終の試練・中
「……」
「……ああ、先生」
「何百年も何千年も、お疲れさまでした。後は俺に任せて、眠っていてください」
静かに眠る桃髪の少女を地面に降ろすと、青年はヴァスクの方を向いた。
炎のような、赤の髪。煌々と光を放つ赤の瞳。
『英雄』ラルクが、照る日を浴びて燦燦と輝いていた。
「……英雄、か」
ヴァスクが呟く。
「だがそれがどうした。我は聖絶なり」
彼はキッとラルクを睨みつけると、大剣を彼に向けた。
変わらず巨大な存在感。
同格の存在の出現も相まって、ヴェートの地は揺らいでいた。
「行くぞラルク」
「律儀ですね。わざわざ待ってくれて、そのうえタイミングまで教えてくれるなんて」
彼の瞳にもはや、恩師を殺した仇敵への怒りはなかった。
「黎音さん、ここは俺に任せてください」
「えっ!?」
一人で戦うという無謀かつ無意味な発言に、黎音は驚いて、
「一体なぜ?勝てるにしても、二人いたほうが」
「黎音さんを危険には晒せませんから。……それに」
「それに?」
「彼を倒すのが俺じゃなきゃ、救えない人もでてきますから」
「……?」
黎音には彼の言っていることの意味はよく分からなかった。救えない人?
……だがともかくも、いつものようにラルクが誰かを救おうとしているのは分かった。
「……分かりました。まったく、お前はいつでもそうなのですから」
黎音はヨシュアの亡骸を抱き上げて、傷つかないように彼らから遠ざかっていく。
「ですがどうか、死ぬことだけはなきよう」
「分かりました」
絶対に生きる。死ねば彼の為に亡くなった彼女らに、背を向けることになるから。
風が吹く。本当の試練の始まりを予感させる、暖かい風が。
相手はまごうことなき世界最強の一角、ヴァスク。怪物グルディオクラッチよりも遥かに強いという怪物の中の怪物。
ラルクはヨシュアから受け継いだ、燃える剣を構えた。
「では騎士ラルク、参る!」
ドンっと、彼が踏み込んだ地面を中心に同心円状の波紋が広がる。
強烈すぎる踏み込み。
単にヨシュアの力を受け継いだというだけではなく、鍛え続けた彼だからこそ出せた脚力。
対するヴァスクは、変わらず大剣を振るった。
オリハルコンでできた巨大な大剣。重量であれば優に1トンは超える代物。暴風を巻き起こしながら、それはラルクに迫りくる。
「『静止しろ』」
刹那、大剣の動きが緩やかになった。
ラルクはすかさず、跳躍して大剣に飛び乗る。
「……なるほど、汝の能力は、」
「『静止』。あらゆる物事を遅くし、力を失わせ……、そして最終的には完全な静止に至らしめる」
それは一見すればラルクに似つかわしくないようで、しかし彼の本質を捉まえた能力だった。
力には動と静、能動的に目的を達成しようとする力と、その目的達成を妨げようとする力がある。
ラルクの全ての人を救うということの本質は、すべての暴力を妨げることにあった。
炎は延焼しない限り、その場にとどまり続ける。この静止の力は理想に繋がっていると、彼は確信した。
「……だが、強度が低い」
ヴァスクは剣を手放して、剣の上のラルクに向かってラリアットをする。狙いは彼の足。
即座にラルクは静止の力で止めようとするが、あまりのエネルギーに動きが鈍らない。
「能力だのなんだの言っても勝負の命運を分けるのは力、速度、技術といった基礎だ」
ラルクが足を薙ぎ払われ、縦に何度も回転する。
そのままヴァスクは、ラルクの土手っ腹を殴打しようとして、
「グッ!?」
唐突に強烈な蹴りが、彼の頬を打ち抜いた。
のけ反ったヴァスクが見ると、彼が空中で上下さかさまになった状態で静止していた。
「自分にも、いや、そうか、」
ヴァスクは気が付いた。
「汝の能力はエネルギーの減少でも、速度の減衰でも、ましてや力の消失でもない」
「静止の文字通り、その場に留まるよう力を発生させるのか!!」
「ああ、そうだ。そしてそれは、貴方が挙げた四つの中で最も汎用性が高い」
ラルクはそのまま着地すると、彼に切りかかった。ヴァスクは剣を振るおうとするが、静止の力によって持ち上げられない。
「終わりだ、ヴァスクさんッ!!」
「遅いッ!」
そのままラルクは彼に剣を振るった。
ヴァスクはそれを片手で受け止めようとした。が、
「天剣流、曲刺突!」
「なにっ」
彼が剣の腹を蹴り上げると、軌道はヴァスクの腕を越え、彼の顔に一直線に向かった。
それは容赦なく、ヴァスクの額に突き刺さらんとして、
「だが柔いわッ!!」
「なっ、」
べきりと音がして、ミスリルの剣がへし折れた。
骨の方が、ミスリルより頑強なのかとゾッとした。
「そしてやはり、経験が足りておらんな」
「しまっ、静」
「ふん!」
ドゴォと轟音がして、ラルクが殴り飛ばされた。
驚愕に一瞬だけ意識を取られたのが、致命的だったのだ。
地面をえぐり、何十メートルも地面を転がる。静止の力は間に合わなかった。
「ぐ、ふっ、」
殴られたのは腹筋、だがただの一撃で腹直筋と腹斜筋のみならず、背筋までも一部断裂してしまっている。骨が折れていないのは、ただの偶然だ。
「どんな能力にも弱点はある。汝の弱点は、静止の力が働くまでに時間がかかることか」
「何ていう、パワーだ、」
脊椎は、何とか無事だ。だから動ける。しかし、
「勝負あったな」
ヴァスクが遠くから近づいてきながら、粛々と告げてくる。
「体幹は文字通り、体を支える幹。支えが弱くなれば上半身の力も弱まり、何より下半身と上半身の力を連動させることができなくなる」
ラルクは理解していた。力とは全身を動員してひねり出すものなのだということを。
「拳は貧弱かつ遅鈍に。辛うじて威力の不足を切れ味で埋めうる剣も、もはや折れた」
ましてや目の前の男は、おそらくラルクが全快でも手も足も出ない怪物。
戦い方や武器こそバートルに似ているが、実力は彼の比ではない。力も、速度も、タフネスも、技術も、全てがバートルの遥か上を行く。
「……だというのに、なぜまだ起き上がる」
「……」
「そしてなぜ、あの竜の少女を呼ばぬ」
もし仮にラルクに勝ち目があるとしたら、それは黎音と共に戦う場合だけだった。
二人には遠く及ばないとは言っても、黎音は竜将だ。この現状を打開しうる可能性は持っている。
しかしラルクは、ゆっくりと首を左右に振った。
「それじゃあ、救われない」
「救われない?あの少女を犠牲にしてしまうということか?そうなると限ったわけでも」
「いや、貴方が救われないからだ」
彼の発言に、ヴァスクは目を丸くした。
「黎音さんは可能なら貴方を殺すだろう。でもこの戦いのあるべき終幕は、それじゃあない」
「……少し待て」
ヴァスクがラルクの言葉を遮る。
「我はヨシュアを殺したのだぞ?それにかつて幾万の命を奪い国家を滅ぼした、情状酌量の余地もない大罪人だ」
それはありえないといったような声音で。
「それでも救うというのか」
「ああ」
それは断言だった。強い確信の宿った言葉。
「っ、」
「……まさか、汝は、」
「ああ」
「俺は仇であろうと、悪であろうと、何であっても救って見せる。それが俺の願いで、そして、あの人たちの願いなのだから」
彼は身の毛がよだつのを感じた。
『龍神』と戦った時、彼は敗北して片腕を失った。高潔で強大な彼女でさえ、ヴァスクを傷つけ損なう方法を選択した。
まあそれもそうだろう。ヴァスクは明確な彼女の敵で、世界の敵で、手加減をする理由などどこにもないのだから。
だというのにヴァスクより遥かに弱いこの青年が、彼を救うというのか。それはもはや優しいとか正しいとか、そういった話でもなくて、
「……狂っている」
「ああ」
「それは人間の生き方ではない!神の生き方でもない!!なればそれは精神異常者の病理的な妄想に過ぎず、矯正されるべき悪徳でさえある!!」
「そうかもしれないね。俺も他人が俺と似たような考え方をしていたら、たぶん変えようとすると思う。……でも、」
「俺は父さんが、レイシア様が、ヨシュア先生が死んで、すごく悲しかったんだ。もうこんな思いはしたくないし、させたくない」
ラルクはどこか陰を帯びた笑みを浮かべて、ヴァスクに向けて駆け出した。
「俺はさっき、貴方の顔を見て気付いたんだ。貴方はすごく、寂しい瞳をしているって」
「貴方は大切な人を失った。そしてそのために、大切な人をさらに失おうとしている」
迎え撃つは、ヴァスクの大剣。
「もう、いいじゃないか」
ラルクは屈んだ。
「もう、悲しい思いなんてしなくていいじゃないか」
大剣は宙を切る。ラルクはそのまま、彼との距離を詰める。
「ここで止まれ」
「ぐっ、」
「どうかここで、立ち止まってくれ。そうしないと、貴方たちの救われるチャンスは永遠に失われる」
気づけば二人の距離はゼロになっていた。
だがしかし、今のラルクの筋力などたかが知れている。ヴァスクは思い切り、腹に力を入れた。
「そんなもの、効かぬわぁっ!!」
ドン!
「そんなもの……」
「……」
「ぐ、おおおぉっ、」
ヴァスクがよろめく。想定外の威力。
彼は気づいた。ラルクがヴァスクを殴った時、彼は微塵も反動で後退せず、またヴァスクも後ろに下がらなかったことに。
静止。互いの下半身を固定して、衝撃の逃げ場をなくしたのか。
ヴァスクの内臓が揺れる。あまりの威力に、全身が痙攣する。
……だが、
「止まれはしない」
「止まれなど、しないのだぁッ」
ヴァスクは倒れず、剣を振るった。ラルクは全力でバックステップして、なんとか回避する。
「かなりいいのが、入ったはずだけど。それこそ一撃で倒せてもおかしくないくらいには」
「俺だって、止まれるのならば止まっていた。止められるのならば止めていた。だが、どうしようもなくシアは狂ってしまったのだ!!」
「人面獣心の外道どもに俺らの領地を焼かれ、何よりも大切な独り子を失って!」
「!!?」
激昂するヴァスク。そして現れた、領地、子という想定外のワード。
「ああ、そうだ。出る杭は打たれるというが、俺やシアなら大丈夫だと思っていた。俺やシアに勝てるものなど、2000年前のこの世界のどこにもいやしなかったからだ!」
「そして実際に、俺らは無事だった!代わりにそれ以外の全てを失ったがな!!」
ヴァスクは目に血の涙を浮かべながら、剣を振るった。
「俺にはもう、できんのだ」
「人の善意を信じることなど、理想を求めることなど、できんのだ!!」
力に任せただけの、強引な剣捌き。ラルクはそれを避けて、もう一度腹に打ち込もうとした。
おそらくあと一撃いいのが入れば、ヴァスクといえど崩れ落ちるだろう。それほどまでに、『静止』の力と打撃は相性がよかった。
まずは静止を使って、ヴァスクの剣を遅く……、
「……え?」
「ぬるいわァっ!!」
動きが微塵も鈍らない。
最初から常軌を逸していた筋力が、先ほどより強くなっている!
ラルクは全力で横っ飛びをした。剣は彼の胸を掠め、鮮血と共に通り過ぎていった。
「避けたか」
強い、これが七冠聖絶。
鋭い痛みと共に、ラルクは理解する。
このヴァスクという男は、痛みになれている。
「……ならば、」
「一撃で、終わらせる」
次の一撃に、全身全霊を賭して。
ヴァスクは返す剣を振るってくる。
最も早く、ラルクを攻撃するためのコンパクトな振り。
避けることはできる。だが、避ければ反撃はできない。
「ぬぅんっ!!」
ラルクの胴体を両断するように襲い掛かる大剣。
それは弧を描き、空を裂き……、そして、ラルクを捉えた。
ズガンッ!!到底肉と剣の衝突とは思えない重い音が辺りに響く。
大剣は確かにラルクを切り裂いて、
「……静止の能力。一撃では倒せんか」
ただ、ラルクは立っていた。肉が裂け骨が曲がり神経が軋もうとも、彼は立っていた。
しかし、静止の能力は対象の切り替えに時間がかかることを、ヴァスクは短い攻防から見抜いていた。
またあの体幹の固定を行われる前に、下がれば問題ないと思った。
そしてそれが、勘違いだった。
ドゴンと、ヴァスクの腹筋が殴られる。
「それは効かな、」
「ぐっ……?」
膝を付く。想定外の衝撃。
「がはっ、ごっ、!!」
吐血する。力が全身から抜けていく。ありえないといった表情で、彼がラルクを見上げる。
「静止の力抜きでも、俺を貫けるのか……?いや、それとも静止の力の対象は即座に移動できるのか?」
「どちらでもありませんよ」
ラルクはボタボタと腹から血を流しながら、答えた。
「そもそも俺は、貴方の剣に静止の力を使わなかった」
「ならなぜ生きている!?いや、そうか、素早く振ることに意識がいって威力が、」
「いや、違います」
ラルクは観察眼に優れている。だから分かった。
「貴方が手加減をしたから、俺は防御に制止を使わないで済んだ」
ヴァスクは無言になった。無言になって、何かを言おうとして、口を噤んだ。
しばらくして、
「……そんなはずは、」
「筋肉が弛緩していました。そして何より、貴方の瞳に闘気はなかった。だから俺は、甘んじて貴方の攻撃を受けることにした」
「……」
「貴方に俺を殺す気はなかった。そもそも貴方は初めから、まるで本気を出していなかった」
ラルクの発言に、ヴァスクは驚いたようだった。……されど少しして、彼はおもむろに頷いた。
「……確かに、そうやもしれん」
「なぜ?」
「……お前は世界の希望だからだ」
「?」
世界の希望。それはヴァスクさんからすれば、敵じゃないのかと彼は思って……、
「本当は俺は、お前を殺す予定だった。そしてその魂を、世界樹に捧げるはずだった」
「……?何をいきなり、」
「なあラルク」
「お前は絶対に勝てない相手がいて、それでもそれに勝たなければ世界が滅ぶのだとしたら、どうする?」
「……絶対に、勝てない相手?」
「ああ」
ふと、ラルクは気がついた。
巨躯に惑わされていたが、ヴァスクが迷いをその眼に浮かべていたことに。
「今頃リシディアクォートは殺されていることだろう。俺はこれより、最強の騎士、テーゼンシアに戦いを挑んでくる」
「えっ、仲間じゃあ」
「ああ仲間だ。ただし、遥か昔に道を違えてしまったがな」
その瞳には、深い悲しみと後悔が宿っていた。
「お前の恩師を殺した俺が言えることではないのは分かっている」
「……いいや。そもそも俺らに、人を殺した俺らに、何かを望むことなど許されていないのだろうが、」
「ただそれでも、俺が敗れた時は。――どうか、シアを頼みます」
ラルクはその言葉に、静かに頷いた。確かに言いたいことはあった。
ただヴァスクがヨシュアに、いや、今まで殺してきた全ての人間と見殺しにしてきた全ての人間に罪悪感を覚えていることは分かった。
なら何も、言うべきことはなかった。
なぜならば殺された本人のヨシュアが、誰よりも他人の幸福を願える人間だったから。ここでヴァスクを責めようものなら天国のヨシュアに叱られてしまうだろうと、そう思ったから。




