閑話 神学講義
休みの日、ヨシュアとラルクは教室に残っていた。
春学期末テストで赤点ラインの平均30点どころか、合計10点に満たなかった彼への補習を行っているのである。
「その少女はユダヤの形式的な律法主義を厭い、人類愛を説いたの。そんなわけで彼女は1人の敬虔なユダヤ教徒であったのに、没後にキリスト教の男救世主ということにされたわ」
「へー、滅茶苦茶ですね」
「でかでかおもー、でも大おもキングみたいに誰からも知られないよりはいい気もするんだよ」
題材は神学。……当然学校のテストにこんなものは出ないが、ヨシュアはラルクがまともな成績を取るのを諦めていた。
「おもキングの言うとおりね。誰かから認められること、誰かに偉大な人物として知られることを悪く思う奴はそうそういないわ」
「実際語られるだけはある凄い人ですしね。すごく理知的で、そして優しい人だ」
「まぁー?その子は確かにとっても頭が良くて~、凄い子だけどぉ?」
「……なんで先生が得意げなんですか」
「このメスガキむかつくんだね」
ぷくっとほっぺたを膨らませたおもキングがヨシュアにタックルを食らわせるが、体幹で耐えられてしまう。
余談だがおもとおもキングは、ラルクと遊ぶ予定を補習で潰されたので怒り心頭であった。
「閑話休題、だけれどそのキリスト教は、悍ましい瑕疵をいくつも持っていたわ」
「……瑕疵?」
「ええ。おおよそこの世界に存在する全ての宗教がそうであるように、人々を支配し、権力を固定するための道具としてそれは使われた」
おもキングをひょいと頭にのせながら彼女はそんなことを語る。
「勿論、宗教である以上それが一種の道徳規範として作用していたのも否定できない。というか正の影響の方がおそらくは負の影響よりも大きかったでしょう。でも一部では、悪意悪徳醜悪邪悪のるつぼでもあったのよ」
「……」
「教義に富める者は天国に行けないって繰り返し言われているのに、教皇が金の法衣を着て豪奢を尽くしているような連中。キリストがユダヤ教徒であったのを知っていながら、ユダヤ信者への差別を平気でできる連中」
「……」
「アンタが考えていたような、正しい心を教えることによって人類を救うのは不可能だわ。どうせ悪意はどこにでも蔓延る」
ヨシュアはそれを、彼にきっぱりと告げた。
そしてそれは、ラルクも内心分かってはいた。
「うーん、じゃあプラン6のエリクシルでも使って不老不死になって、人類を見守っている方がいいんですかね」
「まあその辺りが落としどころじゃないかしら?人を突き動かすのは心じゃなく圧倒的な力とそれによる恐怖だからね」
「おもー、大おもキングの教えは私たちの中で生きているんだよ!」
「人間はおもじゃない。脳の構造上人間には無理なのよ」
「そうだ先生、プラン11、人類おも化計画についてなんですが」
「止めなさい。マジで止めなさい」
「なんでかな?おもがいっぱいいたらきっと楽しいんだよ」
「ああっもうっ、面倒くさいわねっ!!」
騒がしかった。日々が喧騒の中にあった。
けれどもそれが幸せだった。ラルクを中心に集まる心優しき謎の生き物たち。
ヨシュアは七冠聖絶の一人である。何人も人を殺してきた。罪が消えることはない。
……それでもラルクたちと共にいる時は、胸の痛みを忘れることができた。
そうして一通り燥いだ後で、ヨシュアはふとラルクを見つめた。
その表情はどこか、葛藤と苦しみを孕んでいて。
「……アンタは理想の為に、命を捧げる覚悟があるかしら?」
静かな空間の中、消え入りそうなほど小さな声でヨシュアはそう聞いた。
「えっ、何ですかいきなり」
「良いから答えなさい。仮に99%ほぼ確実に奇跡が起きなければ死ぬとしても、理想に向かおうとする意思がアンタにはあるのかしら?」
ラルクは、彼女の言葉の意味を図りあぐねているようだった。ただ、ヨシュアにこれ以上説明する意思がないことに気が付いた彼は、ゆっくりと頷いた。
「はい」
「どれほど苦しい試練が待っているとしても、俺は理想を求めましょう」
「そう。……そうなのね」
その瞬間、ヨシュアの小さな掌がラルクの手に重ねられた。
掌の下、見えない部分で魔法陣のようなものが形成され、ラルクの手の中に吸い込まれていく。
「――なら私も、アンタの理想の為に死んであげるわ」
ひどく曖昧ではかなげな笑顔で、ヨシュアはそう言った。
ラルクはその表情にどきっとして……、
パッと、彼女の表情が元の悪戯な笑顔に戻った。
「だってアンタは雑魚だから、守ってあげないとすぐ死んじゃうもんね~♡」
ラルクは一瞬呆気に取られた。取られた後で、
「ぐっ、このー!おも、一緒にぶったおすよ!」
「ボコボコにしてやるんだね!」
「ざあ~こ♡アンタらが私に勝てるわけないじゃない」
ヨシュアに襲い掛かるラルクとおもキング。
……この4か月後に、ヨシュアはラルクを庇って亡くなることとなる。
されどそれは、あるいはヨシュアにとって救いであったのかもしれない。
だれかがアンタの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
結局のところヨシュアは誰かを傷つけるくらいなら、自分が傷つけられることを望む少女だった。




