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見えない未来

「ラルクはヴェートを救い、3つ目の試練を乗り越えた」 


「心の波及。希望に燃え盛る炎。それこそが君の、在り方なのだろう」


「ひとまずはお疲れさまと言いたいところだけど……、生憎そうもいかないか」


「昏き風が吹く。美しき血が地に満ちる」


「今日を以て、いよいよ始まる」


「――彼にとっての、真の試練が」









 ヴェートでの戦は終わった。

 ラルクと黎音は3週間ほどヴェートに留まって治療を受けた後、そこを発った。

 

 本音を言えばヴェートの復興を手伝いたかったが、龍王国の名を勝手に借りたことを報告しないわけにはいかないため、彼らは東へと進んでいた。

 

 勝手に龍王国の名を借りて大国と戦争するなど、由々しき問題である。

 まあ天華ならどうにかしてくれるだろうと曖昧な信頼を持ちながらも、しかし申し訳なさと心配もあった。


「もし、天華様がヴェートの魔石田を守らないと言ったらどうしましょうね」

「あの人はたぶん、お前の頼みなら聞いてくれますよ」

「え?」

「それに竜将としての権限もありますし、魔石田も魅力的です。まあ、どうにかなるでしょう」


 自分の頼みなら聞いてくれるとはどういうことだろうかとラルクは訝しんだが、すぐにそれもどうでもよくなった。

 そう、ヴェートを守るくらいなら黎音だけでも事足りるのだ。全てが、とはいかないが、おおむねいい方向に向かってはいた。


「これからどうします、黎音さん。やることを済ませた後はどこに行きましょう」

「王国には帰れないでしょう?」

「流石にですね」

「天華様が許すのなら、龍王国に留まるというのもいいのではないでしょうか」


 彼女は秋めく空を眺めながら、何気なく呟いた。


「龍王国を好きかどうかで言うと決して好きではありませんが、四季の豊かな風光明媚の地だとは思います」

「へえ、貴女がそんなことを言うなんて意外ですね」

「たとえ碌な思い出がなくとも、美しい事だけは否定できませんから。今の季節は二彩坂から見える、紅葉が綺麗です」


 『美しい事だけは否定できない』。本当に嫌いなら、そんな考えに至れるはずもない。解放されたんだなとラルクは静かに拳を握った。


「それじゃあ龍王国に行きますか」

「ふふ、天華様に長い別れかのように言ってきた手前、少し気まずいですがね。まあですが、あの方も喜ぶでしょう」

「ですね。思えば龍王国を出てから、ひと月くらいしか経っていないのか」


 そしてラルクはまた、少し考えた。龍王国。聖絶相手でも龍神なら勝てることが分かった以上、そこに行くのが好ましいかと。

 

 少なくとも試練が終わるまでは、龍王国に留まるのが最も好ましいだろう。

 今までに、試練は三つ終わった。七冠聖絶、そろそろ折り返しだなと思って……、


「あれ?」


 ここに来て彼は、違和感を覚えた。

 この広い世界で、二か月でもう三回も会った。向こうがラルクの位置を知る方法を持っているのならおかしくはないと思っていたが、バートルに伝言できたのは明らかにおかしい。


 リシディアクォーツとやらは、ラルクがここに来ることを知っていた。

 では未来予知などの能力を持っているのかと言われると、ならばグルディオが死んだことに説明がつかない。


「それにしても、お前は故郷を離れることになるわけですね。何も故郷に伝えないでよいのですか?」


 黎音は彼のそんな内心に気づくことなく、鷹揚に話す。


「まあ、反逆者である手前伝えるわけにはいかないかもしれませんが。……それにあの教師なら、バクフー油田に行ったお前が戻ってこられないことくらい分かっていますか」


 そうしてラルクがある一つの可能性に行き当たった時、自然と額から顎に向かって、一筋の汗が流れた。


「う、ぐ……、」

「ラルク?」

「嘘だ、そんなの。」


 彼の目の焦点が定まらない。彼らしくもなく、小刻みに震えている。

 黎音は彼の異変に気が付いた。


「……黎音さん。俺はさらに南へと行きます。ヴェートよりも、もっとずっと南」

「さらに南?そこは海では……?」

「大陸さえ出れば、追うのも難しくなるはずですから」

「聖絶ですか。なら龍神様に倒してもらえば、」

「ダメです。俺はそんな、終わりは嫌だ」


 ラルクはそう言って、ふらつく足取りで走り出そうとした。けれども少し、遅かった。


 カツン、カツンと靴の音がする。後ろを振り向くと、そこには――





『七冠‘‘聖‘‘絶なんて銘打ってはいますが、正直ただの騎士の私や元領主のヴァスク様、化け物のグルディオさんなんかを見ていれば分かる通り、聖要素あんまりないんですよねー。まあグルディオさんは実は究極の聖人君子なんですが、それはともかく』


『それでも聖と付いているのは、聖絶を結成したリシディアちゃんが本物の神様であることと……、そしてりっちゃんが初めて仲間にした、あの人の影響が強いのでしょう』


 テーゼンシアは『בְּרִית(ベリート) חֲדָשָׁה(ハダシャ)』と題された書物を読みながら、屋敷の安楽椅子に腰かけていた。


『あの女には、リシディアも信頼を置いているようであったからな』

『おや、ヴァスク様』

『まあ奴ほどの善人などそうはいないから、それも妥当な話か』

『善人、と一概に言うのも難しいですがね。あの子は人間が大好きなだけですよ』


 途中、彼女は目を顰める。


『……ん、彼?ああ、当時の社会で、そのままに記述することが出来なかったのですね。まあ女性が男性の肋骨一本から生まれた存在とされる社会ですしね』


『閑話休題。あの子はあらゆるリシディアちゃんの誘惑とそして最後の試練を越え、現世に蘇りて聖絶に至りました』




 ラルクはすべてを理解しながらも、一縷の望みに懸けて後ろを向く。


 ……。


 なぜテーゼンシアが、ラルクが武闘大会に出ることを知っていたのか。

 彼が武闘大会に出ることを、知っている者がいたはずだ。


 なぜグルディオクラッチが、ラルクたちが龍神山を登ったルートを知っていたのか。

 そういえば登山口の方角を、指定した人がいなかったか?


 なぜリシディアは、ラルクがヴェートに来ることを知っていたのか。

 ラルクにヴェートに行くよう、勧めた者がいた。



「少し気づくのが、遅かったみたいね」


 聞き覚えのある幼い、しかしこれまでに聞いたことのない冷たい声。ラルクが後ろを振りむくと、そこには、


「久しぶりね、ラルク」

「ヨシュア、先、生……、」


 ラルクの胸ほどまでの体躯の少女。されど見た目が少し違った。

 髪は雪のように真白で、目は燃える炎のようであった。胸には金の帯を締め、足は精錬されて輝く真鍮のごとく。


「先生じゃないわ」

『彼女は先生というよりは、伝道師でした。……いや、伝道師のつもりだったのは、彼女一人でしたでしょうがね』


 ヨシュアは大水のとどろきのような声で語った。右手には鋭いもろ刃の剣を持ち、太陽のような光を帯び、


「こう呼ばれるのは好きじゃないのよね。でも、それがおそらくは私を最もよく表しているから。……私こそは七冠聖絶の四、」

『最後の試練で人の全ての罪を背負った少女。ラルク君風に言うのならば、全人類の責任を小さな背中に背負った聖人、』


『「――救世主と呼ばれたヨシュ(ヨシュア・キリスト)ア」』


 





 ヘブライ語が使われていたガリラヤでは、彼女はイェーシュア、ヨシュアなどと呼ばれていました。

 それらを古典ギリシャ語に音写したものをさらに日本語に音写すると、イェースースとなります。

 さらにそれを日本人に発音しやすくすると、今日の『イエス』という音が出てくるわけです。おそらくイエス・キリストは生きていたとき、ナザレのヨシュアと名乗っていたことでしょう。


 ……敬虔で謙虚な彼女は、自分でキリスト(原義で油を注がれた者、つまり神によって特別な使命=救世の使命を与えられた者)を名乗りはしなそうですが。

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