テントでの一幕
あれからラルクたちは、ヴェートの集落に迎えられていた。
歓迎というわけにはいかない。それでも一抹の希望を、彼らは黎音たちに抱いていたように思う。
宴会の席、黎音だけがヴェート民たちの中に集まって食事をしていた。
前に並ぶのは草の食器の中の、質素というよりは粗末な食事。周囲の人々が目に喜色を浮かべているのを見るに、これでもごちそうのつもりなんでしょうねと彼女は思った。
「しかしなぜ、貴女はあんな男を配下にしているのだ?」
隣に座ったハインが回復魔法で彼女の怪我を癒しながら、そんなことを聞いてくる。黎音は感情を抑えて苦笑して、
「……彼はあれでいて、良いところがたくさんある人ですよ」
「ほう?」
「この話はやめにしましょう。……ところで、なんで実働部隊にあんな小さい子がいたのですか?」
急と言えば急な話の転換。しかし重要な話であったからか、彼女は少し考えるように、いや、言い淀むようにして、
「……あれでもヴェートの精鋭ではあるのだ」
「……あの子がですか」
「ああ。私――全ての族の長なんてものが出張ってきている時点で察しているとは思うが、我が国はこの魔石田にすべてを懸けている」
王国などの大国では、人材が豊富な為にあそこまで小さな子が駆り出されることは(アルマなどの例外はいるものの)めったにない。
ただヴェートのような人口10万ほどの小国では、そもそもまともに戦える者が少なすぎて、魔力が多いだけの者を戦力として計上しなければならないことが多々あるのだ。
「ゆえ、子供が犠牲になることも、……まあ、……仕方がない」
子供の犠牲。
これをラルクに聞かせたら、彼はどんな顔をするのだろうか。
「でも、もう安心なんだよ」
突然に虎獣人の少女がそんなことを言った。
「黎音お姉ちゃんは、誰にも負けないもんね?」
キラキラとした瞳。黎音はそれを、裏切ることは出来なかった。
「……ええ」
「私がいる限りヴェートは決して敗れません。そう、約束しましょう」
自分で言っていて、軽い言葉だと思った。その軽いという事実が、重苦しくのしかかってくると思った。
少女は変わらず目を輝かせている。にわかに宴の場が盛り上がる。
空はゾッとするほど、星が眩く綺麗だった。
ラルクは黎音が夕食を取っている間、一人熱心に剣を振るっていた。
明日疲れや痛みが残ったらいけないが、かと言って強くなろうとしないのも違う。
斬撃の軌道の修正を重ねる。無駄な力みが入っていたので、それも抜く。
「熱心なことだ」
ふと、後ろから声を掛けられた。ラルクがいったん剣を置いてそちらを向くと、そこには壮年の犬獣人が立っていた。
「貴方は、えーと、」
「名前をそもそも名乗っていないさ。リェンだ」
「リェンさん」
なぜ来たのだろうと、ラルクは不思議そうな顔をする。わざわざ嫌いな人間に、会いにくる理由には何なんだろうと思って、
「ラルク君。あの子を助けたのは、本当の所は君なんだろう?」
「……!……なぜそれを、」
「勘だ。食事であの竜人の子と話していたが、どうにも何かがおかしいと思ってね。君が助けたと言った方がしっくり来る」
穏やかな瞳だった。長く生きてきた者の、深い理知を湛えた瞳。
「俺は族長ほど頭は良くはないが、それでも長生きしてきた。彼女たちよりほんの少しだけ、どんな人間を信じればいいか、偏見を持つことがどれほど愚かしいかを知っている。無論、偏見がそれなりに当たることも知っているけど」
「……なるほど」
「そして否定しないということは、俺の予想は合っていたわけだね」
ラルクは悩んだ。どう答えるのがいいか。
だがどうにも、目の前の人間に嘘を吐くことはできなそうだった。アストラフィアやアルマの才気の煥発とは違う、人間としての重みが目の前の男にはあった。
「……はい、そうですね。黎音さんは別に、ただ彼女を送り届けただけです」
「やはりか」
リェンはおそらく謝罪をしに来たのだろう。しかしラルクは彼が口を開くより先に指で制止した。
「でもこのことは、他の人には言わないでください」
「……正気かい?」
「ええ」
ラルクは王国のそれとは大きく違う星空を見上げた後、また彼の目を見て、
「今の龍王国との同盟は黎音さんへの信頼があってのものです。感情で動く彼女たちにこの事実を伝えれば、同盟の破綻もありえる」
「……君は、それでいいのかい?汚名を返上しないで。君は騎士なんだろう?」
「俺が理想とする騎士は、例えば娘が貴人を傷つければその責任と汚名を背負い、自らの命を犠牲にできる人間でした」
例えばの割には、具体的なように見えた。
「父かい?兄かい?それともまったくの他人かい?」
「父です」
尊敬する騎士の父親。
それが彼の根底にあるのだろうと、リェンは悟る。彼はその理想を目指して、あるいは理想に恥じないように正義を貫くのだと。
「……なるほどね。嫌いな人間をも救おうとする、正義の心か。その道はひどく険しいだろうけど、貫き通せるのかい?」
と、彼がそんなことを言ったところで……、ラルクが頓狂な顔をした。
何か間違ったことを言ったかと、リェンは言動を思い出して、
「嫌いな人間?俺は貴方たちのこと、大好きですよ?」
そんなことを、当たり前のように言われた。
「……待ちたまえ、何を言っている?今のところ、俺たちを好きになる理由が、」
「ああいや、言い方が違いました。俺はこの世にいるすべての人間のことが大好きなんですよ」
「……は?」
理解できずにリェンが一瞬フリーズする。
「だってそうでしょう?必死に生きる人はみな美しい。のうのうと日々を暮らしていけるというのも素晴らしい。悪事を為すのは残念ですが、まあ人間なのだから仕方がない。罪を憎んで人を憎まず。そう考えれば、すべての人間を愛するというのは自然なことじゃないですか」
「なっ、はっ?」
「あ、すみません。これは一般論じゃないんでしたね。忘れてください」
ゾクリと、鳥肌が立つ。
橙色の燃えるような瞳には少しの陰りもなく、博愛と友愛と親愛と情愛に輝いていた。それが余計に不気味だった。
理想の騎士としての父親が人格の根底にある?そんなはずはない。
リェンには後天的に、こんな人間が生まれることを信じられなかった。
仮にこのラルクという少年はこの世の全ての人類から忌み嫌われ迫害されついには殺されたとしても、最期の時まで人類愛を抱き続けるのだろうと、リェンは直感する。
「まあ、ともかくです」
ラルクは失言したように、こほんと咳払いをする。そう、彼は精神性が人間のそれでないのにも関わらず、自分の異常をよく俯瞰できていた。
「明日の戦いで、命を大事にしてくださいね。死ねばそれで、人は終わり……とまでは言いませんが、悲しむ人も出るのですから」
「……あ、ああ。それは君も同じことだがね」
「勿論、俺自身も安全第一で行きます」
「死ぬのは怖いし、怪我するのは痛いですから」
千切れた舌を動かして、何の気も無しにそんなことを喋る。
グェンはいよいよ、彼を人間だと思えなくなって……、
ふとグエンは、とあることに気が付いた。
数時間しか経っていないというのにラルクの舌からの出血が、止まっていた。回復魔法でも使えたというのだろうか?
ラルクが立ち上がってすぐに再び剣を振り始めたから、聞くことはできなかった。黎音かラルクが回復魔法を使った以外では辻褄が合わないから、とりあえずそういうことなんだなと彼は思って、ヴェートの人々のところに戻った。
「ったく、ヴェートの連中も参戦してきたな」
「これで四国集結にゃね」
「あ゛?それはおかしいだろ、獣王国、王国、ヴェート、1+1+1で二国じゃねえか?」
「それはおかしいですよ将軍様。元々二国だったじゃないですか。増えてないとおかしい」
「むっ、それもそうか」
「やっぱりバートル将軍はバカにゃねー。足し算より掛け算の方が大きくなるから、こういう大きい計算の時は掛け算をするんにゃよ。1×1×1で四国にゃね」
「なるほどなぁ゛」
獣王国の戦士たちは作戦会議を行っていた。
メンバーはバートルと红玥、そしてそこら辺を歩いていた青年の三名。
「目下最大の敵はなんだ?」
「王国龍王国連合にゃ」
「流石に分かるな。第二勢力が乱入してきたところで戦いの基本は変わってねえ。……じゃあそこのガキ」
バートルは青年の方を向いた。
「翻って、ヴェートの連中が来て変わったことはなんだ?」
「……分かりません」
「そう、分からねェ」
「えっ?」
バートルの発言に、青年は頓狂な声を上げた。
「分からないって……」
「しょうがにゃいにゃ将軍はバカだから」
「ああ、なるほど、」
「いやそういう話じゃねえそしてナチュラルに上官を馬鹿扱いすんな」
「じゃあどういう話なんかにゃ?」
こほんとバートルは咳払いすると、居住まいを正して、
「結局な、俺様らはヴェート軍の戦力も特徴も何も知らねェ。だから対策の立てようもねえ」
「なら、」
「となれば力でねじ伏せるよりほかにねェんだよ」
それは最も野蛮で、愚かしく、身もふたもない結論。
されどそれを聞いた時、红玥は凄まじい笑みを浮かべた。
「いいにゃね」
「いつも通り、潰して終わりにゃ」
獣人は知能が低く、野卑で、……そして強い。
決して一筋縄ではいかない強敵の集まりだった。
夕夜、クラトスはかがり火で照らされた天幕の下で、一人悩みにくれていた。
「……ラルク君も、黎音さんも、戻ってこなかったか」
「……間違ってもヴェート如きに負ける二人じゃない。嫌な予感がするな」
考えたくはなかったが、離反の可能性が頭に浮かんでいた。
「もし、彼が龍王国側にいて、ヴェートを戦力に取り込む気だったら……」
ラルクは龍王国で命を龍神に救われたと聞いた。恩義などを考えれば、ありえない話ではないだろう。それに今、世界の覇権は龍王国にある。
「だけど裏切るか?あそこまで熱心に鍛錬し、王国の騎士になろうとしていた男が。レイシアに忠誠を誓ったあの男が。それに王国にいるままで、栄誉も財もいくらでも得られただろうに」
「……明日まで様子を見よう。明日になっても戻ってこなかった場合、もしくは彼が敵側についていると分かった場合は」
クラトスは唾を呑みこむ。そしてブライトハート家次期当主の証である、赤の宝石を睨みつけて、
「その時は――ラルク並びに弥白黎音の殺害命令と、獣王国の『殲滅命令』を出す」
龍王国との同盟が欺瞞であれば、もう龍王国の増援の為に不殺を貫く必要もない。手は震える。
だが彼は、感情で動ける立場にはもうなかった。
強く、強く、赤の宝石を見つめる。
訣別と決戦の日は、近かった。
「さて。この戦いを通して彼は何を知り、何に至るのだろうね」
「ともかく今回で、彼の運命は決定づけられる。それはもう、決して修正の効かないほどに致命的に」
閑静な海辺を、少女たちは一人歩きながら呟いた。
「期待しているよ。――騎士ラルク」




