浅酌低唱
竜王の寝室。菜種油の火の薄明の中で、天華は黎音の黒い髪を梳いていた。
王と二人きり。どこか居心地の悪さを感じそうな状況だが、不思議と安らいだ気持ちで黎音は座っていた。
ふと、天華が口を開く。
「……黎音」
「はい」
「知っているかい。ボクらは母を異にするとはいえ姉妹にあたるそうだよ」
「……」
姉妹。それは弥白黎音にとって、まったく実感のないことだった。
片や龍神の一人娘として、愛され祝福されながら生まれてきた少女。
片や不義の子として、呪われ孤独に生きてきた少女。
羨ましくて、妬ましくて、そして嫌いだった。
黎音が少し無言でいると、胸中を感じ取った天華が頷く。
「そうさ、不思議なことだ。ボクらは血を半分分けているはずなのに、こうも何もかもが違う。生まれも境遇も、性格も見た目も。……けれど、」
「けれど?」
「一緒の布団で、髪を整えて。こうしているとなんだか、姉妹みたいじゃないかい?」
「……」
黎音は答えなかった。けれど、静かに頷いた。
なんだか心地がよかった。暖かかった。天華は微笑んだ。
「ボクはさ、ずっと君のことをかわいい妹だと思っていたよ」
「…………私は、」
「いや、みなまで言わないでいい。君がボクを嫌悪する羽目になったのは、ボクの責任だ」
責任。その言葉を聞いて、黎音は首を振った。
「責任、それは元はといえば私の母に……、いや、一度も会いに来てくれなかった父や、何もしてくれなかった龍神様にあるでしょう」
「彼らを恨むな。彼らには彼らなりの理由がある。君の母は心から父を愛していた。――父と私の母は、別天地に旅立った。今度こそ二人だけの別天地に」
「ですが貴女には、それこそ何の非もないじゃないですか」
尤もな黎音の指摘。
天華は黎音の髪に椿の香油をつけた。
「非か。非はないね。それは間違いない」
「なら、」
「でも責任はあるんだ、確かにそこに。だってそうだろう?ボクと君は、世界でただ二人の家族なんだから」
黎音は言葉を漏らした。そしてどこか頭の中で、ピースがつながった気がした。
合理的な性格の天華。なぜそれが、最強であることを目指したのか。なぜ龍神という肩書を得ることにこだわっていたのか。
それはつまり、
「天華様」
「何だい?」
「龍神様に対する罪を、私は背負いました。なら、」
「ああ」
「ならばその罪を許せるのも、龍神だけなのさ」
黎音は理解した。ずっと昔から、彼女が自分を守ろうとしていたことを。ずっと昔から、自分が愛されていたことを。
信仰を受けていた龍神に対しての不義。それは否が応にも竜人たちに、宗教的な黎音への嫌悪感を抱かせるだろう。だが、同じく信仰をされている天華の一声なら、その悪印象は払拭できる。
聖絶の討伐に躍起になっていたのも、箔が必要だったから。
黎音は泣いていた。嬉しくて、声を上げて泣いていた。
されど少女はそれに、申し訳なさそうな表情を浮かべながら、
「ごめんね。風呂のときも言ったけれど、ボクには龍神と認められる手段はあった。だけれどその奥の手は、二度とは使えないんだ。一度使ったら、もう龍王国は守れないんだ」
「大丈夫です、天華様」
黎音は微かに笑いながら言った。
「私だって、龍王国の一員じゃないですか」
「……」
「貴方が守ろうとしていたのは、私でもあるのです」
「……。……そう言ってくれると、少し救われる。まあ結局ボクは何もできなかったわけだけれど。あの時には既に、君は救われていたんだからね」
「天華様、ですが、」
「いや、慰めはいらない。なんせ、今のボクもまた、救われているのだからね」
少し時間を置いて、天華は遠い目をしながら話した。
「あのおもは、母と父の他には懐かなかったな」
「……もしかして、帰りを待っていたのでしょうか?あそこの温泉で、ずっと、」
「さあね。ボクたちが彼女に対して何を考えようと、それは根拠のない推測にしかならない。……ただ、」
「きっとあのおもの目には、ラルクは父のように映ったのだろうね」
風見天華の父は、燃えるような意思を持った心優しき男だった。
風見天華はラルクの姿に、自身の父を見出していた。
「まあ勿論、ラルクはあの人には遠く及ばない。剣腕も魔法の才も経験も知恵も……」
ふと、天華は黎音の髪から手を放した。
「よしっと、これで髪の毛の手入れも終わりかな。綺麗な黒髪だ」
「本当に、私たち、似ていませんね。黒と紫で、」
「いや、そうでもないさ」
天華は自分の紫紺の髪をくるくると弄って、
「紫に橙を足すと、黒くなる。その二色に赤青黄色が含まれるからね。どうだい、君らの未来を暗示しているみたいじゃないかい?」
「というと?」
「ラルク。彼は志こそ高いが、実力は半人前だ。だけれども、君と二人でなら、ボクのように偉業を成し遂げられるかもしれない」
黎音はぽーっと、それを聞いていた。耽る。
二人で支え合って生きていく。それは黎音にとってまったく未知のことで、不安なことで、そして胸躍ることで……、
と、そこで黎音は首を傾げた。
「……あれ?この色だと、天華様とラルクで私になるような」
「おっと、これは失敬間違えてしまったね。全く、ボクらしくもない」
「……ふふっ、」
天華がわざと間違えたことに、気づかない黎音でもなかった。
「あははっ、でもとにかく、君はラルクと手を取り合って生きろ。ラルクは確かに父に遠く及ばない。君も母には遠く及ばない。ただ未熟者だろうと、心を合わせれば聖絶にだってきっと打ち勝てる」
障子の向こう、薄明かりに照らされて二つの人影が見える。一夜の間、楽しそうな声は絶えなかった。
それはまるで今までの空白の分を、そしてこれから会えなくなる分まで、語らい合おうとしているようだった。
「……ああ、障子の向こうが、少し赤くなってきたね」
「……ですね」
世界は弥々白く、黎明を告げる鳥の音が響き渡った。
声が少しずつしんみりとしていく。二人とも、寂しかった。大陸の極東と極西。
「いってらっしゃい、黎音」
「ええ。……お姉ちゃん」
けれども妹は旅たち、姉はそれを見送った。
たとえ離れ離れになろうとも。空のように無窮に広がる果ての大地へと足を踏み出そうとも。
彼女の前途には大いなる幸福が永遠に横たわり続けているのだろうとそう、確かに信じることができたから。
大地の涯に、想い通じて。




