至龍王国
彼らが数千㎞の険しい道のりを踏破したのは十日ほど後のことだった。
海抜高度2000mの高所にある竜たちの都市龍王郷。
龍王峡と外界を隔てる朱色の門を見上げる。
「結局、聖絶たちの干渉はなかったな」
「そうだね。まあ試練には最大7年かけるそうだから」
門の先にはラルクがかつて絵本で読んだような、瓦の屋根の家に葉桜。
人間が来ることは珍しいからか、東屋の娘とみられる角と翼を生やした少年たちが彼らを見つめている。
そう長い旅路ではなかったけれど、ともかく着いたなとラルクは思う。
そのまま彼らは門を通り過ぎようとして……、門の脇に座っていた少女に声を掛けられた。
「そこの人間たち。少し止まりなさい」
「……話を通されてはいないのか?」
「いえ、既に竜王様からお聞きしています。怪しい黒髪の男と、赤髪のガキが来ると」
黒い髪を短く切った、竜人の少女だった。竜人は長命のため見た目と年齢は合わないが、見た目だけならラルクより下の年齢に見える。
「私は龍王郷が三大竜将の一人にして、お前らの護衛を仰せつかった弥白 黎音と言います」
雪を思わせる銀色の角に翼。青色の着物。
見た目からして、おそらくは氷竜人(氷属性魔法を得意とする竜人。角で特定の属性のマナを吸収し、翼でマナを貯蔵する性質のために竜人の翼と角は変色する)あたりだろうとラルクは考える。
「ふむ、」
一方でアルマは全く別のことを考えていた。つまり、
「……竜王は、来ないのか?」
ラルクははっとした。
普通に考えれば、できる限り長い間竜王と共にいた方が好ましい。
ここにいないということは……、
「はっ、」
アルマのその考えを肯定するように、黎音が冷笑すると、
「竜王様はご多忙な身。お前たち人間如きにわざわざ時間を割けるはずも無いでしょう?」
その発言に、ラルクは顔を顰めた。
「……ですが相手は、かの七冠聖絶、」
「ごちゃごちゃうるさいですね。私だけでもあの方が間に合うだけの時間は稼げます。そもそも聖絶が数日のうちに現れる可能性も低いでしょう」
「……」
確かに目の前の少女は相当な実力者であった。
魔力量だけなら王国騎士団長と勝るとも劣らぬ水準。
「……分かった。文献通りなら奴らは最初以外、一人でしか来ない。お前でも十分だろう」
「ふんっ」
剥き出しの嫌悪感。自分と違う者を嫌悪するのは生き物の常だが、それにしても露骨だなとラルクは思った。
「えーと、黎音さん」
「何ですか?」
「俺たちはこれからどうすれば、」
「……お前らで考えなさい。と言いたいところですが、生憎とやらねばならぬことがありましてね。まずは龍神像に祈りを捧げに行きますよ」
龍神像。おそらくはこの地に足を踏み入れる条件なのだろう。
ラルクは頷いた。
「分かりました。たしか龍神像は、ここから南にあるのですよね?」
「……!ええ、人間の割には、よく知っていますね」
「あはは……、」
一瞬だけだが、黎音は感心したような表情を浮かべた。
人間が竜の地に踏み入れるのだから、歴史や文化のことはあらかじめ自分の頭に叩き込んでおいたのだ。
どんな何気ない行動が彼らの不興を買うか分からない。
と、そこでアルマがゆっくりと口を開いた。
「下らんことだが、ルールはルールだ。行くぞ」
「……お前、」
少しだけ和らいだ雰囲気が、またすぐに剣呑になった。黎音が彼を睨みつける。
「何が下らないと?」
「竜神像とやらを、拝みに行くことがだ」
「……」
「お、おいっ、アルマ!?」
ラルクが焦る。一体なぜ彼は、この場所でこんなことを言い始めたのか。仮に他者の信仰に対して嫌悪感を持っていたとしても、ひとまずは合理的に取り繕っておけばいいのに。
そもそもこれは、アルマらしくない。
「忘れるなよ。お前ら人間如きにこの私が手を貸してやっているのは、竜王様の命だからに他ならないということを。私としては、今にでもお前を八つ裂きにしてやりたいのですが」
「できぬことを口に出すなよ。俺らが死ねば、聖絶への望みは永遠に閉ざされるぞ」
「……」
怒りを双眸に湛え、拳を強く握りしめているが、確かに彼女はアルマたちに何もできないだろう。
だがそれでもやはり分からない。
(悪感情を抱かれて、何一ついい事はないだろ!人が感情の生き物であることくらい分かれよ!!)
どうすればいいか分からずにおろおろするラルク。冷めた目で彼女を見ているアルマ。怒りをあらわにする黎音。
そして少しして、黎音が口を開いた。
「……確かアルマと、言うのでしたね」
「ああ」
「私はお前が嫌いです。人の中でも、特に」
パァンと鋭い音が鳴った。
仮面越しのビンタだが、良い音がした。仮面が揺れる。
「……」
「今回はこれぐらいで済ましてあげます。ただ次はないぞ。たとえ竜王様の命だとしても」
「アルマ!!」
「行きますよ、ラルク」
ラルクは一瞬アルマの方を見たが、彼はしっしっと手を払うようなしぐさを見せた。仕方がないから彼は、黎音に付いて行った。
ラルクは彼女に連れられて、龍神像の鎮座する聖なる池の周りにやってきた。いくつもの蓮が、清い水の上に浮かぶ。
「あれが龍神様の生前の家で、」
黎音はかやぶきの、小さな一軒家を指さした。
「そしてこれが龍神様の像です」
布を纏った長い髪の少女の、川のほとりに座るような姿勢の石像。それは威厳や畏怖からは程遠い自然体であったが、どこか人間離れして感じられた。
「これが、龍の神……」
自然とラルクは、感嘆を漏らしていた。
その態度に満足いったのか、黎音は像を見つめて、
「私たちがなぜ、かの御方を信仰するか分かりますか?」
「……それは、竜人族を生み出したから?」
「それがただの後付けの神話であることくらい、分かっていますよ。ミトコンドリアを辿れば私たちの祖先が、遠く離れた地の人間であることは明白です」
「……えーと、ミトコン、ドヤァ?」
「……今はまだ魔法全盛ですが、龍神様が消えた以上、いずれ科学が魔法を席巻するでしょう。少しは学んでおきなさい」
優秀な人材はほとんど魔法関係に流れる。だからそれは、何百年後かのことだろうにとラルクは思う。
何千年も生きる竜人からすれば死活問題なのかもしれないが、彼にとってはどうでもよかった。
それに気が付いたのか、黎音もすぐに咳ばらいをして、
「……閑話休題。私たちがあの御方を信仰する理由はいたって単純に、龍神様が誰よりも強かったからです」
「誰よりも、強かったから」
「ええ、龍神山を震脚一つで生み出し、一度跳躍すれば宇宙までも届いたとか。……まあそれらはただの神話ですが、竜王と竜将4人がかりでも敵わなかった聖絶の一人を撃退したのは事実なので。我らは力こそを信奉しているのです」
たぶん人族嫌いも、それに端を発しているのだろう。人は弱い。
「強さ、ですか。それは何よりも大切なんですか?」
「ええ」
断言だった。
価値観が違う、と言う気はない。どの種族にとっても、大抵最も重視しているのは暴力だ。
「……俺は、強いですか?」
彼はそんなことを聞いた。その瞬間、いつの間にか爪を目に突き付けられていた。
「私はおろか、あの仮面の男にも遥かに劣りますよ。陳腐な指標ですが私の強さを100とすれば、仮面が70ほどで、お前は20やそこらといったところでしょうかね」
「……でしょうね」
力はこの世界で唯一絶対の法だ。人は人より『強い』のだから。
ラルクは目を瞑って、竜たちの神に祈りをささげた。
ラルクは少し小用があるからと黎音から離れて、アルマと二人話をしていた。
「……で、なんでアンタはあんなことを言ったんだ?」
「あんなこと?」
「とぼけるなよ。龍神様を、信仰を馬鹿にするようなことを言っただろ。アンタは感情的な人間ではないだろうに」
「アンタはもしや、自分を罰するために、人から嫌われようとしているのか?それは、違うだろ、人間なんだから」
「……」
「そもそも、人が人を嫌うなんて、そんな悲しい事俺は嫌だ」
「……お前は本当に、人間が好きなんだな」
このときアルマは、少し疲れたように雲一つない晴天を見上げた。緑に囲まれた、龍王郷で。
「これが、望まれたあり方なら、文句も言わずに迎合しただろうさ」
「……?」
「だがこれはただのプロパガンダだ。竜王が自らの権威を正当化するために行っているだけのな」
「なっ、」
ラルクが絶句する。そして少しして、怒ったように言う。
「何を言っているんだ、アンタ。他国の信仰を踏みにじる気か?信仰がどれだけ彼らにとって大切なものなのか、理解できないはずも無いだろうに!」
「龍神は、神としてあることを望んでいない」
彼はハッとする。
「龍神の家は小さかったか?」
「それは、」
「奴はすべての竜を、おおよそこの世のすべての生物を遥かに超越した力を持っていたために、力を遵奉する竜人たちを引き付けた。だが奴は権力も信仰も望んでいない。強いて言うなら、愛した男と共に生きたかっただけだ」
この時ラルクはアルマが他の誰よりも、龍神という一人の竜人に敬意を払っていることに気が付いた。
「この信仰に、何の価値がある」
思えばアルマという男はいつもそうだった。気を回しすぎるほどに回しすぎている。妹を助ける際に罪悪感が残らないように賭けという形を取り、自分も必至だろうにラルクの夢物語を実現させようと奔走し、そして今、既にこの世にいない龍神の生き様にまで敬意を払っている。
「下らんことに拘泥するな。つまらぬ権威に委縮するな。神とてただの子供かもしれん。お前はすべての者を救うのだろう?このままでは、お前より強い者を救うことができなくなるぞ?」
ラルクは思い出す。自分がアストラフィアに王を見出したことを。レイシアに高潔を見出したことを。アルマに超人を見出したことを。
それらはある程度合っていて、しかしそれだけでは危ういのだろう。
なぜなら彼も彼女らも、人であることに変わりはないのだから。
「全ての人間を見ろ。確かにその目で」
その言葉は、ひどく胸に響いた。
「……ああ、分かったよ。ありがとう」
ラルクは思った。たぶん、自分の方が人間のことを好きなのは確かなのだろうと。
ただその上で、このアルマという男以上に生真面目で真摯な人間を見たことはなかった。
「……ん?」
その数時間後、ラルクは思った。
「でも、別に黎音さんに辛辣にする必要はなくないか?」
彼はアルマを自身の同類と思っていたために勘違いしていたが、アルマは普通に上から目線で話してくる黎音のことが嫌いだった。




