ私たちは、負けてはいない」
「……?」
彼女は理解できないと言った風にリシディアを見下ろした。
「貴女が敗れた今、私に勝てる人がいるとでも思っているのですか?」
それは純粋な疑問だった。
「確かに私の片腕は、消滅しました。腕を生やす魔法などは使えないし、そもそもあらゆる時間に渡って焼失した以上何をやろうと決して治りはしないのでしょう。……でももうリシディアちゃんも、龍神さんもいないんですよ?」
彼女は血流を制御して、呼吸を落ち着かせて、血を止める。テーゼンシアは片腕を失ったくらいの怪我なら5秒もあれば止血できたし、体に血が1L残っていれば十全に活動することが出来た。
「まさか現在の竜王ちゃんが、私を倒せるとでも?」
傲慢だった。しかしその傲慢さは、圧倒的な力に支えられていた。
仮に五大国と戦争を行ったとしても、テーゼンシアはコーヒーブレイクをするような気軽さで勝利することができる。
「まあ、グルディオすらも瞬殺できない天華じゃあ無理だろうね。君は強すぎる」
「なら、」
「でも人間の力は、そうじゃない」
「……は?」
何を言っているのかと、テーゼンシアは思って、
「ラルクはヴェートを救ってみせた。それは彼の力では、本来ありえないことだった」
「想いの力は、奇跡を起こすんだよ。どの世界でも、どの時代でも。人間たちはそうやって、乗り越えてきたんだ」
それはおそらく、彼女が矮小な人間などを頼ろうとした理由。聖絶計画の根幹。
「……世迷いごとを」
「まあどうぞ、世迷いごとと思っていてくれ。そっちの方が都合がいい」
リシディアは知っている。ヨシュアの言う神など、空想以外のどこにもいないのだということを。
されど確かにヨシュアは人の想いを受け、蘇ったのだということを。
「……」
「さて、それじゃあ私は先に逝くとするか。いや、先でもないのか。グルディオ、君はもうそっちにいるんだった。済まないね優しい君に、天運の試練なんてやらせてしまって」
それは独り言というよりは、うわごとのようだった。
風前の命の彼女の頭はすでに正常に働いていない。
「ヴァスク、君はいつもひたむきだったね。私は正直、君に一番期待していたのさ。私でもシアでも勝てない敵が現れた時は、そのときは君が倒すんだろうって」
「……生憎と敵は、私たちだったようですが」
「シア。君は哀れでならないが、まあ仕方がないと言えば仕方がない。せめてわが友よ、強く生きろ」
「……っっ!!」
すでにリシディアの瞳に憎しみや怒り、敵意はなかった。ただどこまでも穏やかに、神の慈眼で遥かな水平を見つめている。
「最後にヨシュア」
星が昇る。天高く、どこまでも自由に。
「君は私の、無二の親友だったね。こんなむごいことに、優しい君を付き合わせて悪かった」
「……」
「さらばだ私の英雄たちよ」
テーゼンシアを倒せなかったことは、そこまで気にしていないようだった。ただ友人を非道に落としたことは、後悔しているようだった。
「……リシディアちゃん」
「……」
返事はなかった。
誰も彼もが、罪と悲しみを背負って生きている。それは最強も神も例外ではなく。焦がれた理想は、遥かな彼方に。
ああ、できることなら。
「――全ての悲しみから人間を救ってくれるような、そんな英雄がいればいいのに」
彼女はそんなことを呟いて、すぐに自嘲的に嗤った。
そんな者いるわけがないから、私はこの道を選んだというのに。
「……ラルクは、終わりの試練を越えた。奴はたった今、英雄として完成した」
「そうですか。私たちの計画も、いよいよ終局を迎えようとしていますね。……ん?彼を英雄にしなくとも試算では世界樹の復活に足りるはずでは?」
「念には念をだ」
ある館の、広間で二人は座っていた。
「そしてテーゼンシア、止まれはしないのだな?」
「ええ。その選択肢は、最初に人を殺した瞬間になくなりました」
「分かった。汝の意思を尊重しよう」
ヴァスクは説得をすぐに諦めた。この最終局面で、彼女に怪しまれるわけにはいかないからだ。
「何人ほどの魂を回収するのだ?」
「ヨシュアちゃん、各国の王、ラルク君のを回収できるのなら、あとは10億人くらいでしょうかね。計算上、それで世界樹は再生します」
「10億か……。この世界の人口が、12億程度だったか?」
「まあ私たち二人なら、明日に始めて明後日には終わりますよー!」
「それもそうだな」
そういうことじゃない、と彼は言いたかった。だが口には決して出さない。
「ああ、ようやく、ですね」
彼女は無数の死体が浮かんで臓腑に濁る沼の表面のように、濁った金色の瞳をヴァスクに向けて、微笑んだ。
「ようやく彼が、蘇るのですね」
「……ああ」
彼は拳を強く握りしめた。
「……テーゼンシア」
「はい、何でしょう」
「今宵、閨に来い」
「ああ、確かにもう、裏切りではなくなるのか」
彼女は少し恥ずかしそうにはにかむと、頷いた。
「では少し、着替えて参ります。お待ちくださいませ、ヴァスク様」
ヴァスクはさらに、強く拳を握りしめた。
なぜこのような、醜い嘘を吐かねばならない?
なぜこのような、最低の裏切りをしなければならない?
『では、最後の試練です。……どうか私に、勝ってみせてください』
かつて剣の師から与えられた、未だに越えられていない試練。
それは剣で、実力で越えてみせろということであっただろうに。
……。
されどヴァスクという男は、そんなことより世界の方が何万何億倍も大切であることを理解していた。
いつだって何かを天秤に掛けてきた。天秤に掛けた結果、何人もの人間を見殺しにした。
テーゼンシアに裏切りを悟られないよう、見殺しにし続けてきた。
個人などより世界の方が遥かに価値が高いのだと、理解していたから。
ここで人間に戻れば、非道を捨てれば、今まで見捨ててきた者たちの犠牲が無駄になる。
これで最後だ。
テーゼンシアを殺し、そして自分は考えうる限り最も惨めで残酷な方法で死ぬ。安らかに逝く、テーゼンシアの罪の分も背負えるよう。
彼は血がにじむほど拳を強く握った。
決戦の時は、すぐそこにーー




